#12 白い恋人たち
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【白い恋人たち】
1968年 フランス映画
監督:クロード・ルルーシュ、フランソワ・レシェンバック 音楽: フランシス・レイ
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◎
新年が明け、お屠蘇気分を満喫する
例年のように、試験実施日は1月の第3土・日曜日。
受験生たちは木枯らしに抗いながら試験会場へと向かった。
数日前に風邪をひいていた桜は、やや重たい頭を擡げながら、問題用紙と格闘していた。体調には注意していた筈だったが、年末年始のちょっとの気の緩みがウィルスの侵入を許してしまい、連日の勉強疲れが蓄積した体調を襲った。
乾燥を防ぐため着けていたマスクのお陰か試験中は咳は抑えることができたが、服用した処方薬のせいでぼんやりとした頭のまま、桜は精神力でなんとか試験を乗り切っていた。
1日目が終了し、会場の外に出てスマートフォンの電源をONにすると、秋彦からLINEのメッセージが届いていた。
“どう? 体調は
試験はうまくいった?”
“ダメ。ボロボロ”
“あともう1日だ
がんばろうね”
センター試験が終わるまでは会わないようにしよう――
桜は秋彦とそんな約束を取り交わしていたが、会えないでいることは切なさが募った。
風邪のせいで弱気にもなったのか、気持ちが抑えられず、桜はつい弱音を書き送った。
“ あ い た い ”
桜の送信に秋彦がすぐにレスをつけた。
“ボクもだよ 会いたい”
秋彦の優しい言葉が寒風の中の凍える桜の心を溶かした。
“来週、あおうね”
桜がレスを送信すると、すぐに『既読』が点き、親指を立てた『イイネ』のスタンプが届いた。
受験は辛いが、秋彦がいてくれる。
支えになってくれる。
桜はそう信じた。
――とにかく、もうあと1日。
がんばんなくちゃ。
この受験が終われば、
春からは、秋彦の大学に通える。
秋彦と、もっといっしょに過ごすことができる――
桜はその未来を願い、今を乗り切ろうとしていた。
帰宅した桜は、まずは体力の回復が一番と、明日の準備だけを早々に完了するとベッドに潜り込み横になりながら明日の再確認をしようと枕脇に参考書を置いたが、それを開く余裕もなく眠りについてしまった。
* * *
センター試験の2日目も桜の体調は相変わらずだったが、秋彦からのLINEの励ましが力となり、この2日間を乗り切ることができた。
明けて次の週末。
桜はおよそ3ヶ月ぶりに秋彦と逢瀬の時を過ごした。
シベリアから降りてきた寒波が本格的に襲来し、西高東低の気圧配置が列島全体を冷却した。
日本海側の空は今にも雪を降らせそうな重たい雲に覆われていた。
秋彦と桜は市電の停車場で落ち合うと、揃って秋彦の下宿近くの神社へお参りに行った。
桜のセンター試験が終わるまでは会うのを控えていたための、遅れての初詣だった。
お参りを済ませると、互いに示し合わせることもなく、決まっていたかのように真っ直ぐに秋彦の下宿へと向かった。
「う~~~、寒い寒い~っ」
凍えた体を部屋の真ん中に据えられた炬燵で暖める。
秋彦の淹れてくれたレギュラーコーヒーで一服する頃、点火した石油ファンヒーターの火も冷え切っていた空気をようやく緩ませだした。
暖気が部屋を満たしたところで、改めて秋彦が
「ともかく、センター試験、おつかれさま」
と桜を労った。
桜も
「うん」
と謝意を示す。
ようやく会う時間ができた安堵を、桜は噛み締めていた。
桜の受験勉強と同様、秋彦のほうも学園祭の準備などで時間をとられ、なかなか互いにタイミングを逸していた。
会うのを控えていたぶん、話したいことがいっぱい溜まっている。
ひと息吐いて落ち着いたところで、桜が話を切り出した。
「C5、ざんねんだったね」
この年も秋彦は大学のサークルで映画を制作しC5に応募したものの、選外となった。
「まぁ――毎年入選できるほど、実力はないってことさ」
桜が秋彦を憐れむような視線を送る。
秋彦がそんな桜を気遣い、炬燵の上に置いた桜の手の上に自分の手を添える。
