エライア、闇夜の中へと旅立つ

 そして、馬車は街の外郭へ至る。


 大都市の市街地を北へと向けて走り抜け、郊外へとたどり着く。

 街並みは疎らになり、建物よりも自然の風景のほうが多い。

 周囲に人家は無く衆目も心配ない。ここならば安全に出立できるだろう。

 誰が言うともなく馬車が停まる。

 扉が馭者ぎょしゃによって開けられ、お爺様が先に降り、次が私。一つ一つ足取りを確かめるように馬車から降りていく。


 その道のりはまだ夜の闇に沈み、星明かりだけが頼りと言う心細さだ。

 だがそれを打ち消し勇気を与えるように、私の脳裏には、かつて学び舎の恩師の言葉が脳裏をよぎっていた。


『人は時には運命に抗い、家畜のように飼いならされる安寧よりも、命がけで荒野で狩りをするような狼の如き道のりを往く事も必要だ』


 そうだ。それが今このときなのだから。

 その眼前を遥かに伸びていく道のりの先を見つめながら私はつぶやいた。


「私は家畜にはならない」


 つぶやきは夜の闇へと静かに響く。

 

「卵を産むことだけを求められる鶏のような生き方は選ばない。たとえ飢えてやせ衰えても、自らの意思で荒野を歩む狼の生き方を掴み取る」


 そうだ。まさにそのために、この場所に立っているのだから。


 でも――


 今一度、最期に一度だけ、過去を振り返る。そこには佇むのは最愛のお爺様だ。

 私はお爺様に最後の挨拶を述べようとする。だがその時、お爺様はそれを遮るように一言告げた。


「お前に渡すものがある」


 お爺様は布地にくるまれた棒状の物を私へと差し出してくる。


「これを持ってお行きなさい。不憫なお前へのせめてもの手向けだ」


 それは私の腕一本分くらいの長さがあり、なかなかに大きいものだ。恐る恐るそれを受け取る。


「ありがとうございます」


 礼を述べて包みの中を確かめる。だが、そこから出てきた物に私は驚きを隠せなかった。

 

「こ、これは?」


 私は言葉をつまらせた。それは明らかにこの場にあってはならないものだったからだ。

 

「よ、よろしいのですか?!」

 

 目をむいて驚く私にお爺様は柔和にほほえみながら答えた。


「言ったであろう? お前への手向けだと」

「しかしこれはモーデンハイム家の家宝!?」


 私の口から思わず反論が飛び出る。だがその声を強い言葉で遮ったのはほかならぬお爺様だ。


「なにが家宝だ。二人しかおらぬ子供を幸せにできぬ御家の家宝などなんの意味があろうか」


 それはお爺様の胸中にあった憤りその物にほかならない。私がそれを受け取る事に戸惑いを見せる中で、お爺様は強い力でしっかりと〝家宝〟を私に握らせた。そこには何よりも強い暖かさがあったのだ。


「これはお前が持つべき物だ」

 

 それは家宝、モーデンハイム家にて代々継承される武具。その名は、


――戦杖せんじょう地母神ガイア御柱みはしら】―― 


 大地の精霊の力をあやつることのできる強力な精霊武術具だ。私はそこにお爺様の強い意志と何よりも深い優しさをじた。

 私の中からためらいの心はすぐに消え去り、感謝の念が胸の中を満たしていく。


「確かに地母神ガイア御柱みはしら、拝領いたしました」


 家宝と言う重い存在を受け入れた私に、ユーダイムお爺様はさらにもう一つのアイテムを差し出した。


「それからこれも持ってお行きなさい」


 それはコインの大きさほどの陶器製の卵型のペンダントだ。

 星明かりを受け薄緑色に輝くそれを私の首にかけてくれた。

 

「良いかね? お前がもし抜き差しならぬ窮地に立たされたのなら、そのペンダントの〝中身〟を使いなさい。きっと、お前を救ってくれるはずだ」

 

 首にかけられたそれを、私はしっかりと握りしめる。自然に感謝の言葉が溢れ出た。


「ありがとうございます。ユーダイムお爺様」


 ペンダントを着衣の中へと隠しながら託された戦杖を手にする。そして覚悟とともに私は別れの言葉を口にした。


「お爺様、数々のご厚情、本当にありがとうございました。それではこれにて出立させていただきます」

 

 いよいよ、ながの別れのときだ。


「達者でな」


 私を見送るお爺様の声はどこか寂しそうだ。それに対して詫びる気持ちを堪えながら私は応えた。


「お爺様も、幾久しくお元気で」


 そう言い残し、軽く会釈をして身をひるがえして、まだ見ぬ土地へと歩きだす。


 その時だ――


 私たちの頭上を覆っていた黒雲が左右に割れる。溢れんばかりの月明かりが降り注ぎ夜道を照らす。闇に隠れていた旅路の行き先をあらわにしながら。

 

「天もお前の旅立ちを祝福するか」


 お爺様が漏れるが、私は振り返らなかった。確かな足取りで闇夜の中の旅路をひたすらに歩いていく。


 私は国を代表する上流階級の高家の一つ〝モーデンハイム家〟の当主の息女だ。

 だがその身分も今宵まで。理不尽なしがらみとともに、家を捨て、家族を捨てた。そして、不確かな未来とともに、限りない自由を手に入れた。

 

 時に5月、まだ夜風が寒い晩春のことだった。



 †     †     †



 それからオルレアの街をある風聞が駆け巡った。

 フェンデリオル国の上流階級の高家の一つ『モーデンハイム家』

 その当主の息女にして長女『エライア・フォン・モーデンハイム嬢』が失踪したと言う噂だ。


 時にエライア嬢は、かねてからフェンデリオル国の中央首都軍学校にて学んでおり極めて優秀だったと言われ、軍学校を飛び級でしかも主席で卒業したと言う。


 しかし、卒業を終えたあくる日から衆目の前に一切その姿を表さなくなった。

 街の人々は様々に風聞を噂し合ったが、答えが出るわけがない。

 しかも上流階級の高家令嬢であるから無責任なことは口にできない。

 

 ただ、モーデンハイム家の広報官が――

 

「当家息女エライア嬢は隣国ヘルンハイトへと長期留学に旅立たれました」


――と述べるにとどまった。


 何者もそれ以上の追求はできず、街の噂も早期に風化した。

 しかし、納得して居るものは誰も居なかった。

 

 これが世にいう――

 

【モーデンハイム家令嬢失踪事件】の知られざる顛末である。



 †     †     †



 そして、エライアに関わる人物がもうひとり居た。彼女は、私が残した手紙を受け取っていた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私信


 お母上君、ミライル・フォン・モーデンハイム様へ


 この度は無断で親元を離れる不孝をお許しください。

 敬愛していたお兄様の自死の理由ともなった、横暴極まりない暴君そのものである〝あの人〟から離れて自分一人の力でこれからの人生について試してみたくなったのです。

 これまでの15年間、慈しみ育ててくださったことは心より感謝いたしております。その思いに嘘偽りはございません。

 ですが、その御恩に報いることなく、勝手な振る舞いに走ること心よりお詫び申し上げます。

 最後に一つだけお約束できるなら、この身を立てて独り立ちする事ができたなら、いつの日か胸を張ってこの御家に帰ってきたいと思います。

 それまで何年かかるかわかりません。ですが、その時までお健やかにお有りください。

 今までありがとうございました。

 

 娘子、エライア・フォン・モーデンハイムより

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 それは、私の母だ。

 母は私の出立にも、その私信の内容にも、何も語りはしなかった。

 ただひたすら沈黙を守り通した。

 その手紙を宝物のように、ひたすら大切にしていたそうだ。

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