#14 ノスタルジア
==================================
【ノスタルジア】
1983年 イタリア、ソ連合作映画
監督:アンドレイ・タルコフスキー 出演:オレーグ・ヤンコフスキー エルランド・ヨセフソン ドミツィアーナ・ジョルダーノ
==================================
◎
夏休みが明け、映画研のすべての自主映画の追撮も終わると、桜はもうサークルには顔を出さなくなった。
もともと班でも俳優部としての役割だったので、ポストプロダクションにおいては特に入用ではなかったが、まったく部室に現れない桜のことは部員たちも薄々気付いていた。
最近では、秋彦が早季と付き合っている、というのが、部内でも公認となりつつあった。秋彦も、あえてそんな噂話を否定するようなことはしなくなっていた。
秋彦と早季の話が、桜の耳にも届くようになってきていた。
それが桜の足が遠のいた原因なのだと、サークル内では定説となっていた。
噂によれば、早季が秋彦と付き合いだしたのは、昨年の秋――大学の学園祭が終わったあたりからのことらしい。
その時期といえば、ちょうど桜が受験勉強が忙しくなり秋彦と会えなくなりはじめた頃だ。
早季のことは嫌いではない。
彼女の物怖じしない気さくな雰囲気を、桜はむしろ気に入っていた。先輩後輩という関係だけでなく、人として彼女の性格を憎めなかった。
秋彦のことがなければ、わだかまりなく友人となれただろう。
けれど、今はもう――
少なくとも。
桜は早季と会うのが辛かった。
早季の顔をみれば、嫌でも秋彦のことを思い出す。
秋彦とは、いつの間にか疎遠になっていっていた。
それと重なり周囲の噂による決定的事実が顕になり、桜との関係は冷えていった。
秋彦と一緒に過ごすため同じ大学に進み、同じ映画サークルに入ったにも拘らず、時間は桜の望む軸へと進んではくれなかった。
秋風が肌に沁み入る頃、桜は秋彦との関係が完全に終わったことを悟った。
0《ゼロ》号試写の誘いも断り、学園祭の時期となっても、桜は自分の出演したサークルの映画をその目で観ようとはしなかった。
学園祭の喧騒は最終日を迎え、陽が傾くにつれ構内に静寂の波頭を寄せながら、まだ明りの灯る屋台では売れ残った焼きソバやお好み焼きの投げ売りが始まっていた。
祭りの終焉を背景に、以前は秋彦とふたりでひとときを過ごしたキャンパスのカフェテリアで、桜は学園祭の片付けに精を出す学生たちを傍目に、着信のないスマホを
――あたし、なんのために、
この大学に入ったんだろうなぁ……
季節は桜の想いを置き去りにして過ぎ去っていく。
窓にカサカサと触れては散りゆく枯葉を眺めながら、桜はふと春の出来事を回想していた。
日本海を背にした、おおきな観覧車。
秋彦が連れていってくれた海を臨む公園。
ふたりで見た蜃気楼。
あの水平線に消えた幻が、最後の想い出となった。
* * *
桜が正式に退部届を出し、大学の映研サークルを去ったのは、学園祭が終わってほどなくのことだった。
カレンダーが師走を迎えると、北国の雪の降る日が次第に増え、街の風景がクリスマス色に一変した。
商店街や繁華街の装飾を追いかけて、冬将軍も桜の住む地方都市に腰を下ろし居座る時期になった。
休日の午後。桜が自分用のミルクティーを淹れダイニングでまどろんでいると、父・泰秀が甘い匂いに誘われて
「おっ、いいものを飲んでるな」
と言いながらダイニングに入ってきた。
そういえば絵笑子の姿を見かけないな、と思った桜が
「絵笑子さんは?」
と訊ねる。父は
「ああ、なんか学生時代の友達と会う、とか言って出かけてったよ」
と返した。
「ふーん」
桜が相槌を打ち、
「お父さんも飲む?」
そう父に勧めると、泰秀は「ああ」と頷きながら自分の席に着いた。桜も笑顔で応えポットを温めはじめた。
ホットミルクの中に落とした茶葉が開き踊り出すのを見計らい、桜はポットからマグカップに注ぐと、
「はい」
と父に差し出した。
それを泰秀が両手で受け留め、ひと口啜ると、
