第18章 それが君の飛躍

 あの日と同じように、響が手を引っ張ってくれる。トン、トンとリズムよく階段を蹴り、一階に降りる。

 廊下にはおびただしい数のヤクザが倒れている。手錠をかけられてもがいているもの、白目をむいて気絶しているもの、その間を、縫うようにして走り抜ける。

 あの日と違い、不安は微塵も感じない。どんな未来でも選ぶことができ、どんな未来でも実現することができる。響と一緒なら、心音は運命の神様にだって勝てるのだ。

 玄関にたどりつく。もう、心音のために靴を出し入れする人はいない。それが嬉しくて、心音は靴箱の中から真っ白なサンダルを選び、ひっつかんだ。小さな子供みたいに、走りながら足にひっかけた。

 響が玄関扉を開け放つ。かつてないほど晴れ晴れとした青空が、二人を祝福の光で迎え入れる。長く伸びる道の向こうに、固く閉ざされた門扉が見える。

「開けてくれって、銃声聞こえただろ?な?な?」

 その門の下に車をつけ、ヤマダの息子がごねている。門番として六人のヤクザがついているにも関わらず、後部座席の窓から顔を覗かせ、ぎゃあぎゃあと苦情を申し立てている。

「ですから、緊急事態なので、オヤジの許可がないと……」

「あんたも分からん人だなあ……ん?おっ」

 響と心音の姿をとらえた途端、ヤマダの息子がニカッと笑った。直後、その顔が鬼の形相へと変貌する。

「俺はそっちの都合なんか聞いちゃおらんのや!俺がかすり傷一つでも負えば!ヤマダ組が総力上げてカチコミするで?ええんか?ええんやな?それが白崎の答えで!」

 いつもの笑顔からは想像できない禍々しさだった。白崎の組員たちは真っ青になって縮み上がり、ヤクザのやり方に慣れているはずの心音でさえ、その豹変ぶりに驚き、急ブレーキをかけて立ち止まった。つないでいる響の手が、ぎゅーっと握りしめられたのも、無理からぬことだった。

 門番たちはひいひい言いながら門を押し始め、あっという間に開門がなされた。ヤマダの息子はコロッとおどけた表情に戻り、心音たちに向かってぺろりと舌を出して見せた。

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待て!お嬢!?」

 半分ほど開門が進んだころ、門番の一人が心音の姿に気付き、慌てて門を閉じようとした。

「おい!こっちが通っとるんだ!」

 ヤマダの息子がすかさず運転手に指示を出し、急発進と急停止をかけさせた。道路と敷地にまたがる形で車が止まり、門はそれ以上閉じられなくなってしまう。

「いや、しか……おいお前ら!」

 門番たちは門を閉じることを諦め、ヤマダ組の車の周りをそそくさと埋めた。六人で車を囲むように陣取り、心音の脱出を阻むつもり――だったのだろう。

「ぎゃあ!」

「あっごめんなさい」

 ヤマダの息子が意味もなくドアを開いたことにより、一人が後ろ向きに倒された。

「な!おい、あんた!ごっ――」

 反対側の組員が声を上げようとしたが、こちらも車のドアにかき消された。ヤマダの部下が、やはり意味もなくドアを開けたのだ。バタバタ、バタバタ……ドアの開く音と人が地面に激突する音が続けざまに響き、セダンの周りにいたヤクザは、たった二人を残して全滅した。

「あららー」

 ヤマダの息子がわざとらしい声を上げ、車の外に出てきた。足元に倒れているヤクザにゴメンッ、と詫びた。軽い感じだった。

 白崎組の生き残り二人は、客人だった男を睨みつけた。

「そんな怖い顔されても……急に催すことってあるじゃん?トイレ」

 ヤマダの息子は腹を抱えてしかめっつらをする。その演技力はお世辞にも上手いとは言えないが、仮にも次代の組長だ。白崎組の門番ごときでは、言い負かせるだけの話術を持ち合わせていない。生き残った二人はヤマダの息子に見切りをつけ、心音たちの方へ走ってくる。

「おいお前!俺にできるのはここまでだ!あとはわかるな?」

 ヤクザ二人を追い越して、ヤマダの声が飛んでくる。

 その声に呼応するかのように、心音の手を握る力が、ぎゅっ、と強くなる。ゲジゲジ眉毛と一緒に、響が振り向く。

「心音、先に行け」

 響が、握ったままの手を引っ張って、前に押し出してくれる。心音はためらうことなく前に出る。すれ違いざま、二人の視線が交錯する。響と見つめあうだけで、心音は無敵になる。

