#2 はつ恋
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【はつ恋】
2000年 日本映画
監督:篠原哲雄 出演:田中麗奈 真田広之 原田美枝子
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◎
「井崎くんっっ。次は何を観に行く予定? 日にちは?? 」
休み時間のチャイムが鳴ってすぐ、桜は窓際の幸生の席へ駆けていくと言葉をかけた。
シネコンで二度目の鉢合わせ以降、このところ桜は授業の合間に幸生と話し込むことが多くなった。
「まだ何に行くか決めてないけど、来週の木曜に行こうかな、って思ってる。今週末には何本か新作も公開するし」
「じゃあ……スケジュール、合わせても、いいかな」
「ああ、それなら荻野の観たいのにしていいよ」
幸生も同好の士を得て、まんざらでもないようだった。
幸生とは様々な話をした。好きな俳優、監督。好みの映画のジャンル。
幸生がほぼ毎週のように映画館に通い、年間に50本以上観賞していることも知った。
高校生になってからの今年は20本を観賞している桜も幸生の数には敵わなかった。それでも、桜も同年代からみれば相当多いのに。
「3年になったら、受験で、本数観れなくなるだろうから。だから、来年の2年のうちには劇場で1年100本観るのが目標」
それは、告白というより、宣言だった。
映画を無料動画配信で観て済ませているような他の生徒たちからみれば、無駄にお金を費やすただの
けれど、こと映画に関しては、桜も幸生も価値観を同じくしていた。
映画のことを何でも話し合える相手に、幸生も桜も飢えていた。
自分はいったいその100本のうち、何本付き合えるのだろう。
そう桜は思った。
桜も幸生も、“映画は映画館のスクリーンで観るもの”だという主義は共通していた。
「だって、映画って、あの暗い館内でスクリーンに映写されることを前提に作られてるだろ。それを家のモニタ画面や、寝転んでポテチ喰いながら観たら、作った人達に失礼だよな」
幸生の言葉に、桜も大いに同感だった。
――映画は、映画館でこそ、ほんとうの魅力が味わえる――
それは、かつて映画の楽しさを教えてくれた、桜の父の口癖でもあった。
これほどまでに映画が好きな幸生に、桜は訊ねたことがある。
「どうして映研に入ってないの? うちのガッコ、ちゃんと映画研究会ってあるのに」
逆に幸生から質問が戻ってきた。
「じゃあ荻野は? なんでウチの映研入らないんだ?」
返答に窮する桜に、荻野が答えた。
「あすこは映画で自分語りしたがってる連中ばっかだから。俺は、作るんじゃなく、単に映画を愉しみたいの」
成程、と納得する桜だった。
毎回、すべて観る映画を合わせるわけではないが、お互いに観たいと思うものが一致したときはなるだけ日時を合わせ、映画館で一緒になるようにした。
最初のうちこそ離れた席で観賞していたが、
「どうせ一緒に観るんなら、隣同士で観たほうが良くないか」
という幸生からの提案もあり、並んだ座席をとるようになった。
自分たちは、他の観客からみたら、どう映っているのだろう。
高校生の恋人同士に見えるだろうか。
桜は、そんな想像を頭に浮かべるたびに、心ときめいた。
幸生はいつも桜の左側に座った。桜も、ただなんとなくそれが幸生の性に合っているのだろうと思い、特に意味も訊かずにこの並びがいつの間にか定着していった。
* * *
「お母さんっ。きょうは少し帰り遅くなるから」
朝、家を出るときに、桜は台所で片付けをしている母に声をかけた。
「あら、桜ちゃん、また?」
洗った皿を棚に収めながら、チラリと桜の背中を確認すると、母が続けた。
「今日って、木曜よね。最近、木曜はいつも遅くなるのね。何か始めたの?」
「え? えっと、ね……く・クラブに入ったんだっ。それでね、その活動日が木曜なの。だから……」
「そうなんだ。どんな?」
「えっとぉぉ……そ・そう、映画愛好会って言うの」
「あまり遅くならないでね」
「はぁい」
これ以上の追求を避けるように、桜はそそくさと靴を履き、玄関を出た。
近頃は幸生の観ようとする映画が桜の嗜好にも合っていることが重なり、木曜の放課後に連れ立って映画館へ足を運ぶことが続いていた。
* * *
放課後を告げるチャイムが鳴ると、桜はいそいそとノートや教科書を片付け始め、作業が済むと幸生の席に目配せをした。
幸生も桜の視線に気付いたのか、アイ・コンタクトで応え、桜の席のほうへ近づいてきた。
「行こうか」
「うん」
二人は揃って校舎を後にした。
まだほとんどの生徒は帰路に着いていないのか、下駄箱にはぽつりぽつりと数人しか生徒が見受けられない。
少し風が冷たかったが、今の桜には気にならなかった。
「きょうのは18時開始だから、少し余裕で行けるな」
「先週は学校終わってからダッシュで行って、ギリギリだったもんね。あーゆう開始時間だと大変」
桜が溜息混じりに言った。
「そうだね」
幸生が微笑と共に応えた。
駅とは反対方向、ショッピング・モール方面へ行くバス停で待ちながら、桜は幸生の横顔を眺めた。
「どしたの?」
幸生が気配を感じ、桜に尋ねる。
「う・ううん。なんでもない」
桜の頬が紅く染まったことに、幸生は気付かない様子だった。
1年に100本観に行くとするなら、単純計算で週に2本ペースだ。
さすがに桜はそのペースに付き合うことはできなかったが、ふと気になっていた。
いったい、幸生はどうやってその本数をこなしているのだろう。
桜は、ちょっと興味を抱いた。
こんなルーティンを、幸生はずっと続けてたのだろうか。学校が撥ねてダッシュでバスに乗り、シネコンまでのモールのコンコースを駆け抜け、窓口で学生証を提示し、チケットを
そこまで努力して映画を観ることができるか、桜は自問して不安になった。
幸生は映画マニアどころか、映画中毒だ。
それとも、
桜には、そう思えた。
ショッピング・モール行きのバスに揺られながら、桜は気になっている疑問を素直に幸生にぶつけてみた。
「どうして木曜なの?」
吊り革を握りながら幸生が即答した。
「経験から、映画館がいちばん空いてるのが、木曜なんだ」
「なんで?」
「水曜はレディースデー、金・土・日は週末で混むだろ。たぶん、その間に挟まれてるからじゃないかな」
なるほど、と桜は納得した。
同時に、そこまでして映画にのめり込む幸生に感心した。
バスがショッピング・モールに着く頃には、陽はすっかり西に傾き、シネコンの壁を朱に染めていた。
二人は並んでコンコースを劇場入口へと向かう。
冬の気配が辺りを覆い始めていたが、桜の心はほんわかと暖かだった。
モールに並ぶショップを順々に眺めながら、桜は思い出すままに会話を続けた。
「うちのお父さんもね、映画が大好きだったの」
「じゃあ、荻野が映画好きなのは、そのお父さんの影響?」
「うんっ。小さい頃は、いっぱいいっぱい映画館に連れてってくれた。今は事情があって、別々に住んでるんだけど」
「今も、会ってるの?」
「ときどき、ね。遠いから、年に何回かくらいだけど」
ちょっとだけ、嘘をついた。
本当は、父とはもう長いこと会ってはいない。
たぶん、今再会しても、お互い顔も判らないだろう。
長いコンコースの間、桜の話は途切れることがなかった。
映画よりも、こうして幸生と会話できることのほうが、桜には嬉しかった。
「お父さんが若い頃に観た映画をいろいろ教えてくれたなあ。あ、でもたぶん、今の井崎くんにはとっても敵わないけど」
「そんなこと、ないよ、たぶん」
「でも、きっと井崎くんとなら、話が弾むかもね」
幸生ととりとめもない会話を交わすことが、桜には心地良かった。
「お父さんが言うにはねー、若いころは300円で2本観れる映画館もあったんだって。」
「ああ、名画座だな、それ。さすがに300円じゃないけど、今も市内にひとつあるよ。たまに行く」
「ホント!? こんど連れてってほしいなァ」
「いいよ。一緒に行こうな」
「うんっ。約束」
自分のことを、もっともっと幸生に知って欲しい。
桜の心は、痛烈にそれを望み始めていた。
桜は、ちゃんと確認してみたかったが、切り出せないまま日々を過ごしてしまっていた。
そのうち、訊かなきゃ。近頃、毎日そう思う。
――あたしたちって、
つき合ってる、ん、だ よ
ね?
……
* * *
「ね、ね、お母さんは、『メイガザ』って知ってる?」
夕飯時、唐突に娘からこんな単語が発せられ、桜の母は思わず箸を止めた。
「め い……?
……ああ、『名画座』のことね」
この名詞を聞くのも久しぶりだなぁ。そう母は思った。
「うんっ。なんかね、そこだと古い映画とかが、2本観れたりするんだって。むかーしそんなコトをお父さんから聞いたんだけど」
「そうね。あのひと、映画が趣味だったから……たまに1人で言ってたみたい」
父について話すとき、母はいつも素っ気ない。あからさまには言葉にしないけれど、まるで「この話を早く終わらせたい」とでも云うように態度で示す。桜もそれを察すると、なるべく短く済ませるのが母娘の暗黙のルールだった。
まあ、仕方ないんだけれど。
でも。
もうちょっとだけ、今回は続けたい。
情報収集のため。それに――
幸生と会話を合わせたいから。
「お母さんは、お父さんと一緒には行ったことないの?」
――しまった。
ちょっとあからさますぎた。
もう少しオブラートに包んだ言い回しをすればよかった。
しくじったと思い桜は母の顔色を伺ったが、娘の気遣いを
「
母は、桜の父のことを『泰秀さん』と呼ぶ。
ずっとずっと以前、まだ家族が一緒に暮らしていた頃は、「あなた」とか「おとうさん」と呼んでいたはずだ。
いつから、『泰秀さん』と名前で呼称するようになったのだろう。
桜はいつも母の口から『泰秀さん』という音が出ると、少し寂しくなる。
――仕方ないよね。
リコンしちゃってるんだもの。
桜の両親が離婚したのは、もう8年も前のことだ。
幼い自分とは違って、もう分別もつく16歳。頭では理解してるつもりだが、そのたびに心がキュンとするのは、どうしてだろう。
桜が少し会話の流れを変える。桜が聞きたくないのももちろんだが、母もこれ以上『泰秀さん』と発音したくない様子だった。
「でね。その『名画座』っていうのが、市内にひとつあるんだって。クラスに、映画好きなコがいてね。そのコが言ってたの」
「へえー。映画館なんて、ショッピングモールのトコくらいしかないと思ってたわ、お母さん」
よし、うまく逸らした。不快なぬかるみにはまらずに済む。
桜は会心の心地だった。
さて、次のハードルに注力しなきゃ。
桜は、母を攻略するのが目的なのだ。
「でねでね、あの……
そのコが、その名画座に一緒に行こうって、行ってる ん だ け ど……
行っても、いい?」
ちょっとだけ、嘘をついた。
幸生と一緒に行く約束は、これからするのだ。
もちろん、幸生とは「こんど行こうね」とは言い合った。
でも、それはあくまで口約束。
きちんと、何日の何時に、何を観に行くのか、なんてことはまだぜんぜん話し合ってもいない。
市内のその名画座まで行くとなると、私鉄を使って快速で小一時間、そこからJRに乗り換えて更に20分かかる。おまけに「二本立て」ということは、普通に考えても5時間は上映時間があるだろう。
バスで1本のアクセスのショッピング・モールと比べ、帰りは遅くなるのは確実だ。
曜日を気にしない幸生と違って、それだけ長丁場なら、日曜に行くようにするしかない。
母一人娘一人の家庭の荻野の家では、帰りが遅いと心配されるかもしれない。
だから、きちんとしておきたい、と思った。
「ねぇ~、行っても、い~い?」
桜は、猫が喉を鳴らすような甘え声で母にねだった。
「おとこのこ、でしょ?」
――あ。
バレてる。
「桜も、そんな歳になったかぁ。ちゃんとしてくれるなら、許可するわ」
桜の気不味さを先んじて、母が続けた。
“ちゃんと”がどういう意味なのか解らなかったが、桜はこくりと頷いた。
母の承諾は得た。
さて、次は幸生とプランを相談しなきゃ。
でも、彼ならきっと、好みに合った映画をチョイスしてくれるだろう。
あんまりにも嬉しくなった桜は、聞いたばかりの幸生のアドレスにスマホからダイレクトメッセージを送った。
学校で顔を合わせるまで、待てなかった。
“名画座で、なにかいいのやってる? 今週か来週末くらいに、一緒に行かない?”
返信はすぐに戻ってきた。
それを見たとたん、桜の頬は桃色に染まっていった。
思わずスマホを胸に押し当てる。幸生にこの鼓動が聞こえてくれたら、と願う。
桜の心は、まだ行ったことのない名画座の客席へ飛んでいた。
左側に座る幸生の姿が思い浮かぶ。
――週末が、待ち遠しい。
暗くなるまで、待てない。
* * *
乗り換えのJRの駅で待ち合わせ、桜と幸生は合流した。
日曜日。朝。
二本立の一本目は午前9時45分の開始だったので、二人は開場の9時20分に間に合うように午前8時に待ち合わせた。
「別に二本目から観ればいいのに」と桜が云うと、
「名画座ってのは、二本目からだと混むんだ。だから観るなら朝イチからのほうが楽」
と回答した。
桜はそれに素直に従った。
それに――
幸生と一緒にいられる時間も、長くなる。
降車駅から7分ほどの距離にある名画座は、いかにも老朽化激しく、もうボロボロという感じを漂わせていた。
駅の周辺の喧騒からは少し外れた立地。どちらかというと、住宅街に隣接している。
開場が始まったばかりなのか、10人程の客が券売機に並んでいた。桜たちも列に従い館内に入る。
ロビーの内装の壁はところどころ剥げかかり、
呆気にとられて桜が眺めていると、幸生が声をかけた。
「ここも、そろそろ閉館かもなあ。改装するなんて話は聞かないし」
そう言って幸生は少し寂しそうに口元で笑った。
名画座の壁には昔の映画のポスターが所狭しと貼られている。
ゴッドファーザー。
戦場にかける橋。
アラビアのロレンス。
十戒。
ファントム・オブ・パラダイス。
どれも、父が昔、桜に語って聞かせてくれた映画ばかりだ。
ふとあの頃の父を思い出し、桜は懐かしく思った。
『クレイマー、クレイマー』のポスターもある。
以前、衛星放送だかで流れてたときに観た。
そのときは、子供に自己投影して、身につまされてしまった。
今なら、どうだろうか。そう桜は思った。
「そろそろ混みだすから、席取ろうよ」
しげしげとポスターを眺めていた桜に幸生が促した。
「うん」
桜は幸生に従い、微かにトイレの芳香剤の匂いが漂うロビーから劇場に足を踏み入れた。
「うわあ……」
外観のオンボロさから想像もつかない客席の広さに、桜は思わず感嘆の声を漏らした。
高い天井。後方には庇が覆い、2階席が聳えている。
スクリーンの大きさは、よく行くシネコンの中規模館くらいだろうか。
いや、それよりも大きいくらい。
オマケに、シネコンでは見ることもない
「ここは、まだフィルム上映をしてるんだ。最近の映画はほとんどデジタルになっちゃったけど、昔のはまだまだフィルムのままのが多いからね」
そんな幸生を見るのは、桜も嫌いではない。むしろ喜々として語ってくれる幸生が嬉しかった。
――お父さんも、よくこんなふうに話してたなあ。
桜は、ふと幸生と父をオーバーラップさせている自分に気付き、困惑した。
朝イチといっても日曜のせいか。客席はもう4割ほどが埋まってきている。
やはり幸生の判断は正しかった、と桜は感心していた。
本当に、様々な映画館に行き、たくさんの映画を観ている知識を幸生は蓄えている。
「もうすぐ開始だね」
そう幸生が告げると、ほどなくヂリリリ、と昔ながらのベルが館内に響いた。
ウゥーンというモーター音と共に、緞帳がするすると開き、館内の照明が暗くなっていった。
* * *
二本の映画が終わり、劇場を出るともう午後の3時近くになっていた。
桜が幸生に声をかけた。
「どうだったのかな。荻野の好みだったのどうか。俺は楽しめたんだけど」
「うんっ。すごくおもしろかったよ。いい映画だった」
荻野を配慮してくれたのか、ラインナップはどちらかというと女性向けの二本立てといった内容だった。かといってベタベタのロマンスでもない。
バランスのとれたいいチョイスだな、と桜は感心した。
日本映画。同じ監督の作品。双方とも人の関わり合いをじっくり描いた小品。
桜は、意外とこんな雰囲気の映画が好きだ。
そんなこと、幸生には話したことがないのだが……
「いま、この監督の新作が公開になってて、その連動で、ここでも特集が組まれてたんで。ちょうどいいタイミングだった。俺もそのうち観たいナと思ってたやつだし」
「けっこう、昔の映画なんだね。――あ、片いっぽうは、あたしたちの生まれた年なんだ」
桜が劇場でもらった上映カレンダーを、仕舞ったバッグから取り出し、作品欄を眺めながら呟く。
今日観た二本ともに、桜たちが生まれる前に作られた作品だ。
そのうちの一本。今では映画界を代表するくらいの女優が、まだ十代の初々しい演技を披露していた。映画のストーリーは、母の初恋の人を探す少女の物語。
なんとなく、桜は己の姿とシンクロしてドラマに没入してしまった。
どれだけ古い映画でも、どれほど時代を経て観賞されても、同じように観た人の心を動かす。響いてくる。伝わる気持ちが共振する。
フィルムがデジタルに代わろうと、上映できるかぎり、こうやって、魅力は何十年も色褪せずに引き継がれていく。
――映画って、いいな。
桜は心で呟いた。
「どうしようか。マックかスタバでも寄る?」
いまさっき観た映画を反芻して浸っていると、幸生の声が割り込んだ。
このまま別れて帰るのも、なんだか味気ない気もする。
それに、もう少し幸生と、話がしたい。
さっきの映画の話。
それだけじゃなく、もっともっと、たんさんいろんなことを。
「うんっ」
桜の弾む声が、晴れ渡る午後の空まで届いていった。
スタバで一休みし、さっき観た映画の感想を交換した後、桜と幸生は駅の向かいのビルにある大型書店へ足を運んだ。
ターミナル駅の書店は、さすがに大きい。
近頃は桜の家の近所の書店もどんどん潰れていってしまった。地元の商店街の本屋で残っているのは、もう1件を残すのみだ。
そういえば、もう雑誌はコンビニでしか買わなくなった。いや、そもそも雑誌そのものも殆ど買うことがない。小さい頃は、まんが単行本を近所の本屋で買ってもらったのに。
漫画本。実用書。幸生が「ちょっと見たい」と言うので、映画関連のコーナーも。
参考書の棚にも寄った。そろそろ、受験のことも考えはじめなければいけない。
ひさびさに紙と印刷用インクの匂いに浸されて、桜は懐かしい気持ちになった。
小一時間ほど本の森を散策した後、桜と幸生は電車に乗った。
幸生と一緒にいられるのは、待ち合わせをした駅まで。桜は、それを思うとなんだか寂しい気持ちになった。
――もうちょっとだけ、一緒にいられればいいのに――
明日になれば、また学校で会える。教室でいつでも幸生を視界に入れていられる。
でも、なんだかそれだけでは、桜の心は満たせなかった。
そんなことを窓外の流れる風景を眺めながら想っていると、幸生が話しかけてきた。
「さっき、劇場のスケジュール表を見たら、来月ちょっといい作品がかかるみたいなんだ。期末試験直前だけど、行ってみる?」
幸生の選ぶ作品なら、間違いはないだろう。
桜は即座に賛同した。
「うんっ。行く。行きたい」
もちろん、桜が行きたいと決めたのは、幸生の評価する作品の善し悪しでは、なかった。
ホントは、そのあとにもう一言付け加えたかった。
――井崎くんとなら、一緒にいたい。
ホームが近づき、降車ドアが開く。
桜はここで乗り換えだ。幸生はもう2駅先まで行き、バス。
別れ難そうにしている桜の背中を発射ベルが急き立てる。
何かを伝えたい、と桜の目が訴える。幸生は凝っと視線を合わせ、小首を傾げ微かに頬笑む。
ベルが鳴り終わりかけたとき、ようやく桜はホームを踏んだ。
振り返った桜に、幸生が告げた。
「また明日、学校で」
ほんの一言だったが、それだけで桜の胸はオーケストラの響きにも似た歓喜でいっぱいになった。
ドアが閉まる直前、桜は車内に声を届けた。
「また学校で」
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