歌芸人ホタル、至芸の舞台 ―生生流転と故国請願の歌―

 舞台が片付けられ、簡易の敷物が敷かれ、舞台の中央には一脚の椅子と小テーブルが据えられる。

 そこに現れたのは私の親友のホタルだった。

 前あわせの帯締めの東方風の衣装、それもよくあるフィッサールのそれではなく、さらにそこから東のエントラタの物だ。

 持参した楽器は二つ。

 細長い作りの二弦手琴と、非常によく手入れされた6弦のリュート。いずれも彼女が得意とする弦楽器だ。

 舞台の中央の椅子の傍らのテーブルにリュートを置き、愛用の二弦手琴を手にする。

 椅子に座る前に頭を下げて深々と礼をする。会場から拍手が鳴るが、再び頭を上げて椅子に座ると拍手も止み会場は静寂に包まれた。

 そして、ホタルは演奏を始める。二弦手琴のたおやかな調べが奏でられ始めた。


 私は今までホタルの演奏を静寂の中でじっくりと聞いたことがなかった。かなりの高い技量を持っているだろうということは分かっていたが、改めてこうして聞いてみると、その技量の高さはまさに圧巻だった。


 野次も飛ばない、余計な雑談の声もない、皆がホタルの演奏に意識を奪われてゆく。

 まず奏でられた曲は、緩やかな曲調の曲で聴く者の心を穏やかにさせてくれる。

 それに続いて奏でられたのは、喜びを感じさせるような少し早めのテンポの曲だ。

 会場が沸き立ち始めたところで、曲調は変わり今度は物悲しさを感じさせるような深い調べの曲になり、

 それが終わると一転して、聞いているものに挑みかかるような勇壮な曲へと変わった。

 そしてそれから数曲を演奏し終えると、今度は楽器を二弦手琴からリュートへと変える。

 そこで改めてホタルは立ち上がるとこう語り始めた。


「申し遅れました。私、旅芸人のオダ・ホタルと申します。

 此度のフェンデリオルの国境戦の勝利を心から寿ぐとともに、新領主様就任の祝い、並びに前領主様のお弔いに、あらためて一献、奏でさせていただきとう存じます」

 

 落ち着き払った声が広がれば、それに答えたのは会場からの好意的な拍手だった。

 それを受けてホタルはにこやかに微笑みながら腰を下ろす。

 

「では」


 そして、リュートの弦の張りを整えるとたおやかに奏で始めたのだ。

 ホタルは私より2つほど年上だ。その歳のわりには実に様々な土地や国を渡り歩いている。それゆえだろうか、得意とする曲目は実に多彩を極めている。その彼女が愛用のリュートを爪弾いて奏でたのは、私たちフェンデリオルの民なら誰もが知っている口伝のあの歌だった。


――生生流転と故国請願の歌――


 リズミカルで躍動感に溢れ、それでいて天上の存在に故国復興を願う様を表した歌だ。

 そうだ。この歌は聞き覚えがある。

 私の背後の席でドルスがつぶやく。

 

「たしかこの歌は」


 私は視線を向けずにそっと尋ねる。

 

「覚えてるの?」

「あぁ、忘れるものか」


 ドルスはしみじみとした声で言う。

 

「お前が俺を打ち負かしたあと、皆で歌い踊り明かした時の曲だ」

「覚えてたんだ?」

「あぁ、ねぐらに帰ったあともかすかに聞こえていた。俺が今はもう居ないシフォニアの事を思い出させちまって盛り上がっていた空気を台無しにしちまったあとだ」

「そうね、あのときは空気が沈みきってしまって大変だったんだから」

「すまねえな、手間かけちまって」

「気にしないで。もう済んだことだから」


 そんな会話をかわしながら私たちは皆でホタルの奏でる演奏に聞き惚れていた。

 ホタルの――、彼女の演奏は魔法のように鳴り響く。たった一本のリュートの音だと言うのに数人の奏者が肩を寄せ合って演奏しているように聞こえるのだ。それ故に、しんみりと落ち着いた曲だったとしても場を静めてしまうようなことはない。躍動的に力強く鳴り響き、自然に誰もが手拍子を始めるのだ。