「学校だ、わかるな?」

 徐々に離れていく距離を、二人は手をめいっぱい伸ばしてつなぎ続ける。離れるのが名残惜しくて、 指の先っぽまで、なぞるように触れ合わせる。

「うん!」

 そして、心音は走りだす。

「お嬢!」

「お嬢!お待ちください!」

 二人の組員が、自分めがけてやってきても。

「ぅおりゃあぁぁぁぁ!」

 自分の後ろから、雄たけびと共に響が飛び出してきても。

「げえっ!?」

「うわ!」

 響と組員がもみくちゃになりながら転げまわっても。

 心音は走り続けた。

「ほれほれ」

 ヤマダの息子が運転手に指示を出し、車をどかしている。残り二人の部下に、門を完全に開くよう、命じている。

「じゃな、いい歌うたえよ」

 片手を上げるヤマダの息子に、思いっきりあっかんべーをつき返す。心外そうな顔をするもう一人の自分に、勝ち誇った笑みを見せる。

 ヤマダの息子はカラカラと笑う。右手を差し出し、門の外へ向ける。

 門扉が左右にどけていく。視界が広がっていく。開け放たれた窓から飛び立つ鳥のように、心音は喜び勇んで走り抜ける。十年経って初めて、自分の足で門をくぐる。

 目に飛び込んでくる広大な世界。小さな建物がぽつぽつと並ぶ、私の街。お久しぶりとつぶやくと、お帰りなさいと返してくれる私の街。

 心音は世界中の喜びを全てを吸収するかのように、大きく息を吸う。湧きあがる思いを両足のエンジンに継ぎ足して、継ぎ足して継ぎ足して、これでもかと継ぎ足して、走り続ける。

 いつも車で通っていた道。

 こんなに遠いなんて、ちっとも知らなかった道。

 走っていこうものなら、全身汗だくになってしまう道。

 サンダルで走ると、靴擦れを起こしてしまう道。

 そのことが、この上なく清々しい道。

 信号待ちで足踏みをして、こんなにたくさんの街路樹があったのだと驚き、住宅街のブロック塀に手をついて、急ターンで角を曲がる。痛む足に鞭打って、滝のように流れる汗をぬぐって、ぐんぐん進んで行く。

 学校に近づくにつれて、人の流れが増えていく。みな、スマホの画面を見ながら、進行方向を確認しながら歩いている。中には、心音の姿を見てあっと口を開いたり、興奮したようにこちらを指さす者がいる。心音はそういった者たちを横目に見ながら、上り坂に足をかける。

 頭をもたげると、お山のてっぺんに校舎の影が見える。その姿が徐々に大きくなっていくことが、こんなにも嬉しいことだったなんて、心音は新鮮な驚きを覚える。すでに息は切れぎれで、長いながい上り坂に、両足が悲鳴を上げていた。それでも、心音は走り続ける。

 坂をゆっくりと歩いて上る家族連れに、カップルに、別の学校の生徒達に、追いつき、追い越し、駆け上っていく。チラリと眼下に目を向けると、美しい街が見える。家屋の屋根瓦に反射した太陽が、心音を祝福するかのように瞬いている。その光に後押しされて、さらに加速する。

〔まも―く――登―だよ――〕

 校門の輪郭が見えてきた頃、拡声器で何倍にも拡大された、カラフルな声が聞こえてくる。それは学校中のスピーカーを大音量で震わし、歌姫の到来を、声高らかに宣言している。

〔さあさあ!もうすぐやって来るよ!我が校で一世を風靡し、SNSで爆発的な人気を博した歌姫!白崎組の一人娘!白崎心音ちゃんだ!〕

 校門にたどりつくと、その声の持ち主が笑顔で待っていた。

 響の幼馴染は、スマホを片手に、宣伝文句をマシンガンのように繰り出していた。

 心音は校門の前でよろよろと立ち止まり、両膝に手をついた。細い肩を上下させながら、ぜえぜえと息を整えた。

「涼子ちゃん!」

 心音がその名を呼んだ瞬間――〔おい、なんじゃこりゃぁ〕〔切れ!はよう切――〕——教師と思しき大人の声がスピーカーから聞こえ、キィン!という断末魔と共に、放送が打ち切られた。

