■バルバロン・カルクロッサの場合
それは会場の外で起きていた。
義勇兵として活躍した村の若者たちや、警備に協力している正規軍人の兵卒たちが蒼白の表情で走り回っていたのだ。
「大変だ、拘束していたバルワラ候暗殺首謀者が逃げ出した!」
「なんだと?」
「どこから逃げたんだ?!」
「土蔵の隅にある排水溝です」
「そんな所から!」
「大きさからいって1ディカちょっと(約40センチ)しかないぞ?!」
「どうやってくぐったんだ?」
「化け物か」
「とにかく急いで探そう!」
暗殺者が逃げ出した。メルト村に潜入し、領主であるバルワラ候を心臓麻痺に見せかけて殺そうとしたあの暗殺者だ。
村中で徒党を組んで狼藉を働いた挙句、パックとの一騎打ちで見事に打ち負かされ、完膚なきまでに叩きのめされて生け捕りにされたはずだった。
その後、村の義勇兵たちに引き渡され、堅牢な土蔵の中に閉じ込められたのだ。
それが逃げ出した。
鋼線による指の戒めを片側の親指をちぎることで断ち切り、肩の関節を外して縄を緩め、全身の関節を外して頭がやっと通る程度の穴から抜け出したのだ。
その男は復讐に燃えていた。雪辱に燃えていた。
組織の部隊は壊滅させられ、手引きした者たちは彼を見捨てた。遠い異国の地で一人だけになってしまった。ならばなおさらこの帳尻は合わせなければならない。彼が受けた屈辱に見合う獲物を仕留めなれば割に合わない。
そして彼は夕暮れの闇の中に紛れて動き出す。村人たちの会話を耳にし戦争の勝利を祝う祝勝会が開かれていることを知った。ならば、この戦争を指揮した者が現れるはずだ。この領地を支配する領主が。
「前の領主は俺が殺ったが、そのあとを誰かが継いだはずだ」
その男はバルワラの後を継いだアルセラに狙いを定めたのだ。そして男は闇に紛れて村の中を歩き回り祝勝会の会場へとたどり着いた。
注意深く状況を探り、主賓が挨拶をするであろう舞台の位置を把握し、そこへと至る導入路を推測する。そして彼は絶好の狙撃地点を見つけたのだ。
「行けるぞ。ここからなら」
集会場の周囲を取り囲む生垣、その一角に隣接する農地に樹木が生い茂っている場所があった。私有地ということもあり警備の人間もそうやすやすとは入ってこれないらしい。生垣と樹木を盾にすれば身を隠すのも難しくはない。
万が一、捕らえられた時の事を考慮して武器を村の数ヶ所に分散して隠しておいた。その中から彼が取り出したのは折りたたみ式の金属製の弓矢だった。サイズこそ極めて小さいものの、その男の手にかかれば恐るべき殺しの武器となる。
手早くその絶好の地点へとたどり着き狙撃の準備をする。
弓を組み立て矢を取り出すと矢の先に白い液体を塗る。それが暗殺用の毒だということは明らかだった。
「見えた」
そう呟く彼の視線の先には精霊神殿の入り口階段へとつながる歩道を歩くアルセラとルストの姿があった。結社人の襲撃部隊をことごとく打ち倒し壊滅せしめた憎き相手。今こそその代償を払わせる時だ。
弓を構え狙いを定める。今まさに彼の目の前をアルセラとルストが通り過ぎようとする。
そして暗殺者は弓を引き絞りつぶやいた。
「
――キンッ!――
弓も弦も金属で作られていたその特殊な弓は独特の音を立てて矢を解き放った。狙いは正確だった。確実に仕留められたはずだった。だが――
――ビッ!――
何者かが矢をその手で捉えた。しっかりと右手の指で捕まえると正反対の方向へと指先だけで反転させる。そして、矢を射ってきた方向へと正反対に投げ返したのだ。
――ヒュッ!――
驚く暇もありはしない。ましてやその矢の先に毒を塗ったのは彼自身なのだから。
――ドッ!――
かわす暇もなく矢は暗殺者の顔面へと見事に命中したのだ。因果応報と言う言葉そのままに。
――ズサッ――
前のめりに崩れていきそれきり動かなくなった。自らの用いた猛毒で絶命したのだ。彼の遺体が発見されたのは翌日の昼過ぎであった。
† † †
バロンは狙撃手だ。獲物を狙うためにどこに潜伏すればいいかはすぐにわかる。当然ながら逆にどこから狙われるか? どういう事もすぐにわかる。ましてや相手が狙撃を専門とする者でなければ赤子の手をひねるようなものだ。
――矢返し――
敵から撃たれた矢を素手で捉えて敵の方へと投げ返す超高等技だ。バロンはそれを会得している数少ない人間だ。
「愚か者が」
彼はそう言葉を残すと暗殺者のいるはずの方を一瞥もすることなくその場から去っていったのだった。
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