「あー、
と感嘆の声を漏らした。
「あったまるでしょ」
桜がやや自慢気に返す。
続けて二、三口啜ってから泰秀がマグをコトリとテーブルに置くと、
「だいぶ、お母さんのミルクティーに近づいてきたな。もういい勝負かもなあ」
と、しみじみと呟いた。
言われた桜がはにかみながら
「まだまだだよ……」
と言葉を返す。
互いに言葉にはしないが、父娘はもうすぐ12月25日という日を思い描いた。
「また、クリスマスがくるね……」
娘の漏らした呟きに父ガ応じる。
「うん……」
父と娘は、ミルクティーの湯気に包まれながら、いまここにいない一人の存在を感じていた。
この家族にとって、その日はクリスマスという祝祭の日ではない。
3年前から、哀しみを思い出す日となってしまった。
「そうか……三周忌か……」
カップの中の白を見詰めながら、しみじみと泰秀が呟く。
一昨年の一周忌のときは絵笑子も加えた家族でささやかなセレモニーを行ったが、去年は桜の受験のため何もせずにこの日を了えてしまった。
せいぜい、桜が自室でひっそりと蝋燭を1本灯し、母を偲んだだけだった。
今年は、もう少し家族で亡き母を偲びたい。
ぼんやりとマグカップに視線を落とす泰秀を見て、おそらく、父も同じも思いだろうと桜は感じた。
カップの中が1/3程に減った頃、思い出したように泰秀が
「そういえば、桜――今月いっぱいで、あの名画座閉めちゃうらしいよ」
と桜に話しかけた。
桜が驚いて聞き返す。
「え!?」
マグカップを置き桜が問い直した。
「う そ……」
泰秀が桜の狼狽を受け留める。
「ニュースでやってて、びっくりしたよ。お父さんも学生時代からよく通ってたしなあ」
マグカップを口に運び、感慨に耽るように泰秀が続けて呟いた。
「まあ、ああいった街なかの名画座は、厳しくなっちゃってたんだろうなあ」
以前に父が話していたが、かつてはこの街にも至るところに大手系列の映画館や名画座がひしめき合っていたという。TVの普及と呼応するように次第に劇場の数も減っていき、更にはシネマコンプレックスの登場で、独立系の映画館はほぼ駆逐され尽くしてしまった。名画座もレンタルビデオの登場とともに数を減らし、今ではこの劇場が市内では唯一の名画専門映画館になってしまっていた。それさえも配給会社からなかなか人気作を貸し出してもらえず苦労している様子だ、というのはプログラムの組み方から伺い知れた。
加えて追い打ちをかけるように、近頃は昔の名画もデジタルリマスターなどが盛んに行われ、シネコンでも定期的にプログラムされるようになっている。
名画座の意義そのものが、今の時代では見失われ始めている。
桜にとっても、初めて秋彦に連れて行かれて以降、雰囲気が気に入りよく通った劇場だった。
何より、以前住んでいた土地にあった、小ぢんまりとした名画座と
佇まいがよく似ていた。
――あの映画館が……
その名画座が、年内いっぱいで閉館する。
父から聞いたその話が、桜の心にじわじわと沁み込んでいく。
それとともに言いようのない寂しさが胸に穴を穿ち、徐々に大きくなっていくようだった。
* * *
父の言っていたことを確認したくて、桜はスマホを弄り劇場のウェブサイト開いてみた。
『54年間ありがとう さよなら特集』――。
トップページを開いた瞬間、表示されたのはこんな文字だった。
オープンが54年前ということは、昭和の時代だ。
記述されていたこの館の歴史をざっと斜め読みしてみる。
もともとは別の場所にロードショー館として戦後に開館したが、十数年後に火事で焼失。その後現在の地で再オープンしたらしい。高度成長期とともに劇場も時代を歩んてきたが、映画産業の衰退に伴い客足も減少、その後二本立名画座としての活路を探り現在まで興業を続けてきた、ということが綴られていた。
父・泰秀も通い始めた高校生の頃は既に名画座としての営業となっていた。
閉館特集で「54年」と謳っているのは、現在の建物になってからの歳月を表している。
ニュース記事などを拾い読みすると、閉館後は建物は解体され、その後は映画館以外のものがオープンするらしい――
映画というもの・映画館としう存在が、世の中から姿を消してゆくのを目の当たりにしているように桜は感じ、寂寥感に囚われた。
閉館特集のラインナップをサイトの上映スケジュールで確認すると、ある二本立プログラムに目が留まり、桜は思い立った。
――この日、観に行こう――
12月26日のプログラム。
上映作品、
ビクトル・エリセ監督作品――
『エル・スール』と、
『ミツバチのささやき』。
* * *
冬休みに入って間もない朝。外出の身なりをした桜は絵笑子と廊下で鉢合わせすると、
「ちょっと出かけてくるね」
と軽い挨拶をして玄関へと向かった。
絵笑子が桜の背中に声をかける。
「あら? 桜ちゃん、だってきょうは――」
「わかってる」
そう言うと桜は靴を履き、ドアノブに手をかけながら
「夕方までには帰るから」
と返事を残し玄関扉を閉めていった。
白い息を吐きながら、桜は市電の停車場へ急いだ。
固くなった雪の表面が足を
キン、と凍った朝の空気が桜の肺を射抜く。
手袋を忘れたことに気付いたが、急いた気持ちはいま来た道を戻ることを拒み、桜は
スマホの乗換アプリで時刻を確認する。
大丈夫。目的駅に着いてから、まだ30分以上余裕がある。
ガタンガタンというリズミカルなレールの振動に心を同調させながら、桜の中でさまざまな想いが交錯しては流れていった。
街に溢れるジングルベルを耳にすると、桜は哀しみに
また、この日が巡ってくるのかと、胸が締め付けられて、その場を動けなくなる。
三年前の気持ちが生々しく蘇ってくる。
事故さえなかったら、母とあの地で暮らしていっていたのに。
母がいて、幸生がいて、つつましやかな幸せに包まれ暮らしていただろう。
けれど、幾度胸掻き
失くした時間は戻らない。
この三年で、桜は諦念を学んだ。
昨年、相手側との示談が成立した。
加害者への憎しみはあるが、ずっとそれを抱えて生き続けるほうが、たぶん苦しい。
どこかで区切りをつけなければ、前へは進めない。
桜はそんな結論を下した。
車内のアナウンスが次の停車駅の伝え、目的地の名を読み上げている。
市電が停車すると、数人の降車客に
暖房のよく利いた車内から出ると、ぴゅうと北風が桜の頬を凍て付かせた。
繁華街を通って名画座へ向かう。まだ開店前の軒が並ぶアーケードにも華やぐクリスマスの装飾が彩られ、朝からクリスマスソングがスピーカーから流れている。
あの日以来、クリスマスソングは嫌いになった。
けれど、もうそれを乗り越えなければならない。
それが桜の三年後の決意だった。
* * *
人もまだまばらな街を進みながら、桜は、時間にかなりゆとりを持って映画館へ着いていた幸生のことを思い出した。
――幸生くんの場合、いつも45分は前に到着してたもんなあ……
それがせっかちな性格のせいなのか、心配性のためか、幸生なりのルーティンなのかは、結局訊き質すことがないままだった。
アーケードが途切れ、レンガ模様の道になる。片付けの残りの雪をさくさくと踏み締めながら足を留める。正面に市内にただ一つの名画座を桜は仰ぐように目に灼き付けた。
桜がこの劇場を独りで訪れるのは初めてだった。
以前は秋彦がよく連れてきてくれていたが、関係が終わってから足は遠のいていた。劇場公式サイトのスケジュールもチェックしなくなっていたので、閉館の話は父から初めて知らされたくらいだった。
建物壁面を飾るショーウィンドウには、いつもの上映中のポスターやプレスシートに並んで、「閉館のおしらせ」や「さよなら特集」といった告知の紙が並んでいる。
平日の朝だというのに、劇場の券売機には十数人の客が開館を待ち並んでいた。年配の男性。若いカップル。零下にまで下がった明け方の冷え込みの残る中、寒さに耐え一様にポケットに両手を突っ込み、足踏みをして待っている。
「すごいなぁ……」
寒風にも敗けず閉館を惜しむ人々の熱気を感じ、桜は感嘆した。
桜が最後尾に並ぶと、次第に列が伸び、10分後には開場が前倒しされ劇場の扉が開く頃には50人は超える人々が並んだ。
入口で劇場スタッフの年配の男性――おそらくは館主だろう――が、笑顔で「いらっしゃいませ」と客を出迎えチケットをもぎりする。馴染客と思われる年配の男性が「寂しいね」と声をかけていく。
桜も軽く会釈を返し開いた扉をくぐった。
閉館に向けて『54年間ありがとう さよなら特集』と銘打った特集上映が開催されていた館内は、洋画邦画を問わず古今東西の映画ポスターでロビーの壁面が埋め尽くされていた。
12月はまるまるこの閉館に向けた記念特集となっている。大晦日、最終上映回の後には、申し出があれば館内の不要となる廃品を持ち帰ってもいいという告知も貼られていた。
秋彦と幾度も通った、市内唯一の名画座。
父も足繁く通い詰めた映画館。父の幼い頃には「二番館」「三番館」という位置づけだったと、数日前の夕食時に卓で語っていた。その言葉の意味は桜には解らなかったが。
地元人でもある父と絵笑子にとっても、この劇場は想い出深い場所だ。ふたりも数日前に見納めに来館したようだった。
ふたりが高校時代に一緒にこの場所で観た二本立と同じプログラムがスケジュールにあったという。
『いちご白書』と『アリスのレストラン』。
この2作も、壁に並ぶポスターの中に見つけた。
父がなんでこの二本立を選んで絵笑子を誘ったのかはわからない。
改めて問い質してみても「うーん……どうしてだったかなぁ」とはぐらかされてしまった。
ほんとうに忘れてしまったのかもしれないけれど。
絵笑子によれば、高校時代に泰秀とこの映画館に来たのは、その一度きりだったという。
「そうだったかなぁ」
「そうよ。泰秀さん、そういうことは忘れちゃうんだから」
ふたりのやり取りを眺めながら、桜は
(仲がいいんだな)
と思った。
12月26日のこの日、上映されていたのはビクトル・エリセ監督の『エル・スール』と『ミツバチのささやき』。
奇しくも、三年前の同じ日、幸生と一緒に行った名画座で観たのと同じ二本立てだった。
座席を確保すると、桜は上映開始までの合間にロビーに戻り、じっくりとポスターの壁を眺めた。
『さよなら特集』は日替わりプログラムで、一見すると古今東西の名画が特に脈絡なく組まれているように感じた。
ざっと眺めても、知名度のある作品だけでなく、どちらかといえばややマイナーながら心に残るようなタイトルが目立つ。
おそらく館主の思い入れのある作品たちが集められているのだろう。列記されたタイトルを眺めているうち、桜にはそう思えてきた。入口でもぎりしていたいかにも50代半ばの館主を思い浮かべれば、あの人物が青春時代に名画座で観まくったであろう題名が並んでいたからだ。
壁いっぱいのこの名画座を彩った数々の映画のポスターの中には、今回上映されるものもある。
どのポスターも、この館の保管していた公開当時のもの、ということだった。
どれも状態が綺麗だ。この劇場がいかに映画を愛し大切に扱ってきたかが伺えるようだった。
2001年宇宙の旅。時計じかけのオレンジ。
バリー・リンドン。ベン・ハー。
未知との遭遇。スター・ウォーズ。
タワーリング・インフェルノ。大地震。
ジョーズ。オルカ。
惑星ソラリス。ストーカー。
ジーザス・クライスト=スーパースター。ヘアー。
屋根の上のバイオリン弾き。オール・ザット・ジャズ。
第三の男。カサブランカ。
サイレント・ムービー。オー・ゴッド!。
アニー・ホール。マンハッタン。
カイロの紫のバラ。ラジオデイズ。
アラビアのロレンス。ドクトル・ジバゴ。
田園に死す。書を捨てよ町へ出よう。
ボクサー。無頼漢。
ツィゴイネルワイゼン。夏の妹。
洗浄のメリークリスマス。マックス・モナムール。
旅の終わり。津軽じょんがら節。
赤い鳥逃げた?。八月の濡れた砂。
薔薇の葬列。月曜日のユカ。
道。オーケストラ・リハーサル。
ベニスに死す。若者のすべて。
山猫。ニッケルオデオン。
ファントム・オブ・パラダイス。ロッキー・ホラー・ショー。
イージー・ライダー。スケアクロウ。
オー・ゴッド!。クレイマー、クレイマー。