「ホントは、今回も桜にこの役を演って欲しかったんだけど――」
桜が受験で参加できなかったので、今作は桜以外の女子学生が主演を務めた。
前年に映画研の作品がシネコンの映画祭に出品したことはそれなりに地域の話題となって、その恩恵で翌年度は入部する新入生が増えた、と桜は秋彦から聞いていた。
C5は選外となってしまったが、応募した秋彦の監督作には、新人部員の女学生が主演を務めた、という話だった。
桜にしても、秋彦の力になりたいとは思ったが、受験生の身としては諦めるしかなかった。
コーヒーの残りを啜りながら桜が訊ねる。
「今年は……どうするの?」
秋彦が天井を仰ぎながら答える。
「うーん……撮りたいのはやまやまだけど、いちおう4回生だしなぁ……就職も考えないといけないし……」
「そう……」
ぼんやりと空になったカップの内側を見つめる。カップの底に茶色い輪が沁みを作っている。
「ま、就活の状況しだい、かな」
就職して会社務めになってしまえば、秋彦も映画を作る時間はなかなかとれなくなってしまうだろう。
桜は、彼が映画を撮りたいのなら、できるかぎりサポートをしてあげたいと思った。
「就職、は――」
どんな職種を志望しているのか、桜は問いかけると、秋彦は質問の意味を汲み
「う~ん、できれば制作会社とかに入りたいんだけど……けど、こんな地方都市じゃあせいぜい結婚式のときに流す再現ビデオ作るみたいなとこくらいしか就職先無いし、なぁ……」
「……」
秋彦の愚痴ともとれる呟きに、桜は句を継げなかった。
桜の気を遣い、秋彦が明るく答えた。
「だいじょうぶ。なんとかなるから」
「うん……」
桜が小さく頷く。
もし、規模の大きな制作会社への就職を望むなら、
秋彦はこの土地を離れていくことになる――
桜は不安になって俯向いた。
会話が途切れ、秋彦が桜の頬に唇を寄せる。
桜もそれに応じ、
互いに、求めていることは解っていた。
「風邪、
「……だいじょう・ぶ……」
秋彦に誘われベッドに横になったとき、桜は妙な違和を感じた。
そのざわつきの理由が判らず、ただ気のせいだと心の置き場に仕舞った。
きっと、久しぶりにこの部屋に入ったためだ。
ファンヒーターの作動音がしゅうしゅうと部屋の静寂に沁みていった。
* * *
愛の行為が終わり、秋彦がベッドの中で囁いた。
「受験が終わって、春になったらね。連れて行きたい場所があるんだ」
「どこ?」
「ナイショ。受かったら教えてあげる」
場所が判らずとも、秋彦が連れていってくれるなら、どこでもいい。
秋彦が念を押す。
「じゃ、約束、ね」
「うん。約束」
ふたりはベッドに並んで指切りをした。
秋彦が「そういえば――」と思い立ち桜に質問する。
「幾つ受けるの?」
秋彦が訊ねたのは、受験校の数だ。
「ん、と――4つくらい、かな」
「ぜんぶ英文?」
「英文学科と、――あとは、同じ大学のメディア創造科を、ひとつ」
他の大学ではあまり聞かない珍しい学科。秋彦は記憶を巡らせた。
「へえ――そんな学科、あんまり無いよね……ウチのとこと……あとは、この周辺では――それと、関西のほうにあるくらいか、な」
「行かないよ、関西なんて」
「え……」
秋彦の中の解にはなかった答えを、桜が告げた。
「あたし、遠くに行かない。あなたと離れたくない」
そう言うと桜はぎゅっと秋彦の胸に顔を埋めた。桜の髪の匂いが秋彦の鼻腔を刺激する。
桜の胸の膨らみが、秋彦の肋骨に圧し当たり密着する。重なる肌の上でしっとりとした汗が混じり合う。
「あたし、ね――
あなたの大学、受けることにしたの。
いっしょに――
もっともっと、いっしょにいたい――から――」
桜はまだ秋彦の大学を受けることを告げてはいなかった。
いつ言おうか。そのタイミングをずっと図っていた。
秋彦をびっくりさせたかった。
――きっと、喜んでくれる――
そう信じてたから。
センター試験が終わった今が、その時期だと思った。
「――え?」
そのときの秋彦の狼狽の意味を、桜は気付かなかった。
いつの間に降りはじめたのか、秋彦の下宿の窓枠にも雪が
* * *
秋彦の通う大学にも文学部英文学科はある。
そして、もちろんメディア創造科も。
