入浴、創られていくご令嬢
朝食の場は川岸の景色が見えるテラスのある部屋だった。すでに給仕役の侍女が待機している。
「それではごゆっくりどうぞ」
メイラがそう言葉を残してこの場から一旦去っていった。
朝食のリゾットと川魚のほぐし身のコンソメスープを食し終えて黒茶を味わう。ほどほどの時間が流れて落ち着いたところでメイラが再び姿を現した。
「お食事のところ大変失礼致します。早速ですがご入浴の方を始めさせていただきたいのですがよろしいでしょうか?」
「お願いするわ」
「かしこまりました。それでは別室へとご案内させていただきます」
メイラの案内でさらに別室へと向かう。
その保養施設の中を歩いて行けばそこはかとなく温泉の湯の香りが漂っている。
そうしてたどり着いた場所に両開きの扉があり二人の侍女が扉を開けてくれて、さらにその中へと入っていく。
入ってすぐはエントランス。そこから複数の場所へと移動することができる。
さらにその中の一つを選ぶ。
進んだ先は脱衣場で脱いだ衣類を収納・管理するための場所だ。
さらにその奥に美容室、浴室へと続いている。
私が脱衣場にたどり着くと、すでにその部屋にて待機していた4名ほどの侍女がメイラさんの指示で動き出す。
前と後ろからシュミーズドレスの背中と襟元の紐をほどくとシュミーズドレスのスカートの裾を掴んで上へと持ち上げていく。そのまま脱がすと中に2人が左右からパンタレットとブラレットを脱がしていく。さらに素早く体に大柄なサイズのタオルケットを私の体に巻いてまずは準備の出来上がりだ。
「それではこちらへどうぞ」
さらに招かれて美容室を通り過ぎ浴室へと向かう。そこではさらに6名ほどが待機している。浴室ということもあり木綿のしっかりとした布で作られた前合わせのガウンのような浴室作業衣を身につけていた。
浴室であるその部屋で行われたのは、湯浴みと色々な種類の石鹸や香油や美容オイルなどを使っての汚れ落としと体の手入れだった。この辺はワルアイユで祝勝会の準備の時にやったことと同じだが人数と規模が違う。
完全分業制で湯船への入浴から、湯から上がっての石鹸を使っての汚れ落とし。さらにもう一度湯に浸かって体を温めなおし。
背もたれ付長椅子の上に寝そべっての体への香油の刷り込み、それと同時に髪の毛の質に合わせた弱酸性の石鹸液を使っての洗髪へと進む。
仕上げには髪に蜂蜜と卵白を主成分としたコート剤を髪の毛に丁寧に塗り込んでいく。そして、香油とコート剤が体と髪に馴染むのを待って、清潔なタオルで余分な液を吸い取って出来上がりだった。
さらに顔の総合的な手入れと、髪型の仕上げは、専門の担当が行うことになる。
背もたれ付き寝台から降りて立ち上がると、素早く身体用のタオルを巻いてくれる。隣の美容室へと移動して籐製の椅子に座らされて、肌の手入れと化粧の技術を持った専門の女官が私の顔を丁寧に仕上げてくれる。それが終われば今度は髪の毛。櫛で丁寧にすいた後にハサミを使って髪型の整えと続いて一通りは終了となる。
でもこうした湯浴みは一回だけで終わることはない。1日に最低でも3回は行うことになる。それだけの回数を行う理由は肌の手入れである香油にある。
良い香りを体になじませるための香油だが、一時的な体の手入れに終わらせるのではなく。体に良い香りが染み込み、肌の潤いがいつでも維持できるほどに、体の隅々にまでなじませるのだ。
上級候族の子女やご婦人が、毎日のように湯浴みをし体の手入れを行うのは当たり前のことだが。格が上になって行けば行くほど、その手入れの規模と入念さは尋常なものではなくなっていく。
こうして一般の子女とは、雰囲気すら違う美しさと気配を作り上げていくのだ。
その意味ではエライア・フォン・モーデンハイムとして実家へと帰還するにはこの施設での滞在は必要なもの。
こうして一人の令嬢が時間をかけて作られていくのだ。
初日の最初の湯浴みが終わったところで、ガウン姿に着替えた後にさらに別室に向かう。衣類の仕立てなどのために気つけや体の採寸などを行うための部屋だ。
ここに招かれたということは、このあとに着ていくための衣装をオーダーで作ることになる。この保養施設への滞在日数は、その仕立てに必要な日数でもあるのだ。
