医師アルスの打ち明け話
「先生?」
「ごめんね、驚かせたかな?」
「いいえ。大丈夫です」
先生は私に近づくと椅子の一つを持ち出して私の隣に腰掛けた。先生の登場に合わせてメイラさんが黒茶をもう一杯運んできてくれた。
先生が言う。
「ありがとう」
先生は茶の入ったカップを手にしながら私へと問いかけてくる。
「あれからどう? 気持ちは治まった?」
そう問いかけられると先生に診察された時のことをかえって思い出してしまう。不意に恥ずかしさがこみ上げてきて顔が熱くなってくる。
「ああ、ごめんね。恥ずかしい思いを引っ張り出すために来たんじゃないのよ」
それに続けて先生は意外な言葉を口にした。
「あなたに謝りに来たのよ」
「え?」
そう語る先生の横顔はとても真剣なものだった。
「私ね、モーデンハイム家の専属医師をしてるんだけど私を雇ったのは先代の本家当主なのよ」
「先代当主?」
先代当主と言うと私の父のその前だからユーダイムお爺様ということになるのだろうか?
「つまり、ユーダイムお爺様ですか?」
「え? 違う違う! あなたのお父様よ。と言うより聞いてないの? あなたのお父様〝デライガ候〟は失脚して当主の座を追放されたのよ? その代わりに隠居だったユーダイム候が暫定的に当主に復帰したのよ」
「えっ?」
寝耳に水、青天の霹靂、驚き以外の何者でもない。呆然とする私の顔を見てアルス先生は困惑しているようだった。
「あー、これはまずったな。こういう話はちゃんとした責任者から順序を追って伝えなきゃいけないんだけど。口にしちゃったからまぁいっか」
はっきりしていてさばけている人柄のアルス先生は開き直ったかのように喋り始めた。
「あなたのお父様は今まで散々にやりたい放題にやってきたけど、この間の西方辺境の国境戦闘での結果が遠因となって、回避不能な窮地に追い込まれ、全体親族会議で全会一致で廃嫡処分となったわ」
「廃嫡?」
廃嫡――、家督継承の権利を持つ子息や息女が、家督継承の権利を奪われ、一切の公的責務を遂行する権限を奪われることだ。
一度廃嫡という処分をうけてしまったら二度と取り返しはつかない。それまでに得た権利や権勢は瞬く間に失われる。それほどまでに厳しい処分なのだ。
「ええ。あなたのお母様との婚姻関係は破棄となり、代わりにあなたのお母様が、現当主に復帰したユーダイム候の養女となることであなたは改めてユーダイム候の孫としてモーデンハイムの一員に組み込まれることとなったの」
「お母様がお爺様の養女に?」
意表を突く事実にさらに驚かざるを得ない。
「まあその辺は本家に帰ってからご本人にじっくり聞く方がいいでしょうね。でもね私が話に来たのはそのことじゃないの」
私は体を振り直してアルス先生の方をじっと見ていた。
「こうゆう上級候族のお抱え医師をやってると、実入りはいいんだけど、人間関係的に嫌なものを見るのが多くてね」
先生はため息をつきながら打ち明け話を続けた。
「親族の臨終の際にまだ死んだかどうか名言される前から遺産の取り合いで血眼になる連中とか、生まれてきた自分の子供の血筋を信じることができず自分の子供に疑心暗鬼になる父親とか、危ない火遊びで望まない妊娠をしてしまったご婦人とか、よくもまあこんなに人の道を堂々と踏み外せるもんだと嫌になってくるのよ」
悲しいかな、それは上流階級である候族にはつきものの光景だった。身分と地位があるから、財産と財力があるから、尚更に剥き出しの欲望に取り憑かれる人は珍しくないのだ。
「親子関係でもよくあることでね、あなたのように親子関係に疲れ果てて家出したり、無断恋愛に走ったり、親に隠れて恋人や友人と旅行に行ったりするのはよくある話なのよ」
その話を聞かされて私の頭の中で何かが繋がった。
「もしかしてそう言った女の子たちって後から連れ戻されて――」
口にするのもはばかられるような仕打ちを受けることになる。
「さすがね。頭の回転が早いのね。お察しの通りよ。身の安全と純潔を確認するという名目で人前で晒し者にするの。親の権力と立場に逆らって恥をかかせた罰としてね」
そう語るアルス先生の顔には義憤の色が浮かんでいた。
「知らなかったでしょあなた?」
「はい」
「これははっきり言って候族社会の裏の顔よ。人の皮をかぶった欲望の権化がそこかしこで隠れているの」
先生の言葉は続いた。
「こういう仕事をやってるとね、いやでもそういう現場に何度も出くわすのよ。親に逆らったらこうなる。そういうのを骨身に染み込むまで叩き込むの。
親だけじゃないわ、親族関係者が自分が優位に立つために口を挟むこともある。でっち上げてもいいから不貞の証拠が見つかれば、それを理由に相手を不利な立場に追い込む。遺産分配の受け取り手が減るとでも思ってるらしいのよね」
だが私の心は尊厳を踏みにじられた女の子たちの気持ちに関心が移っていた。
「でもそれではその女の子たちは」
「当然、心に深い傷を負うわ。ふさぎこんで人と会うのを拒否するのは軽い方で、やけを起こして破滅を覚悟でもう一度家出をしたり、発作的に自死したり、精霊神殿に出家してしまったり、そんなのばかりよ」
その時私はアルス先生にあえて批判的な言葉を浴びせた。
「先生は医師としてその女の子たちの側に立って意見をすることはできなかったんですか?」
「言ってることはわかるわ。でもね候族と言う身分社会の中では一介の雇われ医師の立場なんて軽いものなのよ。それこそ医者の代わりなんていくらでもいるから。でもね、何もしなかったわけじゃないの」
先生は過去の事例を思い出しながら語り続けた。
「家出をしたある女の子の場合、こう耳打ちしたの『取り乱したふりをして半年くらい自分の部屋に閉じこもりなさい』ってね。わざと心の病を発症したように人事不省を装いなさいってアドバイスしたのよ。そして私は診察と治療するふりをして彼女たちの仮病の後押しをするの」
「仮病の推奨!」
「ええ、そうよ? そうすることで周りは本当の心と精神の病になってしまったんじゃないかと取り乱すからね。嫌でも放置しなければならないからね。そうでもしなければ彼女たちを守ることはできなかったから」
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