本当の名前 ―ひな鳥は目覚める―

 私から突きつけられた強い言葉に彼女は怯えたような表情を浮かべた。そして弱々しく顔を左右に振った。

 そうだ、彼女も納得はできないのだ。でもアルセラは涙を浮かべながら堰を切ったように語りだす。


「――でもどうして良いかわからない! 何も教わってきてない! お祖父様もお祖母様も居なくて、お母様も亡くなられて、お父様しか居なかった――でも必要なことを教わる前にお父様は逝ってしまわれた――」


 力尽き、私の胸の中に崩れ落ちるように倒れると嗚咽をあげながら彼女は叫んだ。

 

「わたし領主として振る舞うことなんてできない!」


 そこから先はアルセラの泣き声しか聞こえなかった。彼女の言葉から判ったのは――

 

 次々に倒れていった家族たち――

 最後に残った父親もアルセラを次期当主として教育する余裕すら無かったという事実。そして――

 

――当主の留守を預かり、次期当主であるアルセラ嬢を教育する役目を負うべき〝代官〟が何もしていないと言う事実――


 ハイラルド・ゲルセン――バルワラ候の密殺とともに失踪した不審人物、その人物は以前からワルアイユ家が家督継承が困難になるように計算して動いていたのでは無いだろうか?

 普通ならバルワラ候がいつ倒れても良いように、最低限の当主教育はされているはずなのだ。そうでなければ領地運営を率いる人間が居なくなってしまう。否、だからこそ今、このような状況になっているのか。

 

 家族が失われ――

 故郷が狙われ――

 領民たちが追い詰められ――

 家族同様に過ごしてきた使用人たちも苦しめられている――

 

 その事実を前にして何を行うべきか判断ができない。アルセラはそう嘆いている。だが泣いていると言うことは『でき得るならなんとかしてこの窮地を乗り越えたい』と言う思いの裏返しではないだろうか?

 そうだ――

 この子はまだ絶望してはいない。

 自分に課せられた役割の大切さをしっかりと認識している。

 ならば――

 ならば私がするべきことはなんだろう?

 あぁ、そうだ。

 

――私はこの時のためにこの地に導かれたのだ――


 私はアルセラに優しく語りかけた。


「アルセラ――一つだけ聞いて」


 アルセラは私の胸にすがりつきながらそっと顔をあげてくれた。その顔を見下ろしながら私は告げた。

 

「領主や侯族って言うのはね、たった一つの事だけさえできていればいいのよ」

「え?」

 

 私の言葉に不思議そうに戸惑いを浮かべながらもじっと聞き入ってくれている。私は続ける。


「領主というのはね――『毅然として胸を張って立っていればいい』――そして誇り高く前を見据えたまま『これから何をすればいいか?』――その指針を示しさえすればいいのよ」


 アルセラの小さな体を抱き寄せると、その髪を愛おしくなでながら教え諭した。

 

「あとの事は周りにいる者たちがなんとかしてくれるものよ。このお屋敷の執事さん、使用人たち、村の村長、相談役、青年部の若者たち――そう! あなたには彼らが居る」

 

 私はアルセラに残されて居る人のことを指折り数えるように教えていく。


「そして、あなたが分からないことがあれば〝どうして良いか?〟〝何をしてほしいのか?〟を問えばいい。そして、返ってきた答えを適時判断して、返事を返せばいい。たったそれだけの事なの」


 私の胸の中でじっと聞き入っていたアルセラだったが、殻を破って羽ばたこうとしている小鳥のひなのようにその顔をあげてじっとこちらを見つめている。もう涙は止まっている。


――そう、ひな鳥が殻を破り始めたのだ――


 アルセラは静かにうなずいてくれる。まだ小さいが確かな覚悟が彼女の中に芽生え始めているのだ。

 そして、私も彼女に確約するべき言葉がある。アルセラの両手を私の両手で握りしめながら、その言葉を告げた。


「それでももし、どうして良いかわからない事があるのならば――私が、あなたの力になる! あなたの力となってこのワルアイユの里を守ってみせる!」

「――え?」


 私が発した言葉にアルセラが驚き、戸惑っているのが分かる。彼女は言う。

 

「そんな――どうしてそんな事が言えるの?」


 まぁ、当然の言葉だろうね。見ず知らずのよそ者が現れて、あなたの力になると言われても信じろというのが土台無理な話だ。

 

「理由を知りたい?」


 アルセラが顔を縦に振った。私の言葉の理由を求めている。それなら教えてあげる。私はアルセラをその頭をひき寄せるように両手で抱きしめる。そして、その耳元にそっとつぶやいたのだ。

 

「私の本当の名前は・・・・・・・・・・・・・・」


 それがアルセラの耳に届くのと同じに、彼女の顔がまたたく間に驚きへと変わっていくのが解った。

 

「でも、誰にも内緒よ?」

「はい――」


 アルセラがニコリと笑みを浮かべていた。まるで自分の妹のような彼女を私はしっかりと抱きしめた。

 

「理不尽は恐ろしいもの。そして、どんなに拒んでも襲いかかってくるもの。しかし! たとえそうだったとしても、高貴なる者はうつむくことも、嘆くことも許されない。それが平民よりも高い身分で生まれた者の宿命なの」


 そうだ。それだけはどんなに逃げてもいずれは覚悟を求められるものなのだ。

  

「思い出して、アルセラ! あなたのお父様は領民たちの前で俯いていた? 使用人たちの前で愚痴をこぼしていた?」

 

 私がそう問えばアルセラは明確にはっきりと顔を左右に振った。

 もうそこには一切の嘆きは無かった。小さくとも領主として当主として、覚悟を決めた者の力強い瞳がある。

 

「もう分かるわよね? あなたが今なすべき事はそれよ。お父様の真似から始めましょう」

「はい!」

 

 アルセラが私から体を離して静かに立ち上がる。その背筋はピンとしていて、静かに微笑みながら私の顔をじっと見つめていた。私も立ち上がりながら言う。

 

「事件が解決したらお父様のお墓を建てて弔いましょう」

「はい――、今は大切なこのワルアイユを守ろうと思います」

「行くわよ。一つ一つ準備をしましょう」

「よろしくお願いします」


 さぁ行こう。

 私たちの反撃はここからはじまる。

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