メディア総合学部。秋彦の入学した翌年度にできた、新設の学部だった。
桜はその2つを併願した。
冬将軍がどっしりと腰を落ち着け、この受験の時期に北陸の地を白雪のヴェールで覆った。
踏み硬められた根雪に歩を進めるたびにキュッキュと足が鳴る。桜は二度目を迎えるこの街の冬景色を好きになっていた。
――ここの冬は、あったかい――
湾からの潮風が届く。‘だいぶっつぁん’が瓦の波間からひょっこりと首を出す。寺町や城址公園の佇まいが落ち着いた風情を醸す。
けれど、桜がこの地に心捉えられたのは、風景のせいだけではない。
今は、近くに自分を支えてくれる想い人がいる――
そんな満ち足りた気持ちが、桜の日々の糧となっていた。
並木道を抜け、受験会場となった秋彦の大学のキャンパスに着く。
1年と半年ほど前、撮影のために通い続けた場所だ。
昨年は機会がなくここの学園祭を訪れることがなかったので、桜にとってはひさびさの訪問だった。
――でも、合格して、入学すれば……
春からは、毎日ここに来れるんだな。
秋彦と、毎日会える。
それが、受験に向けてのいちばんのモチベーションだった。
桜の会場は、ややヒーターの効きの悪い扇形の大教室だった。
服の内側、背中の腰の部分に使い捨てカイロを貼り付けて桜は試験に臨んだ。
周囲を見廻すと、コートを着たまま受験をしている者がけっこういる。
事前に建物の号棟と教室番号を秋彦に訊ね、この教室の構造や特徴を教わっておいてよかった、と桜は思った。
試験中、ふと集中が途切れた合間、桜は秋彦にこの大学を受けるのを告げたときのことを思い出していた。
* * *
秋彦の部屋で、ベッドを共にしていたとき。
桜が秋彦の大学を受験する、と打ち明けると、秋彦の顔に、一瞬、戸惑ったよう翳りが通り過ぎた。
秋彦の、何か考えに囚われ心ここに在らずといった表情に、桜は秋彦の気持ちを引き戻そうと
「どうしたの?」
と言葉を発した。
桜の問いかけに、秋彦が応えた。
「いや……ちょっと、驚いたから」
そう返すと、桜を引き寄せ、自分の胸に桜の顔を埋めた。
桜も従い、秋彦の汗の匂いを呼吸した。
秋彦は優しく包み込んでくれた。
あのときは、ただ意表を突かれて吃驚しただけなんだと思った。
けれど……
設問を解く合間に頭に澱む疑念を、桜の心の押し出す風が吹き飛ばした。
* * *
試験が終わり会場となった建物から桜が出てくると、陽は西に傾き建物に顔を隠し初めていた。
夕焼けのオレンジの光の中、キャンパスのベンチで秋彦が待っていた。
秋彦の姿を見付け、桜が駆け寄る。
「待っててくれたの? 寒かったでしょ?」
「いや――すぐ横のカフェテリアで待ってた。みんなが出てくるのを見て、桜もそろそろ来る頃かな、と思って」
さすがに寒風の中でずっと待っていたわけではないと秋彦は言い訳をした。
それでも、秋彦が終了時間を見越して出待ちをしてくれたのが嬉しかった。
「で、どうだった?」と秋彦が訊く。
桜はやや不安な面持ちになりながらも秋彦に頷き返した。
「お腹空いてない? どっかで何か食べてく?」
「で、そのあと、うちに来――」
「あー……きょうは、行くの辞めとくね。まだ試験残ってるし」
秋彦は残念な表情を浮かべたが、
「あ……そっか……」
「ごめん、ね……」
そう言うと桜は腕を伸ばし、秋彦の手を握った。
「――仕方ないさ。終わったら、ゆっくりしよう」
差し出された桜の手に指を絡め、秋彦が応じる。
桜は指を更に深く絡め返した。
「――うん――」
返事をした桜は、ふたりの手を自分の口元に寄せると、ほう、と息を吹きかけ秋彦の冷えた手を暖めた。
試験時間中に新たに降り積もった雪をさくさくと踏み締め、ふたりは並んでキャンパスを後にした。
手を繋いだまま、桜が呟く。
「春から、いっしょに通えるようになれるといいな」
秋彦が桜の耳に顔を寄せ囁いた。
「なれるよ。この雪が溶けたら、きっと、ね」
恋人同士の、そんな会話が続いた。
* * *
桜は、第一志望に合格した。
春からは、秋彦ともっといっしょにいられる――
そう思っていた。
はず、だった。
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