 そして、この曲ならではの光景として観客席から踊り手は現れる。


「ハイッ!」


 曲の盛り上がりに合わせて声高く唱えると、ドレス姿の村の女性達が数人進み出てきた。

 肩出しのローブ・ア・ラングレーズに肩掛けのフィシューと言う出で立ちに、足元にはエスパドリーユ。

 その肩にかけたフィシューを外すと腕に絡めながら、円を描くように舞い踊る。

 掛け声が上がり、手拍子は鳴り続ける。演奏の音と舞い踊るドレス姿の村娘たち。それだけでも華々しく壮麗だったが、ここはワルアイユ――無骨な傭兵たちの街であるブレンデッドとは違う。

 ホタルのリュートの音に追いすがるように鳴り響いたのは、抜けるように甲高い笛の音だった。

 チェルアルカと呼ばれる横笛で、長さは2ファルド(約60センチ)と長い横笛だ。短い高音部の笛と長い低音部の笛が束ねられていてそれを同時に演奏する民族楽器だ。フェンデリオルでは古くから伝わっているが、その作りと形式は地方によって独自性がある。

 このワルアイユのチェルアルカは一見してとにかく長い。突き抜けるような高音と、重く轟くような低音が力強く響くのだ。

 その笛の音が、ホタルのリュートの音に負けずに競い合っている。奏でているの村の若者だった。それも見事な演じ手だった。

 リュートの弦の音と、チェルアルカの笛の音、それぞれが絡み合いながら祝勝会の会場の中へと広がっていく。次に踊り出る者たちを待ちわびながら。

 さらなる踊り手が現れる。

 次に踊り手として姿を現したのは、西方国境の戦いにおいて重要な役割を果たしてくれた通信師の少女たち。その他には見知ったフェアウェルの姿もあった。

 ローブ・ア・ラングレーズのスカートの裾を右手で持ち上げ、左手でフィシューをたなびかせながらくるくると回りながら踊り始めた。

 舞い踊る輪ができる。それも一つだけでなく、そこかしこで。

 老いも若きも、女も男も、心の赴くままに舞い踊る。

 村の娘たちも輪を描きながら舞い踊れば、職業傭兵の人たちの中にも踊り出る人がいれば、中には村の若い女性の手を引いて踊り始める人も居た。

 祝勝会とは戦いの勝利を祝う場だ。そして、戦いに生き残った幸運を喜ぶ宴だ。皆があらゆる悲しみを忘れ、喜びの中で踊り明かしていた。

 そして、ついにあの人が動いた。ダルムさんだ。彼はフェンデリオルの民族の口伝の歌の歌い手でもあるのだ。

 自ら進み出ると、襟元のクラバットをほどいて襟を緩める。礼拝神殿の石階段のところへとやってくると朗々と歌い始めた。


――人々は苦難を乗り越え、長い道を行く――


 それは600年前から続く苦難の歴史の証。悲劇は350年もの間、畳みかけた。


――失われた故国よ、今に見るがいい――

 

 そして、人々は立ち上がった、自らの民族の矜持きょうじと国を取り戻すために。

 

――我らは取り戻す、豊穣なる大地を――

 

 その戦いは築き上げたこのフェンデリオルと言う国を守るために、今なお続いている。


――天と地の間、4つの精霊は我らを導くだろう―


 私たちは勝利を信じる。

 私たちフェンデリオルの民族が、私たちであるために。

 そしてそれはこれからも続くのだから。

 

 ホタルの奏でたリュートの演奏は最高の盛り上がりを見せてくれた。そこかしこで踊りの輪ができる中で演奏はついに終わる。

 観客席から割れんばかりの拍手が漏れる。それに対してホタルは立ち上がり丁寧に頭を下げた。そして愛用の二つの楽器を手にして舞台から去っていったのだった。


 余興は終わった。時刻を見れば太陽が地平線の山陰に沈み始めていた。

 舞台に現れたのは村長のメルゼムさんだ。


「ご案内申し上げます。これにて祝勝会第1部は終了とさせていただきます。夕刻6時より改めて本会である第2部を始めさせていただきます」


 そしてその言葉に促されるように来賓席の人々は少しずつ会場から去り、あらかじめ用意された休憩の場へと戻って行く。

 最後に私たちも祝勝会本会に備えて休憩を取ることにした。

 さあ次はいよいよアルセラが主催としてその姿を披露するときだ。泣いても笑ってもこれが正念場だった。

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