 放送主はスマホの向こう側に耳をそばだて、渋い顔をした。

「ちっ、気付かれちゃったか。ま、いーや。待ってたよ、心音ちゃん!」

 切り替えの速さはやはり女の子だ。クス子が、心音の姿を認めたとたん、ニヤリと笑って振り向いた。その顔は、飼い主と再会した犬のようにほころんでいた。

 顎の先から汗の粒をぽたぽたとたらしながら、心音は頷いた。

「おじょーっ!」

「待ってくださーい!お嬢!」

 坂の下から自分を呼ぶ声が聞こえ、心音は首を傾けた。

 クス子も、同じように視線を向けている。

「ありゃりゃ、なんだい、ありゃあ」

 一般人を押しのけて駆け上がって来るのは、三バカの手をすり抜けてやってきた白崎組だ。いったい何人いるのか、しつこいことこの上ないのだが、そんなことよりも気になるのは響の安否だ。心音はつい不安になって、クス子の顔をじっと見つめてしまう。

 するとクス子は、グフフと笑うのだ。響のことを誰よりも理解しているのは、悔しいことに現時点ではクス子なのだと、心音は思い知る。

 だがそれは、同時に、誰よりも説得力のある言葉に他ならない。

「響ならだいじょーぶ!心配いらないよ!ここは私たちに任せて!体育館に!」

 クス子に腕を引っ張られ、心音は学校の中へと促される。可能な限り彩られた、錆びついた校門の中に、足を踏み入れる。そこには、日本という国にありがちな小規模な庭園があったはずなのに、今はそれを覆いつくすようにたくさんのテントがたっている。車回しをぐるりと一周する、出店の集まりとなっている。

 そして、その車回しを歩く、何十人という人々が――一斉に、自分の方を向く。


 心音は思わず立ちすくむ。


 自分を非難する目が、向けられる気がした。

 自分を殺す言葉がかけられると、恐れいてた。

 身を縮めるようにして、その悪意に耐えるつもりだった。


 しかし、誰一人——誰一人として、心音を悪く言う者はいなかった。

 みんなが、笑顔でこちらを見ていた。

 固くなってしまった心音の体をほぐすように、暖かい言葉をくれた。


「心音ちゃんが歌姫だったんだね!待ってたよ!」

 女子生徒が。

「待ってたぞ!白崎!」

 男子生徒が。

「心音ちゃーん!また、歌聞かせて!」

 別の高校の制服を着た女の子が。

「楽しみにしてたぞ!」

 遊びに来ている、街の大人たちが。

 今にも拍手しそうな表情で、はちきれんばかりの笑顔で、声をかけてくれる。車回しの両サイドに、びっちりと隙間なく並び、盛大な花道を作ってくれる。こんなに立派な花道は、卒業式だって見ることができないだろう。

 自分の存在を心待ちにしていた人が、こんなにたくさんいる。自分の存在を心から喜んでくれる人たちが、こんなにたくさんいる。意味が分からなくて、心音は突然、不思議の国に迷い込んだ気分になってしまう。

 一本の道が見える。一本の道しか見えないのに、どこへ進めばよいのやら、わからなくなってしまう。肩を縮こませ、恐るおそる、クス子の方へ振り返る。

 クス子は校門に体を預け、ニマニマと笑っていた。どーぞお先に、と言わんばかりに、首を傾げて。

 心音は感謝の気持ちを込めて頷き、こっそりと、みんなにバレないくらい、こっそりと足を踏み出した。

 誰も怒らない。

 ちょっとだけ勇気を出して、いつもの一歩を踏み出した。

 誰も怖がらない。

 今度は自信を持って、大きな歩幅で歩き出した。

 みんなの中へ、みんなと同じ世界へ――



 歌姫と呼ばれた女の子は、その子のためだけに作られた花道を、軽やかに進んで行った。女の子の通ったあとを、みんなが我先にと追いかけていく。

 それを見て、クス子はこっそりと呟く。

「こりゃ、明日の一面すごいことになるぞ」

 校内新聞の特別号外、タイトルも内容も、全部、今この瞬間に決まった。記者としての腕が鳴る。その気持ち、本業たる私には、痛いほどよくわかる。

「ぜぇ……ぜぇ……おっじょっ……」

「はあ……ひーっ!」

 四、五人のヤクザが、ようやっと坂を上ってきた。ぴちぴちの高校生とは違うのだ。いい歳こいたおっさんどもに、この坂は相当堪えるはずだ。

 クス子は自ら先頭に立つ。いつの間にか校門の外に出来上がっている、大きなおおきな人の壁の先頭に。

 柔道部や剣道部に所属する高校生、有志で集まった屈強な大学生、我が子の文化祭を見に来ていた大人たち、中には、小さい子供まで……街中の人が横並びになり、心音を奪還しに来たヤクザたちを、中に入れさせまいとしていた。

