村長との語らいと〝本当の〟エルスト・ターナー
村長さんの家では村長さんの奥さんや娘さんが私が来るの待ってくれていた。
そこで歓待を受けて夕食を食べさせてもらう。
この村の人にとってはご馳走となる肉料理だった。
女3人寄ればかしましいと言うが、まさにその通り。ましてや娯楽の少ない山あいの村だ。外の世界のことを知りたいと思うのは当然だった。
「西の国境でそんな大規模な戦闘が?」
「はい、あやうく国境を越えられるとこでしたが、なんとかこれを撃退することに成功しました」
「ルストさんも、その戦いで武功を?」
「はい。戦闘の直接的な勝利につながる功績を認めてもらいました」
「すごいじゃない」
「さすがですね」
「ありがとうございます」
いろいろな話題が飛び交いながら夕食は進んでいく。
騒がしく喋りあう私達を尻目に村長さんはパイプ煙草を燻らせながら私たちを見守っていた。
夕食を食べ終えて後片付けが始まる。私も手伝おうとしたがそこまでしなくていいと丁重にお断りをされた。
後に残された私と村長さんで会話が始まった。
「母のことは本当にありがとうございます」
「礼を言われるようなことじゃない。人として必要なことだと気づいたから当たり前のことをやってるだけだ」
私のお礼の言葉をそんなふうに返す村長さんは、最初こそとっつきにくい人だが、気心が知れるととても信頼できる人だと言うのが分かった。
そもそも、ミルフル母さんの悲惨な暮らしを知り、その解決のために私が動いた時、最終的な解決の方法として話し合いに乗り込んだのが、この村長さんのところだった。
腹を割った話し合いの末、村長さんが出してきた条件は
『しっかりとした著名な医者か学者の意見を聞く』
という物だった。
漢生病と言うものが私の言うとおり、恐れるようなものでないというのなら、然るべき人の意見を聞いて判断しよう。それがその時の村長さんの判断だったのだ。
私は免疫学の権威のとある医学博士の所へと手紙を送った。一週間ほどで丁寧な返事が帰ってきた。その中には非常にわかりやすく書かれた【治療方針指南書類】と【必要な医療用具】そして【治療薬】が収められていた。
その手紙には末筆にこう記されていた。
――病気を悪化させるのは、病原体でも体力の衰えでもない。周囲の無理解と偏見である――
この言葉を大声で読み上げ村人たちに知らしめたのもこの人だった。そして皆の前で私とミルフル母さんにふかぶかと頭を下げたのだ。
――今までひどいことをしてすまなかった――
この一言を境にミルフル母さんをめぐる問題は一気に解決へと向かったのだ。
村の中で話し合いがもたれ、ミルフル母さんの生活環境の改善と、介護の方法が検討された。その時、村長さんはこうも言ってくれた。
『他の村人がいつ重篤な病にかかるかわからん。これが良い機会だ。そうなった時に村全体でどうやってその病人を助けるか。やり方を決めておこう』
山間の小さな村だ。病気になっても医者にかかるのもなかなか難しい。重い病気になれば適切な治療を受けられず命を落とすことも考えられる。
これが良い機会と考えた彼は、他の村人が重い病でかかった時にどういうやり方でそれを助けるかを考えるようにしたのだ。
そして、ミルフル母さんの介護の手筈が整えられ、その継続的な治療のために薬代を稼ぐ必要が出てきた。
私はその時、手持ちのお金の一部を当面の治療費として置いていくと、村長さんとミルフル母さんの許しを得てミルフル母さんの死んだ娘であるエルスト・ターナーの名前と身分を使わせてもらう事を申し出たのだ。
職業傭兵となって治療費を稼ぐために。
「早いですね。あれからもう一年半が経つんですね」
「そうだな」
そして村長さんはしみじみと言ってくれた。
「お前は約束を守り頑張った」
「約束を守るのは人として当然のことですから」
「そうだな」
そして村長さんはこうも言ってくれた。
「あれ以来、村が明るくなった。何か問題があると噂話だけが先走り皆が疑心暗鬼になっていたのが、何気ないことでも互いを思いやるようになった」
そう語る彼の言葉には村の責任者として安堵の思いが滲み出ていた。
私はそんな彼にこう切り出した。
「実は仕事で半年ほど、こちらに来れなくなるかもしれません」
「どういうことだ?」
「今回の国境の戦闘で大きな武功をあげたのは良いのですが、その際に正規軍の中央とやり取りをしたんです。そのことで中央政府に近い場所で釈明をしなければならなくなりました」