真夜中のカーボーイ。狼たちの午後。
俺たちに明日はない。明日に向かって打て!。
タクシー・ドライバー。ミッドナイト・エクスプレス。
勝手にしやがれ。気狂いピエロ。
東京暮色。素晴らしき日曜日。
僕は天使ぢゃないよ。三月のライオン。
廃市。浮雲。
ゴッドファーザー。ゴッドファーザーPARTⅡ。
マラソンマン。地下室のメロディー。
ロッキー。ロッキーⅡ。
太陽がいっぱい。冒険者たち。
ひまわり。戦艦ポチョムキン。……
誰もが知ってるような名作や、桜が知らないタイトルもある。
年配の夫婦らしい二人連れが一覧を眺めながら
「懐かしいねえ。昔はこの二本立が名画座の定番だったんだよ」
と話をしている。
桜はその中のひとつに目を留めた。
「あ……」
飾られたポスターの中に『シェルブールの雨傘』があった。
以前桜が見たことのあるものとは若干デザインが違う。
「そっか……これも、上映するんだ……」
さよなら特集の「ミュージカル編」と銘打った1プログラムでの併映だった。
それぞれのプログラムには小さな紙きれに短いコメントが添えられている。
どれもそれぞれの映画への思い入れを偲ばせる温かい文章だった。
大晦日の最終日には『ラスト・ワルツ』と『ラスト・ショー』がクロージング作品として選ばれていた。
ここの館主が「一番好きな映画」ということで選んだというコメントが添えられていた。
劇場スタッフが手で鐘を振り、「まもなく上映開始となります」とロビーを巡り開始を告知して回った。桜も促されホールに戻り、確保していた席に着く。
昔ながらの開幕ブザーとともに次第に館内が暗転していく。緞帳が上がり銀幕が姿を表すと同時に、スクリーンに四角い光が投影され、まずは予告が流れ始めた。
秋彦との関係が冷えて以後、桜は、この名画座を訪れてはいなかった。
特に観たい映画がかかっていたわけではない。
シネコンへも足が遠のいた。
行って秋彦や早季と鉢合わせすることを避けたかった。
けれど、なんとなく、気分を変えたいと、ずっと思っていた。
スクリーンへの枯渇感は、募っていた。
ひさびさの劇場で味わう光影のシャワーは桜に心地よかった。
映画館で、映像を浴びていれば、きっといろんなことを忘れていられる。
辛いことも、苦しみも。
泣きたいことも。
――ああ、やっぱり、映画っていいな――
桜はしみじみとこの体験を心留めていた。
スクリーンで3年振りに観るビクトル・エリセの映画に揺さぶられ、桜の深層に沈んでいた意識が掘り起こされた。
この映画を観ているさ中に、母は事故で還らぬ人となった。
桜の中で、映画に集中しようとする理性と、フラッシュバックし襲い来る哀しみとの葛藤が渦を巻いていた。
どうしてこの日にここに来てしまったのだろう。そんな悔やみも心に湧いたが、自ら
――お母さん。
きょうは、お母さんの三周忌だね。
この日が母の命日となってしまってから、桜にとってその前日のクリスマスは祝祭の日ではなくなってしまった。
あれ以来、聖夜の翌夕にはクリスマスキャンドルではなく、毎年ちいさな白い蝋燭をひとつ灯し、静かに亡き母を偲ぶ。
けれど、今年はその儀式の前にここに来た。
三年前のあの日、
あのときと同じ映画を、スクリーンで観ることができたから――
これもまた母への弔いなのだと、桜は自らを諭した。
* * *
休憩に入り館内が明るくなると、次の上映の開始に合わせて客が扉から押し寄せて入ってきた。名画座の二本立の場合、昼過ぎ直後の回がいちばん混雑する。朝一番で入場した観客はまだ退場せず、入れ替えることなくこれからの客が増すからだ。
座席はすべて埋まり満席な状態となった。
2本目の本編上映前の予告編がはじまる。館内に、父の持っていた輸入盤のサントラに収録されていた、哀切漂う聴き慣れた旋律が流れた。
「あ……」
桜が思わず声を漏らす。
画面に
『シェルブールの雨傘』。
桜が初めて触れる、思い焦がれた映像。
どうやら数年前にリバイバル公開されたときに作られた予告編らしい。
――こんな映画なんだ……
映像とサウンドトラックの旋律が桜の心にぐさぐさと突き刺さる。