 白崎組の組員たちは、どこかに隙間が無いかとウロウロするのだが、街の人たちの結束は固い。互いに腕を絡ませ、ネズミ一匹通さぬ、鉄壁の守りを作り上げている。

 さすがのヤクザも多勢に無勢。それに、ここで騒ぎを起こせば、タケダだけではなく、全警察官がすっ飛んでくるということを、彼らも分かっているのだ。

「くそ!そこをどけ!中にいれえ!」

 目と鼻の先でヤクザに怒鳴られようとも、クス子は眉一つ動かさなかった。

「ここから先には入れさせないよ!心音ちゃんの歌に救われた人が、一体どれだけいると思ってんのさ。これが!この街の答えだ!」

 やあ親友、君の大切な人は、ちゃあんと送り届けたよ。



 コメダ珈琲の窓際の席で、私はパソコンから手を離した。あ、ちなみにSurface派よ?私は。MacBookではなく。

 おかわりしたコーヒーをすする。窓の外を見ると、大勢の人が、大名行列のようにぞろぞろと歩いて行く。スマホを片手に、全員、目指している方向はたった一つだ。

 Surfaceの小さな画面には、私の描いた記事がでかでかと表示されている。その内容をかいつまんで言うと、こうだ。

 ネットを騒がせた歌姫は指定暴力団白崎組の一人娘、白崎心音その人であり、心音がパタリと姿を消したのは、他でもない、実の父親である白崎組現組長に、自宅軟禁されているからだ。

 何の証拠もない、いわゆる週刊誌が得意とするところの、〝関係者の話〟が情報源だ。事実と異なれば白崎組から訴えられるか、記事を書いた私自身に何らかの危害が及ぶ恐れがあった。

 それでも、ネット上で一大ムーブを巻き起こしていた〝歌姫〟に人々は食いつき、Twitterを始めとするSNSや、各種ニュースサイトでこの記事は大きく取り上げられた。人々の作る大きなうねりは、彼女の窮状を瞬く間に世に知らしめ、彼女のファンだった者たちや、響やジン、私のように、文字通り彼女に人生を救われた者たちを突き動かした。

 無論、記事に対する怒りの声が少なからずあったのも事実だが、Twitterのタイムラインは歌姫のハッシュタグで溢れかえり、街中の人が彼女のために立ち上がったことを知らせていた。中には、隣町や遠方からも、急いで駆け付けるという声まであった。

「あーあ」

 コーヒーを机に戻し、大きく伸びをした。Surfaceの隣に置いていたスマホが、ブーッ!ブーッ!とやかましく主張していた。

「こりゃ私、クビかなぁ」

 でも、私は満足していた。

 あの日、彼女を苦しめてしまったこの手で、今度は彼女を救うことができたのだ。

 台風一過の太陽を見上げ、私は笑った。




 皆に導かれ、心音は体育館までやってきた。

 真っ白なワンピースで、真っ白なサンダルを履いて、白百合のような手に、マイクを持たされて。ステージの真ん中に立っている。

 舞台袖には、マイクをセッティングしてくれた、名前も顔も知らない生徒たちがいる。分厚い垂れ幕の向こうには、人々のさざめきがある。

 背中には、響の熱が残っている。

 幕が上がる。

 何百人もの拍手喝采と、何本ものスポットライトが、心音に目をつむらせる。

 地鳴りのような振動が、体育館を支配する。その中心に、心音はいる。


『うん!私、ピアノ大好き!お歌さんも、大好き!』


 ――柔らかい温度と、暖かい匂い。

 お母さん、来たよ。

 心音は晴れやかな顔で笑った。

 深い感謝の気持ちをこめて、お辞儀した。

 拍手がすっと引くのと同時に、すぅ、と息を吸った。



 ずぅっと、ずぅっと、僕は、歌える

 君の声が、ここにいるだけで


 Ah……



 世界が誕生した時、もしもそこに彼女がいたならば。

 この声ほど、祝福にふさわしいものはなかっただろう。

 色で表すなら澄みきった白、感触で表すなら極上の絹。飾り気がないのに、誰にも譲らぬ存在感がある。体育館から漏れ出す音だけで人は釘付けになり、中で聞いている者は、一人残らずその虜となった。