私の正体と実家に関する部分はぼやかして話たが、国の中央につながりのある場所と難しいやり取りをしなければならなくなったと言うのは理解してもらえたようだった。
「でかい功績をあげたが故の厄介なしがらみというやつか」
「はい」
「ままならないものだな。人生ってやつは」
そう言いながら村長さんは深いため息をついた。
頑固で融通が利かない典型的な山男だったが、一度信じてくれるととても頼りになるタイプの人だった。私の仕送りが遅れた時にそれを指摘する手紙をくれたのはその生真面目さゆえだった。
彼がいるから、病身のミルフル母さんの事を安心して委ねることができるのだ。
「つきましては向こう半年間の治療費を今日あらかじめ置いていこうと思います」
私のその言葉に村長さんは言った。
「実はだなルスト」
「はい」
「お前から送られている仕送りの中の手間賃としての受け取り分のほとんどは貯蓄という形で貯めてあるんだ」
「えっ?」
私はさすがにこれには驚いた。だがそれにはちゃんとした理由があった。
「入ってくるお金をあるのが当然と思ってしまえば、いつかそのしっぺ返しを食らうことになる。だが、村を運営していると道の修繕や災害時の復旧など唐突な出費は必ず発生する。そういう時に村全体を守るために貯めておこうと皆で話し合って決めたんだ」
そして村長さんは言う。
「これからこの地域も雪深くなる。春にかけて道が壊れたり、雪の重みで家が壊れるものも出るはずだ。そういう時のために使わせてもらおうと思っているんだ」
今だけではない、将来のことを考えた判断だった。これもまたひとつの幸せのかたちだ。私は村長さんにこう述べた。
「母のことをよろしくお願いいたします」
「ああ」
短い返事だったが、口元に浮かんだ笑みにこの人の本当の思いが表れていた。
夕食を食べ終えてオイルランプを手に夜道を歩いて帰る。ミルフル母さんのところに帰りつけば母さんは寝ないで起きたまま私の帰りを待っていた。
「ただいま」
「おかえり」
簡素なやりとり。誰かそこにしっかりとした心の交流が表れていた。
「これ村長さんの奥さんから」
お土産に持たされたのは焼きたてのパンとお菓子の詰め合わせ。
「ありがとう」
ミルフル母さんは人から贈り物を受け取ることなどありえない過酷な生活を15年近く続けていたという。
「後でお礼を言わなくてはね」
「ええ、そうね」
そして、その一週間、私がミルフル母さんの世話をしながら村に滞在する。私が滞在している間は介護役の女の子たちの休息でもあるのだ。
そして私はある場所へと足を向けた。
ミルフル母さんが人目を避けて暮らしていた頃、母さんを支えていた唯一の人〝本当のエルスト・ターナー〟のお墓だ。
ミルフル母さんの治療の一助になればと薬草を取りに山に向かい足を滑らせて崖から転落したのだ。
私がその遺体を回収し村のはずれに小さな墓を建てた。当時の村の人たちと小競り合いになったのはそれがきっかけだった。
だが今では村の人たちによってしっかりとしたお墓が建てられている。だが墓石に名前はない。私が彼女の名前を使って居るからだ。
私は、本当のエルスト・ターナーに語りかけた。
「あなたのお母さんは今安心して暮らしています。村の人たちとも仲良くやれています。あなたのお墓に名前を刻んであげられないのは私があなたの名前を使っているためです。本当に申し訳ありません。ですがあと少しだけお名前を使わせてください」
私はそう告げながら墓石に花を添えた。
貧困に痩せ衰えてそれでも母親を助けようとした薄幸の少女。それが本当のエルスト・ターナーだった。
そして一週間が過ぎ旅立つ時がきた。
私はミルフル母さんに告げる。
「今度は長期の大きい仕事が入ったからなかなか来れないかもしれない」
「そうなのね。でも仕方ないわよね。それだけの功績をあげたんだものね」
私の成功を喜びつつも、一抹の寂しさを堪えているようだった。
「それじゃあ行ってきます」
「体に気をつけるんだよ」
「お母さんもね」
そんなやり取りをした後、村の人たちに見送られて私はその村を旅立った。
私にとって第二の故郷と言えるヴォード村を。
そして私がブレンデッドに帰り着いた時、事件は始まっていた。
私を巡る最後の運命の歯車が周り出そうとしていたのだ。
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