ガウンが脱がされて、手早く採寸が行われる。この辺は手慣れたもので瞬く間に必要な数字が記録されていく。
そして再び下着と着用し、シュミーズドレスに着替えて、その日の午前の湯浴みは終わりとなる。
これがこの保養施設での滞在の期間中、手を替え品を替え何度も続くことになるのだ。
心の片隅に〝ふやけてしまいそう〟と思ったりもしたが口にはしないでおこうと思った。
少しの休憩をおいて昼食の時間となる。その日の昼は前菜から始まる軽めのコース料理だった。このミッターホルムは物流の要ということもあり食材が豊富に流れている。スープもよくあるコンソメやコーンポタージュのようなものではなく、南の方から山を越えて運ばれてきた海の食材が使われたものが並んでいる。
あさりのスープに、白身の魚のソテー、肉料理は無く、青物野菜だけで作られた温野菜料理に、塩バターで味付けしたパスタへと続く。
デザートにはイチゴをふんだんに使ったゼリーが振る舞われた。
食事の後は食休みの休憩を置いて、サウナでたっぷり汗を絞り、薬湯で体をほぐす。お風呂から上がった後は専門の技巧師による全身のマッサージと続き、最後の方はすっかり眠りこけていた。
私の耳にはマッサージ師の老女のこの言葉がいつまでも残っている。
「うら若いお嬢様のわりにはお体の筋肉がご立派でらっしゃいますね」
自分では意識していなかったが、想像以上に体に筋肉がついてしまっているということなのだろう。何しろ1年半近くも傭兵として戦場を駆け回っていたのだ。その前の半年間は娼館の下働き、お店の姉様達に言われるままにあれやこれやと走り回っていた記憶しかない。
体というのは、それまで生きたそのままに変化が体に残っていくものだ。その意味ではそれだけ思う存分に体を動かして生きていたということでもあるのだ。
私は、マッサージ師の老女にこう答えた。
「それだけのことを成してきたと思っていますから」
その言葉に嘘偽りはない。私は自分が自分自身の体が人に誇れるものであることをその時気付いたのだった。
マッサージが終わりそのまま体にブランケットかけられて寝台の上で私は眠りについていた。夕暮れも近くになり目を覚ますと。シュミーズドレス姿に戻って見晴らしのいいテラスルームに移動してお茶を所望した。
二日目も夕暮れ近くになり私もこの状況に慣れ始まってきたのだろう、周りに合わせているという気持ちはようやく薄らぎ始まっていた。
「どうぞ」
メイラが黒茶を持ってきてくれた。お茶受けにホワイトチョコのかかったラスクが添えられていた。
「それではごゆっくり」
そう言い残して去っていく。私の気を煩わさないようにとあえて私一人してくれたのだ。そう言うところは実に気が付くと思うのだ。
私は一人になったことで今の自分の状況に思いを巡らせることができるようになっていた。
ずっと自分自身の才覚で困難を乗り越え実績を積み上げチャンスを掴み取り誰にも指をさされることのない仕事をしてきたはずだった。
だがそれはもうない。
もしかしたら、自分自身の力で生きれる場所に帰れるかもしれないが確証はない。
テラスの窓の外を紺色の一羽の小さな鳥が舞い上がっていく。この辺りに生息しているのか、それとも山越えして別な地方へと飛んでいくのか、その鳥の行き着く先が心配になってしまう。
いや違う。
風に飛ばされるように飛んでいく鳥の姿に、今や儚い身の上となってしまった自分自身のことを重ねているのだ。
「納得して帰ろうとしているはずだよね?」
私はわかってやっているはずだった。
「本当に納得してる?」
自分自身に問うてみるが答えは出ない。考えても見るがいい。この保養施設にたどり着いてから服一着着替えるのだって自分自身の意思ではどうにもならないではないか?
ここに来てから以降、おそらくは本家に暮らしているお母様の見えざる意志が働いているのだろう。
もしかしたらこれが自分自身の本来あるべき姿だったのではないか? そうとまで思えてしまうのだ。
自分自身の中に湧いてくる心細さを持て余しているその時だった。
「どうしたんだい? 随分と物憂げにしているようだけど?」
不意に背後からかけられた声。それは私の体を診察してくれたアルス先生のものだった。
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