医療系サナトリウムⅠ ―エライア見舞う―
仲間たちがブレンデッドへと去っていって私にはまた平穏な日々が待っていた。
次の日からはアルセラの上級学校への編入学の準備が始まった。一週間ほどかけて準備が終わり、いよいよ編入学式の日がやってきた。
襟元に大きなリボンのついた紺青色のスペンサージャケットとスカートの制服を身にまとい学校へと向かう。その付き添いにはミライルお母様が自分で同行すると言い出したのだが、さすがに天下のモーデンハイムが顔を出したのではアルセラのクラスメイトとなる者たちも緊張してしまうだろう。
変に偏見の目をもたれないためにも、お母様には周囲の者たちが丁重に説得をして、とりあえず送迎時の付き添いのみと言うことで納得してもらった。
学校内まで付き添いはノリアさんにやってもらったのだが、ミライルお母様のチクチクとしたお小言がその日1日ずっと折に触れて続いていたのは流石に同情する。
お母様、お気持はわかりますが、それはやりすぎです
その一方で、私はと言えば、かつての学び舎であるドーンフラウ学院に訪問して時間を過ごす毎日。プロアはドルスたちと一緒にブレンデッドへと旅立った後だったので当面の間はおとなしくするしかなかった。
時々、アルセラと外出したりして気分転換する。そんな日々を送っていたある日のことだった。
ミライルお母様から私へと、一緒に外出するようにお達しがあった。朝食を終えてくつろごうとしていたときだった。
「エライア、出かけるわよ」
「はい、お母様」
お母様はどこへ行くとは一切言わない。
小間使い役のメイラさんが一緒に来ようとしても、
「あなたは留守居役を頼むわ」
と言うだけだった。結局、私とお母様だけで外出することになった。私もアルセラもメイラさんたちも驚き戸惑うばかりだったが、セルテスとお爺様は事の仔細を分かっているようだった。
指定された服装は飾り気のないワンピースドレス。エンパイアスタイルドレスを肌の露出を減らしてより質素にしたものだ。帽子も飾りのないシンプルなストローハット。
まるでお悔やみかお見舞いにでも行くような服装だった。
準備を終えて正門玄関へ向かえば用意された馬車は質素な四人乗りのブルームだった。使用人達に見送られて私とお母様はどこかへと向かったのだった。
馬車を走らせオルレアの市街地外の郊外へと向かう。途中、休憩としてモーデンハイム家の分家の一つに顔を出し厄介になる。
休憩をすぐに終えると馬車に乗り再び郊外へと向かう。
馬車の中でのお母様の表情はいつになく真剣だった。迂闊に話しかけるのもはばかられるほどに張り詰めた空気が馬車の中に漂っていた。
馬車で向かったのは、オルレア郊外の森林地帯だ。密集した木々のその向こう側に開けた場所があり、人里離れた地に鉄柵に覆われた白磁の建物があるのだ。
その施設の建物に近づいた時に、車上から見慣れた顔が見えた。
「あれは?!」
かつて偽軍人のゲオルグに扮していたオブリスさんだった。たまたま馬車が速度を落としたので、オブリスさんと目が合った。向こうも私に気付いたようで深々と頭を下げてくる。
偽軍人と言う大罪を犯している彼がなぜここにいるのか? 一瞬疑問が湧いたが今はその事をあれこれ考える時ではないだろう。
でも私は彼についてある事実を思い出していた。
「たしかあの人の奥さんは結核――」
それをつぶやいたときに、清潔さをなによりも感じさせるこの建物が何であるか気づいた。
「まさかここは、医療系サナトリウム?」
――医療系サナトリウム――
通常の短期の入院と異なり、長い期間の治療を余儀なくされたり通常の生活には戻れない深刻な障害を負ってしまった病人たちが介護を受けながら暮らしている施設だ。
寝たきりの人、結核のような難治性の病気の人、白血病のような不治の病の人。あるいは偏見にさらされやすい伝染病患者――
そうした一般の病院では引き受けることの難しい特別な事情を孕んだ長期療養を必要とする患者のための医療施設だ。
オブリスさんの奥さんはかなり症状の進行した結核病だったはずだ。
敷地内の一角に馬車を止めると、正門入口とは別な一角の入口から入る。そして内部ではすでに白衣の介護士たちが待機していた。
「モーデンハイム家の方でおられますね?」
白衣に身を包んだ介護士の人たちが私たちを待っていた。私たちの身元を確認すると、別室へと案内されて衣装を着替える事になった。
首から下をすっぽりと覆う割烹着のような白衣に、頭全体を覆う頭巾、さらには鼻から顎までを隙間無く覆うマスクもつけさせられた。手にはめるのは薄いゴム製の手袋。最近の医療現場で開発されたばかりのものだ。露出しているのは目だけという徹底ぶり。
さらには履物も履き替えさせられる。
介護士の一人が言う。
「お支度はよろしいですか? ここから先は扉の開閉も含めて私たちが行います。決してお二人はどこにも触れないようにご注意なさってください」
「はい」
「承知いたしました」
私とお母様が答えると、介護士の人たちは私たちを先導してくれた。病院の施設内を歩いて行く。
そして私たちの前にとある病棟が現れる。両開き扉のその入り口の上にはこう記してある。
【低感染力患者病棟】
この一つは患者の状態や病気の容態に合わせて病棟が事細かに分けられている。低感染症とあるだけあって感染力の弱い伝染病患者の人が入院しているのは明らかだった。
私にはそれが誰なのかなんとなく予感がしていた。
すべてが個室で管理された病棟の中を歩くとやがて特別室と記された部屋へとたどり着く。扉の入り口には患者の名前は記されていない。
その扉を前にしてお母様が口を開いた。
「あなたに合わせたい人がいるのよ」
その言葉に思いつく人物は一人しかいない。
「まさか、ミルフル母さん?」
ミライルお母様は静かに頷いた。やっぱりだ、お母様もあの人のことを既にご存知だったのだ。
付添いの看護士がドアを開けると清潔な病室のベッドの上には、痩せ衰えたひとりの女性が横たわっていた。その風貌にも長年の病の跡が残酷にも残っている。
介護士の人が彼女に声をかけた。
「ミルフルさん、ご面会ですよ」
ミルフル母さんは寝息を立てていたが、不意に起こされて体を起こしてあたりを見まわそうとしている。介護士の人が更に声をかける。
「〝娘さん〟ですよ」
その言葉に嬉しそうにはにかみながらミルフル母さんは私の方へと視線を向けてきた。
「……ルスト」
力のない声、去年会った時から比べると病状がさらに進行しているのがわかる。おそらくもう自力で歩くことは無理だろう。
だが、この場に私を連れてきたのはミライルお母様だった。戸惑いながらお母様の方を見れば、お母様は私へとこう告げた。
「大丈夫よ。私も、ミライルさんもすべてをご存知だから」
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