故郷ヴォード村と病の母
私は山間の村に住むミルフル母さんの元を訪ねることにした。
そもそも――
私は2年前のあの日、実家のモーデンハイムを出奔した後、北へ北へと進み北部都市のイベルタルへとたどり着いた。
そこで紆余曲折あってとある娼館のおかみさんに救われることになる。そこで約5ヶ月あまり世話になったが、娼館のある花街を襲った伝染病騒動を解決に導いたことから実家に消息がバレ再び追われる結果となった。
そこで北の隣国へと逃れるために冬の峠道を突破することを試みた。ところが物の見事に失敗、遭難して死にかけてさまよい歩いた挙句に全く違う山あいの土地へと迷い込むことになる。
そこで私は運命の出会いをすることになるのだ。
今から向かうヴォード村にて――
いつもの傭兵装束に身を包み旅支度をする。さらに出発前に天使の小羽根亭のリアヤネさんに行き先と事情を説明しておくことも忘れなかった。
ミルフル母さんの住む山間の村までは、いつもなら歩き旅で8日か9日という所だろう。
だが今回は金銭的にも余裕があるので街道筋を走る駅馬車を使うことにした。これなら3日ぐらいで辿り着くことができる。
街道筋のとある場所で駅馬車を降りる。その周辺で一泊して山道へ入る。
谷間の道を川面を脇に見ながら半日ほどかけて登っていけば、そこがミルフル母さんが住むヴォード村だった。
高度の高い高地にあり、周囲を高い山に囲まれている。冬場は雪深く、主な産業は酪農と高地栽培の作物と言う典型的な山の農村だった。
村の真ん中を雪解け水が流れる川が貫いており、川の周囲に20軒ほどの家が立ち並んでいる。その一番奥にあるのがミルフル母さんが住む家だった。
村の入り口にある番小屋の若者に挨拶をし、途中の水車小屋で水車の整備をしていた村長さんと言葉を交わした。
「失礼します!」
明るく大きな声で声かければ、
「なんだ?」
野太く荒っぽい声が帰ってくる。
水車小屋の奥から現れたのはこの村の村長さんだった。
「ルストか」
「お久しぶりです」
「ああ」
不器用で朴訥な話し方、典型的な山男で頑迷で融通が利かないが一度気心が知れると徹底的に信用してくれる、そんな感じの人だった。
「行くんだろ?」
「はい」
「早く行ってやれ。おふくろさん待ってるぞ」
「はい!」
朴訥で無骨な言い回しをする人だったが根はまっすぐで信頼のおける人だった。
「失礼します」と声をかければ面倒臭そうに右手を上げて返事をしてくれる。
水車小屋を離れ村の中を横切りミルフル母さんの住む家へと向かう。さして大きい家ではないが雪深いこの地方独特の石造りの頑丈な壁の家が建っている。
その家の前にロッキングチェアがありそこに一人の老婆が膝の上に小さな毛布と、肩から暖かなショールをかけられてうたた寝をしていた。
私は彼女へと歩み寄り声をかける。
「お母さん」
眠りが深いのか目を覚まさない。
「お母さん!」
そう言いながら私は彼女の肩を叩く。するとそこでようやくに目を覚まし始めた。
「は、えっ? あ、はいはい……どなた?」
「何を言ってるのよ。私よ。ルスト!」
「え?」
私の声が聞こえたのか、声のするほうに視線を向けてくる。神経症状が進んでいるので目や耳も思うように効かないのだ。
実際、思うように見えないため、目を細めてじっと凝らしてようやくに私の姿を見つけてくれたようだ。
「あら、おかえり」
そう言いながら私の姿を見つけて安堵の笑みを浮かべる。
「ただいま。元気そうね」
「ええ。今日は特に調子がいいの。お天気がいい日はこうやっておひさまの光を浴びるようにしているの」
「そうなんだ」
笑みを浮かべながらミルフル母さんは私に話しかけてくる。
「今度はいつまでいられるの?」
「そうね、7日くらいはいられるかな」
「そうなの」
私と一緒にいられることをミルフル母さんは何よりも喜んでいるようだった。
