第一章 第四節

 では、わたしたちはなんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか──ローマの信徒への手紙‬ ‭6章1節


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 パストゥールは事切れる寸前、シャルロットの無事を祈っていた。それは絶望という漆黒の感情に染められた彼の魂が今際いまわの際に抱き留めた唯一無二の純粋で不可侵な願いであり、皮肉にも神という存在を見限った彼だからこそ到達し得たまごうことなき隣人愛であった。


 ──人間の本質は、私のように実に救い難い…その存在を信じてすらいない者に対しても救いを求める…


 突然の絶対的な暴力によって、彼自身の安らかな死は果たされそうにない…


 ──しかし、このシャルロットの無事を願うこの想いはどうしようもなく無垢だ…


 その願いが聞き届けられることがパストゥールにとっての最後の神頼みであった。





 そして、最期に彼は神の姿の一片を見る…






 「テオ様…」






 現世うつしよ常世とこよの狭間でパストゥールが見たのはシャルロット・ソフィアが背に暁光を受けて彼に、優しい眼差しを向ける一瞬だった。その刹那のときの中では彼と彼女のみが存在した。彼の知らない者の名など風化し、ただ彼女のうやうやしさを宿した瞳だけが彼の芯にともした。




 それはまるで、蝋燭ろうそくが燃え尽きる前に最も強く輝くかのごとく…




 

 

 ──── 聖母…マリア…

          あなただったのだ…





◇◇◇◇◇






 「シャルロット!見てご覧!素晴らしいだよぉ!」


 テオは珍しく興奮を抑えられずにいた。何千回、何万回と繰り返してきた…途中、自らの過ちで大きな痛手を負ったこともあった…けれども今日この日、テオの集めはまた1つの進展を遂げた。


 『賢者の石』のは無垢なる魂によりもたらされる…そして『賢者の石』はこの世の理そのものであり、同時に新たな理でもあった。


 テオにと呼ばれるものは青黒いナニカダークマターを人体に流し込むことで錬成され得る最高純度の有機結晶体ことであり、その別名をアゾットという。


 テオは少し前までエリクサーとダークマターを血抜きした人体という有機体で包むことで『賢者の石』を錬成しようと躍起になっていた時期があった。しかしながら、ジャンヌ=ダルクでのある種の失敗を経て、その手法には少し懲りてしまったところもあった。

 

 そんなテオが今現在、熱中しているのは…エリクサーを核にして、大量のアゾットを核膜に見立て、ダークマターを核と核膜の間に核質として満たすという手法である。これによって、より高密度なエリクサーとダークマターを内包した有機体が完成し…『賢者の石』が顕現する。

 







 ──と、テオは信じている。

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