歓迎会Ⅲ 乾杯のご発声と、錚々たる面会者たち

 我がモーデンハイム家の大ダンスホール。その大広間で宴は始まった。

 ホールの片隅では弦楽器による楽団が優雅な音楽を奏でる準備をしている。そして、ダンスホール内では給仕役の侍女たちが、カクテルグラスを多数載せた盆を手にして会場を歩き回っていた。参加者たちに乾杯のグラスを配っているのだ。

 頃合いを見計らって私の祖父であるユーダイムお爺様が進み出てきた。お爺様もグラスを手にしており、私のグラスはメイラさんが運んで来てくれた。

 お爺様が高らかに告げる。


「それでは、我が孫娘エライアの帰還を祝して乾杯をしたいと思う。その乾杯の合図はエライアの学問の師であるこの方にお願いしたい。アルトム・ハリアー教授!」


 名を呼ばれてハリアー先生は人垣の中から進み出てきた。正装のルタンゴトコート姿だ。

 先生はグラスを手に来賓客たちの前へと進み出て立つと、まずは私の方を向く。


「エライア君! まずは帰還おめでとう!」

「先生! ありがとうございます」

「君のこの2年間での武勇の数々は私も聞き及んでいる。精術の研鑽も進んでいるようでなによりだ。実践にまつわる興味深い話もあるのだろうが、それはいずれ学院の方で承ろう」

「はい! 先生!」


 私の力強い声に先生は満足げに頷いていた。そしてみんなの方へと振り向き直すと先生は力強い声でこう告げた。


「お集まりの皆様! 私、ドーンフラウ学院にて教鞭をとっております精術学教授アルトム・ハリアーと申します。僭越ながらモーデンハイム家ご当主ユーダイム候のご指名により乾杯の発声をとらせていただきます。それでは皆様、グラスをお手にお立ちあがりください」


 先生のその言葉に皆が姿勢を正す。私もグラスを手に指定席から立ち上がり先生の方に視線を向けた。

 皆の準備ができる頃を見計らいこう告げた。


「それでは! モーデンハイム家ご令孫令嬢、エライア・フォン・モーデンハイム嬢の長期ご遊行からの無事のご帰還を祝し!」


 先生の言葉が一瞬の〝間〟をつくる。

 先生は高らかに宣言した。


乾杯トーストン!


 その言葉と共に皆がグラスを高く掲げ、その後にグラスの中の酒盃を一口、喉に流し込む。そして、グラスを手頃なところへと置くと割れんばかりの拍手で祝福の意思を送った。

 そして、先生はこう告げたのだ。


「それでは皆様、ご歓談ください!」


 その言葉と共に長い宴が始まった。

 

 乾杯を終えて私は自分の席へと腰を下ろす。席の両サイド少し後方にはお付きの少女侍女たちが控えている。そして私の傍には小間使い役のメイラさんの姿もあった。

 まずは私の所へと進み出てきて、自ら挨拶を述べようとする格の高い人々を待ち受けた。

 こういう場では主賓である私の所に自ら近づいてこれるのは、それなりの地位と、モーデンハイム家へと直接に対話をすることが特に許された人々でなければならない。

 まず最初に私のところに現れたのは、フェンデリオル正規軍の中央幕僚本部を代表して、ソルシオン将軍閣下だ。

 正規軍の礼装姿で左腰に儀礼用の牙剣を下げて将軍は現れた。将軍は私が西方国境で一体何をなしてきたのかよくご存知だった。それもそのはず、私にあの時、前線指揮権の委任状を発行して託してくれたのは将軍閣下に他ならないからだ。

 長身でガタイの良い将軍閣下は、綺麗に切り揃えた金髪をポマードで形を整えていた。私を見下ろすように立つとにこやかに微笑みながら言う。


「エライア君、よもや君にこうして再び出会える時が来るとはな。軍学校卒業前以来だな」

「ソルシオン将軍閣下におかれましてもご健勝そうで何よりです」

「うむ。君もな。積もる話は山ほどあるが、それはいずれ正規軍本部の方でじっくり聞かせてもらおう」


 将軍はおそらく私の職業傭兵としての名前と素性を知ってらっしゃる。だがそれを言葉で口にするほどこの方は迂闊ではない。

 私と握手を交わすと別の人物に順番を譲り離れていった。


 その次に現れたのは上級候族十三家の当主やその名代と言う方たちだった。我がモーデンハイム家と、私の親友のレミチカが名代を務めるミルゼルド、そして現在、取り潰しに合っているバーゼラル家を除けば残りは十家。互いに譲り合いながら形式的な挨拶を次々にかわしていく。