「外は寒いから中に行きましょう」
そう言いながら杖を頼りにゆっくりと立ち上がる。
病の進行から両手両足の機能が著しく失われているので、特別製の木の杖を使って慎重に歩いて行く。
今でもこそ、こうやって立って歩いているが、村人の誤解と偏見による差別を受けた頃は両手両足で這うようにして移動を強いられていたのだ。
だが今では村人たちの誤解も解けていた。
清潔な衣類を着せてもらい、両手には清潔な白い手袋がつけられている。両手の痛みを感じる神経が機能していないため、怪我をしても気づかないことがあるためだ。
しっかりとした足取りで家の中へと入る。
家の中も整理されて掃除が行き届いており、村の人たちの介護がとても行き届いているのがよくわかった。
「さ、座って」
そう言いながら、自分の定位置だろう椅子へと腰を下ろす。丸テーブルのまわりに三つの椅子があるが、いずれもよく使い込まれているのが分かった。
「お茶でも入れてあげたいんだけど、火を使うのは村の人たちに止められてるのよ」
「そうじゃ寒い時とかどうするの?」
「それは大丈夫。当番の人が朝と夜に見回りに来てくれるの。みんな親切してくれてるから安心してね」
「ええ」
昔は周りの偏見から村の人たちに関わることを許されず、村のはずれで世捨て人のような暮らしを強いられていた。姿を見せると石を投げられることもあったという。
だが私が正しい医学知識を説いて間違いを正し、差別と偏見を取り除いてやったことで、村人たちとの対話も正しくできるようになっていた。
私は訊ねる。
「食事の方はどう?」
「ええ、ちゃんと食べてるわよ。当番の人が朝夕に持ってきてくれるの」
「あら? お昼は?」
「私から断ったの。最近めっきり食が細くなったのかあまり食べれないのよ」
「そんな、大丈夫?」
「仕方ないわよ。歳なのよ」
笑いながらそう言って私の不安を追い払おうとしてくれている。それが母さんなりの娘への気遣いだということはよくわかる。
ちょうどそんな時に家の扉が開いた。
「失礼しま――え? 誰?」
入室と同時に驚きの声がかけられる。入ってきたのは村の若い娘さんで名前は確か、
「ヒルデさん!」
「ルストさん!?」
「お久しぶり」
「はい! お久しぶりです」
「またしばらくご厄介になるわね」
「はい!」
この人は村の若い女性たちのまとめ役のような人で名前はヒルデさんと言う。
「そろそろ夕暮れ近くなんで夕食の準備と暖炉の火をつけようと思ってきたんです」
「ありがとうございます」
「いいえ。それよりお茶でも飲みませんか? 今お湯を沸かしますね」
「じゃあ手伝うわ。お母さんはちょっと待っててね」
それから私たちはお茶を飲みながら時間を過ごす。
いま母さんの世話は、村の若い人たちを中心に10人ほどで交代で役目を回しているという。
「本当にありがとうございます」
「いえいえ。いつ誰が他の人の手を借りなければ生きられないようになるかわからないんです。この村の人たちはミルフルさんの事を通じてそのことを強く教えていただきました」
「これからもよくお願いします」
「もちろんです」
そう答えるヒルデさんは柔和な笑みを浮かべていた。
その後、ミルフル母さんの夕食の世話をして、村長さんの所へと顔を出しに行く。
「帰りの夜道は気をつけるんだよ」
「はい。あまり遅くならないように気をつけます」
「いってらっしゃい」
「はい」
その言葉からはミルフル母さんが私のことを本当の娘のように心配して気遣ってくれているのがよく分かる。
自分の実の親から距離を取っている私としては、ミルフル母さんの思いやりはとても嬉しく思う。今や心の拠り所にもなっていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます