幕間:アルセラのその栄光の陰で ――仲間たち動く――
■ルプロア・バーカックの場合
一方、そのころ――
アルセラと私が精霊神殿の祭壇で華やかに挨拶を述べていたその影では、私の7人の仲間たちがそれぞれに会場の中で悪意をもって妨害しようとする者たちを取り押さえて立ち向かっていた。
これは私の与り知らない、秘された出来事だ。そしてアルセラを守る戦いの記録だ。
† † †
今、まさにアルセラが神殿祭壇の上で挨拶を述べようとするところだった。
そこは立食用テーブルの並ぶ来賓席の一角、脇に近いところで人混みに紛れているがゆえに壇上からは気づきにくい場所だった。
そこに一人の女性が佇んでいた。
ローブ・ア・ラングレース風の濃紫色のドレスを纏った彼女は人言えぬ借財を背負っていた。
軽薄な男に惚れ込み貢ぎ、捨てられそうになるのを更に貢いで引き留めようとする。その元手ははじめは自分自身の貯蓄から出していたが、それもやがて尽きることになる。あとはお定まりの借り入れ。いつしか容易には返せない額に膨らんでいた。
男とは別れたくない。だが、金はどうにもならない。
追い詰められた彼女のところにある話が持ちかけられた。
『こちらの指定する候族の祝勝会に出席しろ、そして主催者挨拶のときにココぞというときにフォークを地面に落とせ。ただそれだけでいい。それで借財を全額肩代わりしてやろう』
その申し出が嘘でない証拠にと、当面の利息分も払ってもらえた。
――フォークを地面に落とす――
たったそれだけのことで良いのならと女はそう思い快諾した。
そう、その女は浅はかだったのだ。
今、目の前では15歳になったばかりの小娘が、見栄を張って着飾って、高いところで偉そうに挨拶口上を述べようとしている。聞けば親の不慮の死によって当主の座が転がり込んだ、のだと教えられた。当主になる決め手となった国境戦闘も、自分はただ座っていただけで何もしていないと言われた。それが女には自分よりも恵まれているように映ったのだ。
そして彼女は嫉妬し自らの行為が正しいのだと自分を正当化した。
今こそ、絶好の機会だった。
当主であるアルセラ嬢が息を吸い込み発声しようとしている。
「今だ――」
女は手にしていたフォークをさもさり気なく滑り落としたように手から離した。そして地面へと落ちて甲高い音を立てる――はずだった。だが、
「えっ?」
音は鳴らない。不思議に思い周囲を見回せば、そのフォークを受け止めてくれた者が居る。余計なことを、と訝るがそのフォークの拾い主の顔を見て女は恐怖に震えることになる。
そのフォークを受け止め拾い上げたのは〝忍び笑い〟と言う二つ名を持つ男だったからだ。
忍び笑いのプロアは笑っては居なかった。冷え切った表情で鋭く斬りつけるように睨んでいる。プロアは元々が闇社会で生きてきた事のある人間だ。危険な場数を幾度も乗り越えている。本当の悪意と恐怖と言うものの扱い方を心底から心得ている男だった。
当然、どういう表情を浮かべれば相手が恐ろしさを感じるか? など百も承知だった。
そのプロアが差し出したフォークを手渡してくる。女は体を震えさせながらそれを受け取った。
プロアは静かに告げる。
「余計な真似はするな」
たった一言だが、それは万の言葉の脅しよりもなによりも恐ろしかった。目の前の男に殺されるかと感じたからだ。だが、その次にプロアが語った言葉はそれ以上に恐ろしいものだった。
「お前、フェンデリオル西部地方北西部の下級候族ルッチーニ家の者だな?」
「――?!」
女の胸中が心底から冷えた。眼前の男はなぜそれを知っているのだろう? それは女の実家の名だったのだ。だが、プロアにとって候族の家名など諳んじてて当然の代物だ。表の事情でも、裏の事情でも、女は問題のある人物として知られていたのだ。
「親に隠れて小銭稼ぎのつもりなんだろうが、お前がやっているのは破滅への入り口だ。おおかた借金返済の代わりの依頼だろ? 男に貢いだその先のな」
女は無言のままだった。否定はしないが首を縦に振ることもできない。恐怖に震えるしかなかった。プロアの言葉は続く。
「言っておくがお前の男と高利貸はグルだぜ? 恋愛詐欺が無知で惚れっぽいご令嬢を罠にはめる常套手段だ。最後は借財を背負わされて娼館に売り飛ばされて終わりだ」
その言葉と同時にプロアの両手が女の両肩を掴む。だがそれはどことなく優しい仕草だった。
「今からお前を正規軍の憲兵に引き渡す。そのうえでお前の身の上に起こったことを全て話せ。誰の依頼なのか、誰にはめられたのかをな。軍の尋問はあるが司法取引をすれば公式行事を妨害しようとした事への罪には問われん。最悪の事態は逃れられる」
その言葉に女はうつむいてうなずく。
「馬鹿な夢は忘れろ。そして、一からやり直せ」
全くの見ず知らずの男に言われた言葉はことごとく事実だった。それだけにプロアのその言葉が何よりもありがたかった。
「ごめんなさい――」
思えばあの想い人は口先ばかりだった。こんどこそ、こんどこそと、金をせびるだけで、誠意は微塵も見せなかった。辛いことばかりだったが、自分が信じた愛が間違いだと認めるのが何より辛かった。だが女はやっと目が覚めた。女の頬を涙が伝う。それをプロアは手持ちのハンカチーフで拭ってやる。
「行こうか」
「はい」
そう優しく語りかけるとプロアは女の肩を抱き寄せた。そして、一組のカップルのふりをしてその場から離れていく。周囲から一切疑われることなく。
女は軍の憲兵部隊に引き渡された上で、依頼者がとある中級候族の子息であることを話した。高利貸もその男から紹介されたものだ。のちに恋愛詐欺の余罪が複数あることが判明、男たちは逮捕された。
女は自らの行為を悔いてとある精霊神殿に修道女として出家したそうである。
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