名将の英断

■トルネデアス軍・第2陣――カムラン・ヒロエ・アクタール将軍



 それは不死鳥だった。

 巨大な不死鳥だった。

 

「落ち着けぇええ! 隊列を乱すな!!」


 金切り声で号令をかけているのは第2陣のまとめ役となっている第4将軍のムスタフ・バニシュ・ガンナームだ。

 

「勝手に隊を離れるなぁ!」


 だがその号令も虚しく、トルネデアス軍第2陣の兵は混乱と恐慌に飲まれていく。それはもはや統率は不可能な状態に陥っていた。

 

「不死鳥だぁ!」


 その悲鳴にも近い叫び声があちこちから飛び交っている。

 トルネデアス軍の上級武官たちが否定の声を上げる。

 

「愚か者がぁ! フェンデリオルの山ねずみどものまやかしだ!」


 だが兵士たちは真っ向からそれを否定した。

 

「あんな巨大なまやかしがあるか!」


 巨大な不死鳥が羽ばたきながら迫ってくる。その光景だけでも十分な恐怖だ。もはや進軍どころではない。

 第2陣の兵列は完全に統率を失ってしまっていた。

 

 全軍を指揮・監督する役目を担っていたのは、第1将軍のカムラン・ヒロエ・アクタールその人だった。

 漆黒のドルマン衣装に、濃朱地布に金糸刺繍の施された軍装マント、頭部には銀メッキに金細工模様が施された尖頭型の金属ヘルムを頂いている。そして、移動手段として騎兵用のラクダにまたがっていた。

 その高いラクダの背の上から、彼は部隊の中程にて冷静に周囲の状況を見守っていた。

 

「ハサンよ」

「はっ!」


 カムランはラクダの背の上で泰然自若としたまま状況を見守っていた。突然の自体にもいささかもうろたえては居なかった。彼は部下たる上級武官ハサンへと語る。


「見事な弾性包囲戦術だ。不利と敗北を装い敵に攻撃の好機と誤認させる。アフマッドの判断の甘さに助けられたきらいはあるが、自陣中央へと敵陣を誘引する手際は見事という他はない。してやられたな。フェンデリオルのまだ見ぬ名も無き指揮官に」

「はっ、そのようです」


 ハサンもカムランの語る言葉に同意するしか無い。カムランは更に語る。

 

「ハサンよ。なぜフェンデリオルとの戦いが200年を越えてもなお続いているか、判るか?」


 その問いに部下たるハサンは答える。

 

「はっ、この光景を見れば嫌でも理解できます。〝精術〟でありましょう」

「そのとおりだ」


 カムランがその言葉を唱えたときだ。マイストとバトマイが放った巨大な火の鳥が第2陣のトルネデアス兵たちを舐めるように襲いかかってくる。その炎は一気に広がるが、巨大すぎて一人一人の兵への被害はさほどでもない。

 だが、兵士たちに植え付けた〝恐怖〟により全体の士気は完全に消え失せてしまったといって良い。

 カムランが言う。

 

「見よ、この程度の幻術で兵たちの心は完全に折られてしまった。これほど効果のある攻撃手段はそうそうあるものではない」


 そして、カムランは表情一つ変えぬままにこう告げたのだ。

 

「この戦い、我らの負けだ」


 それは敗北を正面から堂々と受け入れる深い度量を持った傑物の言葉だった。

 副官のハサンが問う。

 

「では?」

「撤退だ。第2陣の全兵力を引き上げさせる。これ以上の継戦は無意味だ。最寄りのオアシス拠点に引き上げ、第1陣の残存兵を回収する」


 だがそこでハサンがカムランに問うた。


「しかし、将軍。第1陣指揮官のアフマッド将軍はいかがなさいますか?」


 周囲の自軍兵の様子をつぶさに見守っていたカムランだったが、ハサンの質問に微かに鋭い視線を向けると吐き捨てるように答えた。

 

「捨て置け。敵軍の奸計に気づかず、自分から奈落に落ちていった愚か者なぞ」


 そう告げながら、身にまとっていた戦陣用マントを広げながら騎兵ラクダを反転させる。

 

「第2陣全体に伝えろ! 撤退だ!」

「はっ!!」


 その言葉が全軍へと響く。それはこれ以上の兵の損耗を良しとしない引き側をわきまえた男の英断だった。

 カムランの言葉が轟く。

 

「聞け! 者ども! 命は太陽神からの授かりものだ! この度の戦いは意味を失った! これ以上の命の浪費は神の慈悲と皇帝陛下の威光への侮辱である! 速やかに撤退せよ!」


 その言葉を受けて、カムランの副官たちが、そして兵たちを率いている百人長たちがある言葉を連呼した。

 

「撤退!」

「全軍撤退!」


 そして、カムランたちが率いる第2陣が踵を返して戻り始まった時、マイストとバトマイが放った炎の不死鳥は天高く舞い上がり霧散していった。その光景を目にした名もなき兵士がポツリと言葉を漏らした。

 

「この戦いは無意味だったんだ。あれは神のお怒りだ――」


 そのつぶやきを周囲の者たちは聞こえていたはずである。だが、誰も否定するものは居なかったのだ。

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