アルス先生、裏の真実を語る

 そして先生の話は核心へとたどり着く。


「そこへ持ってきて2年間も失踪していたあなたが、モーデンハイム本家へと戻ってくるという話が聞こえてきたの。私としては気が気じゃないわよ」


 私は先生に尋ねる。


「アルス先生」

「なに?」

「あの、もしかして私の場合も身体検査で介入しようとする人たちが居たんですか?」


 私の問いかけに少し思案をして先生は答えてくれた。


「もちろんいたわよ。事実上あなたが叩き潰したあのクソッタレな先代当主にこっそりと加担していた連中とかね。医師を複数同席させろとか、自分の指定する弁護士を同席させろとか、女性親族にも見聞させろとか、何度も何度も入れ替わりにしつこいくらいにね。写真撮影をして証拠を残すべきだなんて言ってたひひジジィもいたな。さすがに我慢ならなくて、そいつだけはその場でぶん殴ったけどね」


 話を聞くに怒り出すとなかなかに剛毅な人柄らしい。

 先生の語るため息の深さがその執拗さの深刻さを物語っていた。


「おそらくは、あのデライガ候のもたらす利益におこぼれに預かってた連中でしょうね。自分たちの利益の種を潰してしまったあなたに辱めという形で屈辱的な思いを味あわせようという魂胆なのだと思うわ」


 私はその瞬間背筋が凍る思いがした。本家に戻る以前にひどい目にあわされていた可能性すらあったのだ。だが先生は言う。


「でも私はもういい加減耐えられなかった。腐った大人たちのくだらない欲望のために、純粋な女の子達が苦しめられるのは見過ごせなかったの。だから私は現当主のところに直接乗り込んだの。『エライア嬢のご帰還に際し、不当な介入を止めさせてください』って。それが叶わなければ専属医師を辞させてもらうって付け足してね」


 少しの沈黙が流れる。するとアルス先生は打って変わった口調で話し始めた。


「これが先代当主のデライガだったら、私の意見は一蹴されて解雇されて終わってたでしょうね。当然あなたの帰還はひどいものになり、散々辱めを受けたあげくに、最後は人目を避けるように監禁されたでしょう」


 私は言葉を挟む。


「でもユーダイムお爺様は――」

「ええ、ユーダイム候は違った。私の意見を丹念にひとつひとつ聞いてくれただけでなく、今後一切、医師以外の親族関係者の不当な介入を禁止するように当主直令で全親族に対して通達を発すると言ってくれたの。

 それはその日のうちに速やかに現実となった。そればかりか過去10年間に遡り、それまでに親族内で行われた、婦女子に対しての身体検査面目で行われた虐待行為についての調査が行われた。明らかに不当な虐待行為に該当する場合は厳重な処罰をするとまで、ユーダイム候は明言したわ」


 そこでほっとしたような表情でアルス先生は私へと言った。


「すべてはあなたを安心して迎え入れるためよ」

「そうだったんだ」

「ええ。もっともそれでもうるさ型の親族連中を納得させる必要もあったから、病気に関する健康診断と常識的な範囲での身体検査は行うべきと言う指示が出てしまったの」

「それで私の診察が――」

「そういうこと。本当だったら私とあなただけで口裏合わせして書面上の話で済ませるつもりだったんだけど。例の候族規範法典の改正があったでしょ? そうなると立ち会った上級使用人のメイラも巻き込むことになるから形だけでも診察せざるを得なかったのよ」


 そういう事情が絡んでいるとなると、これはこれで仕方のないことだと思う。

 ましてやアルス先生が私の診察の時に口にしたように、病気の有無や望まない妊娠などの事実は適正に対処されなければならないからだ。

 アルス先生が更に指摘する。


「それにほら、あなた娼館で働いてたりしたでしょ? きちんとした事実を確認しとかないとあらぬ噂を立てられた時に反論できないのよ。あなただって娼館で働いてた事実知られたくないでしょ?」

「それはその、はい。迂闊に知られると変な勘ぐりされますから」

「でしょう!? 実際、娼館で何をしていたの?」

「伝票整理と通訳です。あとはいざという時の〝用心棒〟」

「えっ? 用心棒?」


 アルス先生が驚の声を上げる。だが、これは事実だ。軍学校での経験もあっていざという時には、素手でも暴漢の一人や二人くらいは返り討ちにすることができる。実際ひどい酔っ払いを取り押さえたり店の外に叩き出したりするのはよくやっていたのだ。


「はい。酔客の一人か二人くらいならなんとかなりましたから」

「呆れた。女の子の仕事じゃないわよ?」

「おっしゃる通りです。当時も取り押さえた相手から『お前それでも女か!』って、よくなじられました」

「やっぱり!」


 私たちはそこで初めて声を上げて笑い合った。


「でもまぁ、そういう事情があったのことだから。恥ずかしい思いをさせちゃったけどそこは勘弁してね」

「はい大丈夫です。もう気に病んでませんから」

「そう? それなら良かった」


 先生はにこやかに微笑んでくれた。そして私の肩をそっと叩きながら言う。


「あなたのお母様、あなたがお帰りになられるのを心待ちにしてらっしゃるわよ。胸を張って堂々と真正面からお帰りなさい」


 私の知らないところで大変な問題が起きていたのだ。候族社会の黒い因習、私自身もあと一歩でそれに巻き込まれるところだったのだ。

 だが、その憂いはもうない。


「はい、何も臆することなく笑顔でお母様とお爺様にお会いしようと思います」


 先生はその言葉に頷いてくれた。そしてこう言ってくれたのだ。


「その笑顔が見れて安心したわ」


 そして立ち上がると手にしていたティーカップをテーブルの上へと置く。


「じゃあね」

「はい」


 その言葉を残して先生は私の前から去っていったのだった。

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