 なにもかもを美しい旋律にゆだね、街中が、幸せの音に満ち溢れた。



 音も、光も、すべてなくなったあの日

 愛も、歌も、すべて消えてしまった日


 広い、宇宙で、僕はたった一人

 誰にも、見つけられない、隅っこの星


 近づけば、傷ついて

 よけようとするたび、つまづいて


 だけど、君は、僕を見つけ出す

 誰にも真似できない、秘密の力で


 だから


 ずぅっと、ずぅっと、僕は、歌える

 君が教えてくれた、本当の愛で

 ずぅっと、ずぅっと、僕は、歌える

 君の言葉が、ここにいるだけで



 心音の歌は、駆け付けた役場の職員によって拾われ、町内放送のスピーカーから大音量で流されていた。

 駅に降り立った人が、坂を昇る途中だった人が、その歌に励まされるように歩みを進めた。家から出られない老人が、公園で遊んでいた子供たちが、その歌に合わせてハミングを奏でた。誰かがネットでライブ配信を始め、心音の歌が、世界中に広がっていった。

「姉御……」

 響に組み伏せられていたヤクザが、急に暴れるのをやめ、涙する。

「姉さん……」

「姉さん!」

「奥様……」

 ヤクザたちは、その澄み渡る声を一秒たりとも聞き逃すまいと、全身を研ぎ澄ませている。

 響はヤクザから手を離し、街中を染め上げている心音の声を見上げる。

 ヤマダの息子に手招きされ、その車に向かって走り出す。



 空と、光と、も一度であったあの日

 鳥と、冒険と、初めてであった日


 広い、宇宙で、僕はたった一人

 君だけ、に見える、隅っこの星


 重ねるうちに、気付く

 君の優しいウソと、ホント


 だから、僕は、君に伝える

 僕だけが使える、秘密の魔法で


 ずぅっと、ずぅっと、君は戦う

 僕の、歌に、寄り添うために

 ずぅっと、ずぅっと、君は走る

 僕の、記憶を、ここに抱いて

 ずぅっと――

 ずぅっと――



 太陽の昇り、月の輝き

 虹の架け橋、鳥のさえずり

 愛の唄が、紡がれるとき――


 響き……渡る……!


 ここへ!


 ずぅっと、ずぅっと、君は戦う

 僕たちが、始める、本当の人生たび

 ずぅっと、ずぅっと、君は走る

 その手に、握るのは、心音こころね一つ


 ずぅっと、ずぅっと、僕は、歌える

 君が見つけてくれた、この場所で

 ずぅっと、ずぅっと、僕は、歌える

 君の声が、ここにいるだけで

 ずぅっと――

 ずぅっと――



 役目を終えたジンは、一人組事務所の前にたたずみ、メビウスを咥えた。百円ライターをカチリと言わせ、先端に火をともす。

「ふぅ……」

 ウマい。非常に。


「あぁ……カナデ……カナデぇ……」

 白崎のオヤジがさめざめと泣き崩れるのを、ミロクは運命さだめのように見つめていた。

 自分の役目は終わった。その結果がこの歌だというのなら、またとない誉れだ。

「オヤジ、もうわかったでしょう。これがお嬢の生き方です」



 君の歌を、聞かせて、聞かせて

 閉じた、僕の、心に

 君の声が、教えてくれた


 僕は、ここにいるよ



 割れんばかりの拍手が、体育館の窓ガラスを震わせ、床をきしませ、天井まで揺らした。学校にいた人がみな湧きあがり、街にいた人がみな笑っていた。

 静かに幕が降ろされ、ステージは真っ暗になった。心音は限りない幸福に満ち満ちていた。

 左から熱い視線を感じ、心音は振り向いた。

 そこには、心音が一番会いたかった人がいた。

 舞台袖にたたずむ響は、いつの間にか着替え、自分の服に戻っていた。アディダスのリュックサックを背負って、準備万端と言いたげに笑っていた。

「「「アンコール!アンコール!」」」

 垂れ幕の向こうから、人々の声が聞こえてくる。


 心音にも負けぬその歌声に、響はニヤリとした。


 白崎心音は満面の笑みを浮かべ、右手をぐっと掲げた。


 一ノ瀬響も、右手をグッと上げ、それに応えた。


 言葉はいらなかった。


「「「アンコール!アンコール!アンコール!——」」」


 今なら、そう、私にもわかる。




 心に響く、音はあるか?

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心に響く音はあるか 影宮閃 @iejitaisa

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