幸生の言葉が鮮やかに脳裏に蘇る。
“いつか、いっしょに観よう――”
交わしたあの約束を、桜は忘れてはいなかった。
感極まった瞳が涙滴で滲み、スクリーンが歪む。
桜の中で、幸生の声とフレーズが響き続けていた。
* * *
夜、自分の部屋に帰り着いてからも、桜はあの予告編の映像と音楽が頭から離れないままだった。
まだあの旋律が頭の中でリフレインを続けている。
ベッドに斃れ込み、しばらく天井を仰いでいたが、何気なく横に置いたスマホを手に掲げると、桜の指はスマホの画面を辷りLINEのともだちリストを呼び出した。
うつ伏せに寝返りをし、リストをスクロールしていく。大学の学科の友だちや、映画研サークル仲間が続く。 秋彦の名も流れていく。
かなり辿ったところで、やがてスワイプしていた桜の指があるリスト名で停まった。
懐かしい名前。
桜はそれを小さな声で読み上げた。
「いざき……ゆき、お……」
幸生のトーク欄は、ずっと下位になってしまっていた。
あれきり、幸生とは会話をしていなかった。
それでも、ともだち登録を削除できない未練が桜の中に燻っていた。
指が『削除』ボタンに触れる。
『削除しますか?』と確認のポップアップが出る。
はぁぁと溜息を吐き、固まった指で桜はポップアップを閉じた。
桜の中で、様々な想い出が浮かんでは消えていった。
――幸生くんて、ぶっきらぼーで、ぶあいそで、
気が利かなくて、
いつもいつもいつもいつも映画のことばーっかしか頭になくって、
――でも、
そんな幸生くんが――
――たまらなく、好きだった……。
ガラススクリーンにポタポタと
スマホの画面を眺めながら、桜はひとりさめざめと泣いた。
* * *
年末まで「さよなら特集」が組まれたこの劇場の閉館の最后を飾るのは、レイトショーでの『ラスト・ワルツ』の追加上映に決定した。昼の『ラスト・ショー』の併映に継いでの別枠プログラムだ。
桜がビクトル・エリセの2作を観に行ったとき、壁に貼られたスケジュール表には「緊急決定!!」の文字が書き足されていたので、リクエストを受けて組まれたのだろう。
終映は深夜。23時を過ぎ、午前0時のテッペンを超える直前に幕が下りるタイムテーブル。
この日の賑わいから予想するに、最終上映は、おそらく満席になるだろう、立ち見も出るかもしれない。
それでも――
――来よう。
観賞後、外に出ると、退出する客の流れに逆らいながら劇場を振り仰ぎ、桜は心に決めた。
* * *
12月31日。
大晦日の夜が来た。
桜が劇場に到着したときには、既に狭いロビーに最終上映を待つ観客がひしめきあっていた。皆、この劇場の最后を見届けようと厳かな面持ちでその時を待っている。
ここにいる者それぞれの中に、それぞれのこの場への想いがあるのだ――
人々の群れの中に埋もれながら、桜はそう感じていた。
桜もまた同じように、己自身の想い出がある。
ここに来たのは、自分の人生のひと欠片を再確認する行為だった。
いつもの券売機ではなく入口受付で手売りされた鑑賞券に印字された整理番号は、定員数の半分をやや上回るほどの数字。混雑を予想してかなり早めに来たつもりだったが、やはりこの特別な夜を過ごしたいと考えるファンたちは多かったようだ。
それでも、入場できるだけましか。桜はそう思った。
案の定、入場時間の10分前には券は完売となり、レイトショー目当てに来た客が何度もスタッフから頭を下げられ諦める光景が入口で続けられた。
「たいへんお待たせをいたしました。ただ今より最終上映の入場を開始いたします」
桜が到着して1時間ほども過ぎただろうか。溢れかえるロビーの客の数が限界とみたのか、予定時刻より少し早めに入場が始まり、客たちが整然とフロアへと流入する。
桜も流れに従い座席を探す。
ちょうど女性客が確保した隣りの空席を見つけ、
「そこ、空いてますか?」
と女性に確認すると頷いたので、桜はぺこりとお辞儀を返し、座面に倒した席にバッグを置いた。
女性からみて右の席。
無意識に、自分の座る左側には気をつける習慣が桜にはついていた。
席を確保して安心すると、桜はいったんロビーへと戻った。
これまでに見たこともないくらいの混雑となっており、桜はやや面食らった。
多くの客が壁に貼られた映画ポスターに見入り、スマホで写真に収めている。
この日の昼の部上映の作品のロビーカードにも人だかりができ、ゆっくりと文を読むこともできないくらいだ。
しばらく文字を追っていた桜も、読むのを諦めるしかなかった。
「まもなく上映開始となりまーす、席にお着きくださーい」
いつものようにスタッフが鐘を鳴らしながらロビーを練り歩き、客らに着席を促す。
ルーティンの見納めを、館内の誰もが心に刻みつけようと耳を澄ませた。
桜もフロアに戻り、先ほど確保した席に座る。
開幕を告げるブザーが鳴り、いつものように館内が暗転し銀幕に光が灯る。
この劇場のいつもの風景。
けれど、もう明日からは失くなる景色。
『ラスト・ワルツ』の上映が始まる。
マーティン・スコセッシ監督作品。1978年の映画。
ザ・バンドの解散ライブを追ったドキュメンタリー。
桜はこのバンドの名に聞き憶えがない。それはそうだ。このバンドが解散したのはもう40年も昔。その後再結成もされたが、桜が生まれた頃にはとっくに存在していなかった。
けれど、次々とステージに登場する多彩なゲストたちの中には、桜も知っているミュージシャンもいた。
父のCDコレクションに紛れていた名だ。
エリック・クラプトン、リンゴ・スター、ニール・ヤング、ニール・ダイアモンド。
そしてボブ・ディラン……
そんな中、桜のメモリを刺激する旋律がスクリーンから流れだした。
「あ、これ――」
桜が声を漏らす。
以前に、秋彦の部屋で見せてもらったDVDで、ドラマの中盤に流れていた印象的なカントリー調の曲だ。
――たしか、あの映画……
『イージー・ライダー』っていう題だったかな……
記憶を辿り映画のストーリーを思い出す。ラストシーン、俯瞰で捉えられた路が次第に小さくなり天を仰ぐ画がメモリから掘り起こされる。
桜にとって、あの内容はかなり刺激的で、ひとつの楔となった作品だった。
思わず自分の知る映画の記憶と重なるメロディに揺り動かされ、心が震える。
――やっぱり、
来てよかった。
おそらく、こんな特別なイベントがなければ、観る機会はなかったろう。
桜は
* * *
深夜となり、午前0時前に終映だったタイムテーブルの予定をオーバーし、テッペンを越える直前に幕が下りた。
エンドクレジットが始まると、どこからともなく拍手が起こり、それが館内フロア全体に拡がり万感の渦を巻いた。
二度と幕が上がらない、カーテンコール。
緞帳が降りてフロアの明かりが灯っても、その手拍子はしばらく鳴り止むことがなかった。
残る観客もまばらになった頃、桜もようやく腰を上げた。
席を立つとき、隣の席の女性と目が合い、互いに軽い会釈をした。
館外へ出ると、遠くで除夜の鐘が聞こえた。
ゴーン、ゴーン、と、ゆったりとしたリズムで百八つの音を刻む。
街の中心部の商業施設からか、花火が打ち上げられ、ドォンと星空が何回か明滅を繰り返していた。
桜はスマホのスゥイッチを入れ、登録してあるLINEのグループトークで父の泰秀と絵笑子に“いまおわったよ”と報告を入れた。
続けて桜の指がクリスタルの画面を動きメッセージを続ける。
“あけましておめでとう。
年をまたいじゃった。
せっかくだから、初詣のお参りしてから帰るね。”
送信を終えると、桜は駅の方向へと歩きだした。
――今年の初詣は、‘だいぶっつぁん'でお参りしよう――
そんな考えを巡らせながら、桜は夜の眠る街を漂う。
夜空を見上げ、桜の脳裏にふと母の言葉がリフレインした。
“どうにもならないときは、ね……運命に身を委ねるの”
――自分は、そんな生き方をこれまでしてきただろうか。
これから、そんな人生が送れるだろうか。
桜の自問は、いつまでも答えがみつからない。
それでも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます