#5 ふたり
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【ふたり】
1991年 日本映画
監督:大林宣彦 出演:石田ひかり 中嶋朋子 富司純子
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◎
桜と幸生は、新たなルールで一緒に映画を愉しみ始めた。
どちらかが先にチケットを購入し席を確保すると、すぐに相手に席番を報告し、番号が隣同士になるように席を取る。これでふたりは並んで映画を観ていると
蓮っ葉な大人たちからみれば他愛のない子どもの遊戯にしか見えない行為だっただろう。
けれども、桜と幸生にとっては、それは互いの心を繋ぐ大切な儀式だった。
座席を取るふたりの並びは、いつもたいてい同じだった。
昔と同じく、幸生が左、桜は右の席。
桜の隣には、いつも心の中で幸生の姿が浮かんでいた。
空席のときもあったが、混雑しているときは桜の左の席は誰かが埋めることもあった。
それでも、スクリーンに集中していると、隣に居るのは幸生なんだと思い浮かべることができた。隣に幸生が居るような気配を感じた。
時間も空間も隔ててはいたけれど、桜の中では、幸生はいつも隣にいた。
映画を観終わると、お互いの上映終了時間を見計らって、LINEを使って感想のやりとりをした。
ときには通話で直接話し合うこともあった。
離れていても、気持ちが通じていることが桜には嬉しかった。
寂しさは紛れなかったけれど。
去年の大晦日以来桜の中心にできた空洞が、映画を共有することで、ようやく満たされていった。
気持ちにゆとりが出てくると、桜は、久々に映画館へ行きたいと思うような気持ちが湧くようになっていった。
「ね、ね、次は何観よっか? あたしが決めていい?」
以前は幸生から誘うことが多かったが、近頃では桜のほうから提言することも増えていった。
2つあるシネコンのうち、普段は家から近いほうの劇場へ行くことが多かったが、プログラムによっては上映されていなかったり幸生との観賞時間が間隔が離れ過ぎてしまうこともあり、交通アクセスが多少悪いもうひとつのシネコンへと足を伸ばした。
試験休みが過ぎ、終業式が終わり、春休みに入ると、桜と幸生は毎日連絡をとり、電で話をした。
新しい学校のこと。新しい街のこと。おもに映画。
なんでもいいから、幸生に話したかった。
会話の最後は、たいてい次の映画の予定の相談で終わった。
桜がシネコンのひとつの‘ルール’に気づいたのは、それからほどなくのことだった。
* * *
「あれ?」
いつものように幸生と観る翌日の映画の時間を調べていたとき、桜はとある‘発見’をした。
時間を15分前に戻す。
桜はベッドの上に寝そべりながら、スマホ画面を弄っていた。そろそろ幸生に電話をすると約束した時間だ。
映画が観終わると、幸生と相談し、次の映画の日を決める。そのときに作品が決まることもあるし、未定のときは改めてお互いの地元シネコンのタイムテーブルを確認しながら決めていくこともある。
この日は、まだどれを観るか決めておらず、これから通話で詰めていく予定だった。
スマホアプリでブックマークしている映画館のウェブサイトを開き、上映ラインナップをチェックする。
いくつかの候補作品は挙げていたけれど、まだどれをということは絞り込んでいなかった。
とりあえず桜の観たいものを想定し、この日の上映スケジュールを開いてみたが、作品が良品の評判の割にはマイナーだったのに加え、公開から時期が経ってしまっていたためか、予定の日のタイムテーブルではもう夜の時間帯で1回のみの上映となってしまっていた。終了は23時過ぎ。
これでは家に帰るのが0時過ぎになってしまう。さすがに父も絵笑子もいい顔はいないだろう。
「仕方ないなあ……どうしよっか」
暫し考えてから、桜はこれまで行ったことのなかったシネコンのホームページを検索で出し開いてみた。
市内には2つのシネコンがあるが、こちらのほうは電車の乗り継ぎが面倒で、桜はこれまでアクセスのし易いほうのシネコンを選んでいた。
ひょっとしたら、こっちの劇場ではいい時間帯で上映回があるかもしれない。
そう思い立った桜は、念のためにチェックしてみることにしたのだった。
スマホの画面にかつて見慣れたレイアウトが表示された。
一瞬デジャブのような錯覚に戸惑ったが、すぐに「そっか、ここって――」と思い至った。
このシネコンは、かつて幸生としょっちゅう一緒に通っていた場所と、同系列のグループだったのだ。
ウェブサイトの上の階層には、この劇場グループの総合案内ページがある。左上には見憶えのある劇場ロゴ・マーク。
桜はちょっと懐かしくなり心がくすぐったくなった。
判った手慣れで上映スケジュールのページに辿り着く。見たことのある配列で作品名と上映時刻が表示される。
予定の日をクリックしてみると、お目当ての作品のタイムテーブルが出た。
昼、とまでは言えないが、ほぼ朝イチでの上映が1回のみあるのが判った。
少し早いけれど、これならちょっとだけ早起きすれば間に合うだろう。
観れると判れば、俄然この作品が観たくなってきた。今回は桜のほうから提案して、なんとかこの作品を観ることにしたい。
問題は、幸生のほうでこの映画が上映しているかどうか、だ。
そう思うと、桜はかつての地元のほうの劇場ページへ飛んだ。
同系の劇場なので、サイドに並ぶ劇場名の中にお目当ての文字はすぐに見つかった。
画面をタッチする。ちょっと懐かしい気持ちが湧くとともに、サイトが表示される。
さっき調べたのと同日の上映スケジュールをこちらでも開いてみる。
作品名を呟きながらスクロールしていく。
あった。
上映回は――1回のみ。
開始時間――
ここまで目で追ったところで、桜の口から思わず声が出た。
「――あれ?」
桜はさっき開いていたタブを戻し、自分のほうの劇場スケジュールと照らし合わせた。
何度も何度も確認する。
――やっぱり、だ――
「ひょっとして……
上映時刻、完全に一致……??」
開始時刻。終了時刻。
間違いない。同じだ。
これは、たまたま、偶然なのだろうか。桜は
思い立って、上映スケジュールの出ている前後の日で双方の劇場を比べてみる。スマホ画面を幾度もタップし、画面が切り替わる。
この作品だけじゃない。
すべてのプログラムではないが、数作品では、この2箇所のシネコンは、まったく同じ上映時間と回数でスケジュールが組まれているものがある。
まるでコピー&ペーストされたみたいに、1日3回上映の場合で何時何分開始、何時何分終了がすべて同一時間に表示される。
――つまり……
このふたつのシネコンでは、まったく同じ瞬間に、同じ映画を観て、同じ時に笑って、同じ時に驚いて、同じ時に同じ感動をして……
そんな共有が、できる、てコト?
そう考えると、桜の胸は新たな喜びに満ち、高鳴った。
これは、シネコンの魔法だ。
桜の中で、そんな言葉が紡がれた。
――ということは……
桜の中で、どんどんと連想が繋がっていく。これから起こることにときめき、ワクワクが止まらなくなる。
スマホが着信音を鳴らし、夢想する桜を現実に引き戻した。幸生からの通話が来ている。
慌てて桜は画面の受話器アイコンをタップした。
「――は・はい?」
数千キロメートルの距離を飛んだ幸生の声が桜の耳元に届いた。
「ああよかった。時間になってもかけてこないから、どうしたのかと思った」
「あぁ、ごめんね。ちょっと調べ物してたら、うっかりしちゃった」
幸生が言葉を継ぐ。
「で? 次の映画、どうしよっか。何かいいの思いついた?」
「あ……えっとね……」
桜は、たったいま見つけたパズルのピースを、すぐにも幸生に教えてあげたくなった。
魔法を解き放ち、ふたりにかけられた呪文を解く言葉。
「ね、ね――凄いコト、発見しちゃったかもしれないんだけど……」
* * *
朝。
桜の心は弾んでいた。
弾みすぎて、心臓が口から飛び出しそうだった。
今日は、同じ時間、同じ瞬間に、幸生と同じ映画が観れる。
それを思うと、桜の意識は既に劇場のスクリーンの前へと翔んでいた。
初めて訪れるシネコン。土地勘の無さに眩暈しつつ、逸る気持ちでフロントを目指す。開場したばかりのロビーは、この日最も早い回に臨む客たちが数人ちらほらと佇み入場を待っていた。チケットの購買列が2、3人。桜はその後ろに付いた。
スマホを点けると、ちょうど幸生から座席確定のメッセージが届いていた。桜はその座席番号を心で復唱した。
前のカップルがこれから席を取る映画のことを期待を膨らませ愉しそうに歓談している。何げに耳に入ってくる情報から、彼らが桜と同じ作品を観ようとしているのが判る。
思わず桜は、「お願い、違う場所を取って」と呟いた。
思ってることが思わず口から漏れ、それがカップルに聞こえたのか、彼女のほうが一瞬振り返り桜と目が合ってしまったが、すぐに彼との会話に戻った。
自分の引きつり顔を悟られなかっただろうか、と桜はちょっと心配になったが、それ以後関心を払うような素振りは見られず、杞憂だったようだ。
桜の番が来て、カウンターの係員に即座に作品名と座席を告げた。
「Eの7番で」
「E7ですと、お隣の8番にもうお客様がいらっしゃいますが」
座席表をモニタ画面でチェックした係員が応えたが、桜はすぐに返答をした。
「いえ、大丈夫です。そのままEの7で」
発券がされ、桜は安心すると共に、幸生の顔を思い浮かべた。
きょうは、本当に一緒に映画を観るんだ。
そう想像すると、桜の胸はまたときめいた。
劇場に入ると、ちょうどスクリーンではCMが流れ始めたところだった。
隣りの『E8』席には、桜よりも先に若い男性が腰掛けている。
大学生くらいだろうか。桜がE7に着くと、さりげなく2席の間にある肘掛けのカップホルダーから自分のドリンクを抜き出し、反対側のホルダーへ移動させた。
チラ、と目配せした桜と一瞬目が合った。桜は軽く会釈で返した。
客席が徐々に暗転し、上映が始まった。
映画会社のロゴ・アニメーションが流れ、オープニングタイトルが画面に映し出される。
空席の『E6』に、桜は幸生の姿を感じた。
――いま、幸生くんも同じ瞬間、同じ映像を観ているんだ……
距離を隔てても、同一時間を体験しているということを、桜はひしひしと実感していた。
幸生との一体感を想い、桜の全身は多幸感に満たされていった。
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