#8 夜のピクニック

==================================

【夜のピクニック】

 2006年 日本映画

 監督:長澤雅彦 出演:多部未華子 石田卓也 郭智博

==================================


         ◎


 同じ土曜日。

 幸生は映画研の部活動として、部員揃って『映画観賞会』へと赴いていた。場所は桜と通い詰めた、あの市内のシネコンだ。


 揃って、とはいっても、現時点でこの部にいる活動部員は部長ヘンリー以下、2年は幸生。あとは1年のハイネと菜津の4人だけだ。


 バス停は映画館にほぼ隣接しているが、電車の駅はショッピング・モールを抜けたほぼ反対側にある。わかりやすいように、集合場所はシネコンのロビーになった。


「よし、全員揃ったなー」


 ヘンリーがリーダーぶってメンバーに声をかける。

 だがいちばん遅く到着したのはこのヘンリーだ。


「お前、も少し部長としての自覚を持てよ」


 幸生がたしなめたが、暖簾に腕押しだ。


「まーまーそこはそれ、あれはどれ」などと意味不明な言動ではぐらかす。


 まったく、先輩方はよくもこんなボンクラに部の将来を預けたもんだ。

 いっそさっぱり綺麗に潰して去ってしまったほうが良かったのかもしれない。



――ぜったいこいつの代で問題起こすぞ、この部。

  そしたら汚点を歴史に残して記述されるんだ。



 ここで心を痛めていた幸生の危惧は、遠からず的中してしまう。

 だが、それはヘンリーが原因ではないし、今は予測もつかない。





 ヘンリーがまとめてチケットを買うため、カウンター列に並び、4枚の券を持ち戻ってきた。

 そのままヘンリーが部員を引率し入り口へ向かう。


「んじゃーもう入場開始してるし、入るべ」


 4枚の券をまとめても切りしてもらうと、皆に座席番号を告げ館内へと進んでいった。

 取ったシートに辿り着くと、左奥からヘンリー、幸生の順で席に着いた。


「あたし、井崎センパイのとなりィ~」


 調子をつけながら菜津が発言すると、そのままずけずけと幸生の右隣の席を占領した。

 ハイネもヘンリーも、もう当然の既成事実のように菜津の行動を許し、誰も異論を述べない。



――たぶん、こいつらは俺と緋色が付き合ってるとでも思い込んでいるのだろう。

  冗談じゃない。



 幸生はただ菜津の成すことにいちいち抗うのが面倒になっていただけだった。


 だが、四六時中付き纏われていると、情も移ってくる。

 幸生は菜津の行動を許すと同時に、少しずつ親近の情も抱き始めていた。


 こんなにも想われていれば、何も心が動かないなんて、嘘だ。


 部活に参加するようになって、なんとなく桜との連絡が間隔が開き始めたことに、幸生は無自覚だった。


 菜津とのことが影響したのか。それも幸生には不明だった。



 上映が開始し暫くして、菜津がそっと左手を伸ばし、幸生の手の甲に触れた。

 幸生が手をずらし菜津を払う。菜津の指先がまた伸び触れる。


 そんなことを繰り返しているうち、幸生も当初は避けていたが、あまりにもしつこいので、終いには諦めて成すがままになった。スクリーンに集中したい思いもあるし、あまり二人でモゾモゾと攻防を続けていると、脇のヘンリーやハイネに悟られてしまう。そうなるのも面倒だった。


 幸生の手の甲に菜津の体温が移ってくる。


 

 より大胆になった菜津が、重ねているだけでは物足りなくなったのか、掌を絡めてくる。

 抗って動けば周囲に悟られてしまう。幸生は菜津をそのまま放っておくしかなかった。


 こんな『物事に対する面倒くささ』が幸生を追い詰めたりする。菜津との関わりもまたこれが問題で、菜津はそんな幸生の性格に付け込んでくるため、幸生の領域に踏み込んでも咎まれることがない。それを菜津も充分に判っていた。

 それでも幸生は放置を決め込んだ。


 次第次第に大胆になっていく菜津の行動を、幸生はさせるに任せていた。





 スクリーンを追いながら、幸生の隣で菜津は先日授業で習ったことを思い起こしていた。


 国語の授業。古典の時間で、万葉集の句がこの日の題だった。



    *   *   *



 「新入生」と呼ばれる甘やかしもそろそろ外される頃。始業式から授業も3巡を超え、一年生たちもようやくこのルーティンに心も体も馴れてきていた。

 菜津もまた日々の通勤通学ラッシュに順応し、なんとか日常という枠組みが出来上がってきた。

 だが、授業の進行に付いて行くのは、どうにかこうにかといった感じだ。やはりここはそれなりの進学校。ペースは早い。


 そんな中でも、国語の授業は好きなほうだ。文章は読み解くもので、数学や物理化学のように解がひとつではない。テストでは加点してもらえる「○」の選択肢はひとつだが、文章は百人が読めば本当は百通りの解釈がある。


 マークシートよりも記述のほうが、菜津は好きだ。


 たいがいのクラスメートが苦手と考える、古典の授業も、菜津にとっては未知の言語を理解するようで楽しかった。


 この日の授業のテーマは万葉集。

 教科書に並ぶ句の中から教諭がいくつかの句を黒板に列記した。


 その中にある、こんな句に菜津の心は惹かれた。



------------------------------------------------

流らふる妻吹く風の寒き夜に 我が背の君はひとりからむ

        ―誉謝女王(よさのおほきみ)

------------------------------------------------



「これは、誉謝女王の詠んだ歌で、意味は……」


 歌そのものの解釈はここでは端折ろう。

 教師が句にある『背の君』という語の説明を始める。


「ここに書かれている『背の君』というのは、夫のことで、なぜ夫を『背の君』と表すのかというと、……」


 教師の話によると、『背の君』の『背』とは本来『兄(せ)』と表すが、特に『夫』を指す。防人など、古代は夫が遠隔地へ赴任することが多く、妻は主人の背中を見て送っていた。背中は愛しい人を連想させる象徴。だから愛する人を『背の君』という。


 教壇で滔々と語られるそんな説を聴き入る菜津の心に、或るイメージが形を成しつつあった。


 想い想い想い想い想い続けたその人の顔。



――あたしにとって、


  『背の君』は――




    *   *   *




 劇場の暗い空間で、菜津は左に座る幸生を眺めた。

 横顔がスクリーンの反射にぼうっとおぼろに浮かぶ。



 掌を重ねていた菜津が残った右腕を幸生の腕に回し、引き寄せた。

 幸生はちょっと迷惑そうに眉を寄せ、小さな溜息を吐いたが、菜津の行為を拒むことはなかった。


 菜津が絡ませた腕に力をいっそう込め、更に密着させる。



 菜津が微かに声帯を震わせ呟く。

 館内のサウンドトラックにかき消され、その小さな言の葉は霧となって空間に溶け込んでいった。


「……はなしませんから、ね……」





 映画が終わり、部員たち全員でショッピング・モール内のハンバーガー店へと入った。

 部員といっても2年は幸生とヘンリー、1年生は(以下略)。


 簡単な軽食をしながら、四人はこの日観た映画についてあれこれと感想や意見を交わした。


 2時間ほど『臨時部会』を開いた後、ハンバーガーの最後のひとかけらを口に放り込むと、ヘンリーが「んじゃーきょうはこのくらいにしといたろ」と言い、会はお開きとなった。「あとは、来週の活動日にー。それまでに観賞リポートまとめとけー」


 お前はちゃんと書くのかそのリポート。幸生はヘンリーに心の中で思わずツッコんだが、口には出さなかった。



 店を出てヘンリーが「じゃ、きょうはここでかいさーん」と、散会を宣言すると、ヘンリー、ハイネ、菜津の3人は駅の方面へと向かっていった。幸生だけはバス利用のため、ひとり逆方向にショッピング・モールをバス停の面したシネコンのほうへと戻っていった。


 歩いてしばらくすると、背中からタタタッと足音が近づいてきて、ぽん、と掌で突く感触が幸生の肩甲骨に伝わってきた。


「せーんぱいっっ」


 振り返ると、菜津が息のかかるほど顔を近付けて幸生に密着している。


「おまっ……どうしたんだよ、帰ったんじゃなかったのか? 電車だろ。駅はあっち――」


 幸生が後方の駅のあるほうを顎で示すが、菜津はそれを遮り


「だってぇー、このまんまセンパイとお別れなんて、さみしくってぇー」


 と甘え声をかぶせてきた。


「センパイ、このあとどうするんですか?」


「帰るにきまってんだろ」


「やだやだもうちょっといっしょにいるゥ~」


 駄々を捏ねながら菜津が幸生の腕にしがみ付いてくる。

 まるで痴話喧嘩のような二人の姿をモールのコンコースにいた通行人たちがじろじろと眺め通り過ぎていく。


「ちょっ……や・止めろよお前」「やだヤダやだ~っ」「俺は帰りたいんだって」「ダメゆ~る~さ~な~い~」


 堪らずに幸生が振り解こうとするも、菜津はますます握る力を強め、余計に目立つ始末。周囲のギャラリーの視線に気付き、菜津が更に増長する。


「帰るつもりなら、センパイん家の玄関までこのままでいるからぁ~」


 現状からの様々な脱出の手段を思案していた幸生も仕舞に観念し、

(というよりもいつもの面倒臭がりの性格が結論を導いただけだが)


「――わかったわかった。わかったから、もうちょっと離れてくれよ」


 と、見事に菜津の術中に嵌ってしまった。


「わぁい」


 と破顔して菜津は喜び、ぴょんぴょんと跳ねながら幸生の腕を上下に躍らせる。

 そんな菜津をふと愛くるしいと感じてしまうが、幸生は即座に理性で湧いた感情を圧し込める。


 幸生の内部の葛藤を知る由もなく、菜津は「じゃあー、どこ行きます?」と無邪気に問いかける。


「べつに、ただこれから帰るだけだったから、どこも何も予定ないんだけど」


「じゃ、ねー――」


 菜津が人差し指を鼻先に充て、「んーとぉ」と寄り目がちに何かを考える。

 こんなところがいかにも可愛いのだが、そこも幸生は気持ちを抑えて無表情だ。


「とりあえず、ここのモールいっつも映画観に来るときに通り抜けるだけで、あんまり回ってみたことなかったから――いっしょに見たいなあ。Let's ウィンドウショッピング!」


  言い了わる間もなく、菜津は幸生の腕を引っ張り、コンコースを駆け出した。



 このショッピング・モールは県下でも最大級の規模を誇っていて、まるまる一日歩いていても回りきれないくらいに広い。映画館通いをしている幸生でさえ、利用するバス停がシネコンの正面にあるせいで殆どモールを見て回ったことなどなかった。

 菜津に強引に誘われたが、未体験の刺激は幸生もまんざらでもなかった。



 併設するアウトレットモールを周遊する。次々とショップの前に来るたびに立ち止まっては「わぁ」とか「これカワイィー」などと歓声を上げはしゃぐ菜津を眺めながら、幸生は改めて菜津のあどけない可愛さを発見していた。



――やっぱり、歳下だな。先月まで中学生だったんだものな。



    *   *   *



「海浜公園まで、行ってみません?」


 ひと休みでコンコースの金目にある広場のベンチに座ると、菜津が提案してきた。

 同地域ではあるが、やや離れたところに散策にいい広い公園がある。シネコンからは1kmほどの距離だ。

 地元では『海浜公園』の愛称で親しまれている。


 菜津の強引さに負け、幸生は海浜公園まで足を伸ばすことになった。


 表へ出ると、もう陽が傾いてきていた。

 歩いているうち、道はどんどん暗くなり、街灯も明かりを灯し始めていた。



 歩いている途上の沿岸部には国道沿いにラブホテルが林立している。夕暮れの中、けばけばしいネオンが黄昏を照らし出している。

 自治体はショッピング・モールを誘致しこの地域の健全化を推し進めその成果は次第に上がってきているが、まだまだ旧態依然とした猥雑な空気はスプロール状に残ったままだった。



「ああ、もうあの辺だな」


 幸生が彼方を指差して菜津を促す。

 目指す方向にぼんやりと明かりの集中するエリアがある。点々と大小の建物も林立する様が伺えた。どうやらあの辺りが公園のようだ。


 海浜公園が近づいてくると、後ろに付いてきていた菜津が幸生の上着を引っ張り、背に囁いた。


「あの、ね――いいんですよ私……このまま、ホテルとかに誘っても……」


「なに言い出すんだよ」振り向きざまに幸生が呆れて返す。


 ここへ来るまでにラブホの料金表の書かれた看板を眺めていたのだろう、菜津が


「まだ、サービスタイムみたいだしぃ……」と追い打ちをかけてくる。


 時折見かけによらず菜津は大胆な言動に出る。今もそうだ。

 油断すると惑わされ、いつの間にか菜津に主導権を握られる羽目に陥っていた。


 絶句して幸生が否定する。


「バっ……莫迦言うなヨ。お前、何考えてんだよっ」


 菜津の口がレーザービームですぐにボールを投げ返してきた。


「本気ですよ、あたし」


 その真剣な表情に、幸生は返答できず押し黙ってしまった。


 菜津のぐいぐい圧してくる言葉を、幸生はなんとか止め返そうと努力するが、菜津の言葉のパワーは更に増していく。


「――あのな。冗談もたいがいに――」


 幸生が言い了える前に菜津が言葉を被せてきた。


「だって本気なんだもんっ。本気でホンキでほんっっきで、センパイのこと好きなんだもんっ」


 幸生がはぐらかしに出た。


「遊んでないで、行くぞ。もう日が暮れるし」


 なんとか菜津のペースには嵌らずに、ここは幸生がかわした。

 先を行く幸生に小走りで菜津が追い付き囁く。


「そのうち、いっしょに入りましょーね」


 誤魔化す努力をしても徒労のようだ。

 幸生はそれ以上は会話に付き合わず黙り込んだ。


「あっ……おこっちゃいましたぁ? ねぇ、ねェー、怒ったですかぁ?」


 返辞をせずにスタスタと先を行く幸生の後ろを菜津は必死で追いかけた。


「あやまりますぅ。あやまりますからぁ、センパーイ……」


 いじましさに幸生も菜津を突き放しきることはできなかった。


 ぶっきらぼうに見えても、甘いのだ。

 ヘンリーにもそうだし、この菜津に対しても。


「あ――あそこ、行ってみません?」


 海浜公園に踏み入ると、菜津の提案で、展望台のある建物へと二人は進んだ。

 見晴らしのいい階上のデッキへと二人は昇ってみた。


 太平洋からの風が岸を駆け上がり、少し肌寒さを感じる。


「うわぁーっ」


 水平線まで届く眺望に、菜津は感激の声を上げた。


 遠くには貨物船のためのクレーンの標示灯が点滅している。

 更にその彼方では風力発電のファンが3基、ゆっくりと回転しているのが望める。


 よく見れば漁火が水平線に沿ってチロチロと燃えていた。


 二人はそのまま展望台から連なるデッキへと降りた。

 海へと張り出したテラス。白を基調としたファッショナブルなウッドデッキが背景の海との調和を醸している。

 対比するように、足下は黒い海面が広がっている。


 時間が良かったのか、穴場のような場所だったのか、展望デッキに出ている客は幸生と菜津の他には誰も見かけなかった。


「きもちいいなぁ……」


 深呼吸してたっぷりと海の匂いを吸い込んだ後、菜津が幸生に顔を向けきっぱりと意思を告げるように言葉を放った。


「センパイ」


「――ん?」


「キスしてください」


「え!?」


「してほしいんです。いま」


「お前、何を――」


 言いかける幸生を遮って菜津が重ねる。


「センパイがいまここでキスしてくれなきゃ――あたし、ここから飛び降りるんだからっ!」


 言うやいなや、菜津がデッキの端を駆け上り、中ほどの欄干を這い上がり始めた。

 幸生の視野に黒い水面を背に立つ菜津の姿が映った。デッキからはるか下方、見えない波がざぶん、と打つ音を響かせる。


「おい、ふざけるのもたいがいに――」


「ふざけてなんか、ない――ふざけてないもんっ!! ……あたし大真面目なんです、センパイ……」


「おい――」


 幸生が必死でなだめる。

 最初のうち、心のどこかでは「どうせまた冗談だろ」くらいに思っていた。だが、欄干を完全に乗り越え、手摺りだけを握り支えられた菜津が真剣そのものの形相で幸生を見返したとき、只事ならぬ空気を察した。



――これはマズい。

  こいつなら、マジで飛び降りかねない……



 幸生のセンサーが《エマージェンシー》をコールしていた。狼狽え青褪める。


 菜津が叫び続ける。


「飛び降りて、死んじゃうから!! 死んでやるからぁっ!!」


「まっ・待てって――」


「じゃ、キスしてくれます?」


 従うしかなかった。それしか回避の術が見当たらない。


「わかったから――とりあえず、こっちに戻れ」


 やや落ち着きを取り戻した菜津が黙って欄干をふたたび乗り越え、デッキに足を着いた。

 幸生にひしと縋り付く。


 菜津の腕に力が篭もるのを感じる。

 幸生はそっと菜津の背に手を回し包み込んでやった。


「バカ……」


「……だって……だってぇ……」


 幸生の胸に顔を埋めたまま、さっきの勢いとは一転、弱々しく菜津が呟いた。


「ちゃんと、あたしと……」


「……え?」


「――ちゃんとつきあってください……」


 顔を上げた菜津が涙を瞳に浮かべ訴える。


「好きなんです。好きで好きで好きで好きで、もう止められないんですぅ……」


 口篭って幸生が応えようとする。


「けど、俺――」


「言わないで」菜津が遮った。


「あたし、センパイの口から『菜津と付き合う』っていう言葉以外、聞きませんから」


「……」


 幸生が息を止め苦悩した。簡単に即答できるものではなかった。

 いや――それは殆ど不可能なのだ。

 幸生の心においては。



 テトラポッドに打ち寄せては帰っていく波濤の声が、しがみ合うふたりを繰り返し繰り返し包み融かし続けていた


「あたし、つきあってくれなきゃ、今すぐここから飛び込んでやるからっ……」


「おい――」


 菜津にそうはさせまいと、幸生の腕に力が加わる。菜津もしがみ返す。


「だから……おねがいしますぅ……」


 これは、脅迫ではないのか。ふとそんな思いがよぎる。

 だが、今の幸生にできることは、ひとつ。選択肢は無い。


 考えを巡らせ眼を落とすと、白いウッドデッキの床の上に吹き上げた海水の泥溜まりの中、蟻が一匹仰向けで藻掻いていた。

 あの蟻は、この泥から脱出できるのだろうか。なぜかそんなことを心配した。




 大きく息を吐き、幸生が口を開いた。


「――わかった――」



 頷くしかなかった。



 密着する幸生のその筋肉の動きで判じた菜津は、顔を上げると幸生の襟を掴み、口づけを無理矢理奪った。菜津の唇は熱く、口吻は熱情を帯びていた。


 長い長い間の後――さすがに幸生が菜津を引き剥がす。


 だが、菜津はふたたび幸生を抱きしめると、「もう、離しませんから」と返した。


 菜津の心の叫びが、反復する波音とこだまし、増幅され己の骨の芯に届いたように幸生は感じた。

 ――そう思えたのは、幻だったのか。









 離さない。


 離れない。


 ぜったいに。





 あのとき、思った。

 決意した。



――いた。

  ついに、見つけた。

  つかまえた。






 私の、“背の君”。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る