 それが過ぎれば、上級候族の階級にある有力候族の諸家の方たちが挨拶に来る。ここでも特に顔覚えていたり親しい間柄でなければ簡単な挨拶で済ませることになる。

 さらにその次が平民階級の有力な名士の方々や、外国の特使、あるいは様々な有力組織団体の代表のお目通りとなる。


 中央銀行協会の会長、

 ドーンフラウ学院大学の名誉総長、

 国家医学学会の学会長、

 フェンデリオル国教会の大司教、

 新聞報道出版協会の名誉会長、

 職業傭兵ギルド総本部事務局長、

 国際河川運河連絡会フェンデリオル支部局長、

 ヘルンハイト公国全権大使、

 パルフィア王国外交使節長、

 フィッサール連邦在外特使長、

 ジジスティカン王国在外大使、

 エントラタ国在外国奉行、

  

――などなど、錚々そうそうたる人々が次から次へと私の前に姿を現す。

 その事実はあらためて私自身が、いかに巨大でいかに威厳のある一族の一員であるかと言う事を思い知らせてくれる。

 その事実に思わずめまいがしそうになった。

 

 それらの次々と挨拶希望の来賓客の仲介役として私の傍に立ってくれたのは筆頭執事のセルテスだった。並み居る重要人物たちの挨拶の順序を失礼のないように整理したり、私が相手がどんな人物であったか失念している場合はさりげなく耳打ちしてくれる。

 メイラさんも、相手に対して私の立ち振舞いで粗相がないように補助をしてくれるのは彼女の役目だった。

 そうして小半時ほどの時間が過ぎれば、向こうから私にお目通りお願い挨拶をしに来ることが常識上許されている人々はほぼ終わりとなる。


 それ以外は私には直接縁のない人々であり、こちらから声をかけなければ向こうから挨拶することは許されていない人々になる。

 モーデンハイムに何らかの関わりがあっても、せいぜい招待されるまでが限度という人々だ。モーデンハイムを支える出入りの業者や、間接的に関わりのある取引相手という人々だ。

 当然だからそこまで格が下になり、私と地位的な距離が離れると彼らの方から私に挨拶をすることは常識上認められていない。当然ながら私の方から挨拶を送ることになる。

 つまりは挨拶の言葉を下賜するための会場内の散策へと移行することになるのだ。

 この豪華壮麗かつボリュームのあるドレス衣装をまといながら会場中をめぐり歩かなければならない。それはそれでかなりしんどいのだが。


 そのさい、誰に声をかけどのように挨拶をするかは、同行するセルテスやメイラさんの判断とアドバイスに委ねることになる。

 執事や小間使い役と言うのは常日頃から、主人やその家族に成り代わり、対外的な判断や掌握を任されているからだ。


 そして私はセルテスやメイラさんに助言や耳打ちを受けながら様々な人々に声をかけて挨拶をしていく。

 時には恐縮され、時には驚かれ、あるいは感謝の言葉を贈られる。立場や地位に大きな隔たりがあると挨拶をすることすら無いというのはざらにある話だ。


 例えばだ――、

 モーデンハイム家に私が生まれる前から30年以上も勤めていながら、今日初めて当主家族と言葉を交わしたと言う歳老いた職人の人がいた。

 話を聞けば、馬車の修理をする専門の職人の人らしく、2年前の夜の出立のさいに乗った馬車は彼が手がけていたという。世の中とは本当にたくさんの人々の善意と手を経て維持されているのだと思わずにはいられなかった。

 私が彼に、


「これからもお役目よろしくお願いいたします」


 そう声をかければ、彼はしわだらけの顔を嬉しそうにしかめて笑いながらこう答えてくれる。


「いやぁ、残念ですが来年の春で引退ですわ。もうこの歳になっては目も手も思うように動きません。ですが、こうしてお声をかけていただいて満足ですわ」


 聞けば彼は長い勤めを次の春に終えるのだという。その長年の功労に対して、モーデンハイム家からは年金が払われることになっていた。これからはそれを頼りに奥様と二人でのんびり暮らすのだという。今回は、その長い勤めの労いの意味を込めて歓迎会に招待されたのだ。

 私は彼の手を取りそっと告げる。


「長年のお勤め、ご苦労様でした」


 私は働く人の手が好きだ。世の中には色々な役目の人がいる。色々な仕事をこなして働いている人がいる。そしてその仕事の数だけ働く人の手がある。長年にわたり道具を手にして、埃と油にまみれながら危険がないようにと我が家の馬車を大切に面倒を見てくれた手、皮が厚くゴツゴツとしていていかにも力強そうな立派な手だった。

 私自ら手をとってくれたことに彼は驚きつつも満足げに笑みを浮かべながらそっと頭を下げたのだった。

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