■ガルゴアズ・ダンロックの場合

 それは些細な小競り合いだった。

 袖と袖がこすれあったその程度のことだった。だがその当事者二人が問題だったのだ。

 フェンデリオル西方のとある小領地の領主二人、隣接しあっている二人は何かと張り合う間柄だった。お互いの財力、家系の正統性、背後についている大物候族、生まれた娘の嫁ぎ先、実に様々なくだらないことで互いに見栄を張りあい、何かといがみ合っていたのだ。

 間の悪いことに、この度は領地の境界線でもめていた。山中の人の足のなかなか入らない場所だったのでそれまでおざなりになっていたのだが、山の所有者が山中から金か石炭かミスリルか地下鉱脈資源を探り当てたのがまずかった。

 当然それは税収にも影響を及ぼす。その山がどちらの所属になるのか争い始めてしまったのだ。利益にならない岩山と放置してたのにも関わらずである。

 

 小競り合いは折しもアルセラが儀仗官による清めを受けている時だった。


「貴様、何をする」

「なんだと?」

「ぶつかっておいて謝罪もないとは田舎候族は躾がなってないのだな」

「誰が田舎候族だと?」

「ほう、自覚はあるのかな?」

「貴様言わせておけば」


 片方が静かな声で煽り続ければ、残り一人はルダンゴトコートの内側へと右手を忍ばせた。おそらく小刀のようなものを隠し持っているのだろう。候族なら護身用に常時携帯している者も珍しくはない。

 その事実を周囲も察したようだ。静かなざわめきが広がる。このままでは乱闘騒ぎ、最悪刃傷沙汰になるだろう。最悪の事態を招きかねない。

 煽り立てた男が言う。


「貴様何の真似だ?」

「黙れ」


 かたや煽られた側の男は一触即発の状態だった。懐からその右手を引き抜こうとした時だった。

 二人の傍からある人物の両腕が伸びてきたのだった。


「そこまでにしてください」


 優しく穏やかな問いかけだった。

 周囲の誰もが巻き込まれることに恐れをなして遠巻きに見守っていたにも関わらず、その若者は一切恐れることなく進み出てきたのだ。


「今そのような事をする場ではありません」


 その語り口に小競り合いを始めようとしていた二人の視線が集まる。そこに佇んでいたのは正規軍人の礼服姿の散切り頭の男だった。

 ルストの仲間にして査察部隊の隊員、ガルゴアズだった。


「お二人の間に容易には解消できない深いわだかまりがあるのは、そのご様子からよくわかります。ですがそれは今一時だけ収めてはいただけませんか?」


 正規軍人とは思えない純朴かつ穏やかすぎるほどの語り口。それはあまりに優しい語り口だったがゆえに当事者の怒りを鎮めるには弱すぎたのだ。


「うるさい軍人風情が」

「お前の入る筋合いはない」


 犬猿の仲とも言う。不倶戴天の敵とも言う。潰せるのなら潰しておきたい。お互いにそう腹の中に溜め込んでいたのだ。それが今この場で最悪の形で火を噴こうとしていた。冷水を浴びせられただけでは鎮火する代物ではなかったのだ。

 男の片方がゴアズに腕を掴まれていたのにも関わらず懐の中から小刀を抜き放った。


 大騒ぎになる。誰もが恐れをなした。その時だった。


――ミシッ――


 不気味な音が出る。音を奏でたのはゴアズに握りしめられていた二人の腕だった。ゴアズの握力でそれぞれの腕が痛めつけられた。

 そして、ゴアズの口調が明らかに変わった。低く重い口調になったのだ。まるで別人のように。


「そんなに傷つきたければ私が壊してやろう」

「ぐっ!」

「ぐぁっ…」

「それ以上喋るな。悲鳴をあげるな。このまま黙って私についてこい」


 そう語りながら二人を強引に引きずっていく。有無を言わさぬ行動だった。周りは呆気に取られるより他はない。

 二人ともささやかな抵抗として若干身を捩ったが、そんなもの意味はない。あっという間に祝勝会の会場から外へとつまみ出された。そしてすぐに会場の周囲で警戒に当たっていた正規軍人の憲兵が数人駆けつけてきた。


「ガルゴアズ2級!」

「いかがなさいました?」


 状況を問いかけようと発せられた言葉にゴアズは答える。


「小競り合いを始めようとしたのでつまみ出しました。その際に抵抗したので少々深手を負わせました」


 そう語ると押さえていた二人から手を離す。だがその時、ゴアズが左手から血を流しているのを憲兵の一人が気づいた。


「ゴアズさん!?」

「おい! 急いで衛生役を呼べ!」

「はっ!」


 憲兵達が慌ただしく動く傍で、ゴアズに引きずられてきた二人の片方が握りしめていた小刀を地面へと落とした。その小刀は明らかに血で濡れていた。


――カランッ――


 一体何が起きたかをその場の誰もが即座に理解した。不用意な抵抗したために彼の腕を掴んでいたゴアズの腕を傷つけてしまったのだ。

 驚く憲兵たちにゴアズは言った。


「これは私が勝手に自分で傷ついたものです。彼らは関係ない」


 憲兵達には分かっていた。その言葉がこの祝勝会を騒動に巻き込まないために発せられたということを。だがそうだとあったとしても見過ごせるものではなかった。


「かしこまりました。それではこの刃傷の件については不問といたします。記録にも残しません」

「ありがとうございます」


 ゴアズは語る。騒動の元凶である二人もほっとした表情を浮かべる。だがそれで終わるほど軍の憲兵は甘くはない。


「ですが。事実関係の把握はさせていただきます」

「お前たちには尋問を受けてもらう。それぞれの素性、背後関係、今回の事態へと至った経緯。洗いざらい吐いてもらう」

「今回の祝勝会は中央政府も注目している。起きた出来事の全てを報告せざるを得ない」


 それが何を意味するのか二人の領主は事の深刻さをやっと理解したのだ。蒼白な表情で佇む二人を憲兵たちは取り囲む。


「ちゅ、中央政府に報告……」

「まずい、それだけはまずい」


 おそらくは二人とも中央政府筋に探られるとまずい事情を抱えているのだろう。だがすでに時遅しだ。

 ゴアズは告げる。


「後悔先に立たずです。己の行動の愚かしさをじっくりとかみしめてください。自らの領地の領民たちのことを思うのであればこのような大きな席で小競り合いをしようなどとはそもそも思わないはずです」


 その言葉を噛みしめる余裕すらない。憲兵の取り調べを受けるべく二人は連れられて行ったのだった。

 そしてその場に救護の衛生役が駆けつけた。そして手首の内側を傷つけているゴアズの治療を始める。

 そんなゴアズに憲兵の一人がこう告げたのだ。


「危険を顧みない。あなたらしい」


 その言葉にゴアズはただ微笑むだけだったのだ。

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