ルストからアルセラへ ―最後の一線―

 樫の木の両開きの扉――飾り気は少ないが年季が入っていてその歴史の古さを感じさせる。

 それをそっと開きながら室内へと足を踏み入れるが、あかりは灯っておらず、カーテンも引かれていて薄暗かった。

 だが、その室内には一人の少女が横長のソファーにて覇気なく腰を下ろしていた。

 私はドアを開ける際にノックをする。

 

「失礼――入るわね」


 そう声をかけるが、ノックにも声にも少女は反応を示さなかった。その彼女の名は、

 

――アルセラ・ミラ・ワルアイユ――


 このワルアイユ領の領主の一人娘だ。

 そして昨夜にその唯一の家族である父親を失ったばかりだ。

 ブロンドの髪を後頭部でレース付きのリボンでまとめ上げ、濃紺色のプリーツスカートと白いブラウスを身に着けていた。襟元には大粒のカメオのブローチ。ただその装いの中の彼女の表情は固く張り詰めて沈んだままだ。

 アルセラは私の声にも関心を示さず、すっかり心を閉ざしている。当然といえば当然だが、このままで良いはずがない。

 まずは私から名乗ることにした。

 

「私はエルスト・ターナー。ワルアイユの里を調べるために来た傭兵部隊の隊長をしているの。そこで今回の事件に出会ったのだけれど、その事について少しあなたとお話がしたいの」


 そう努めて穏やかに問いかけるがアルセラは反応を示さない。だがこの程度のことは想定済みだ。

 私は彼女に告げる。

 

「答えなくていいから、私の話だけでも聞いて」


 そう話しかけ、彼女の隣へと腰掛ける。あえて向かい合わずに隣り合うことを選択した。

 

「私、あなたの気持ち分かるの」


 私は忘れようとしていた過去をあえて封印を解いた。そして自らのつらい過去の一端を開放しながら語り続けた。

 

「私も家族を亡くしているのよ、仲が良かった実の兄を。もう5年近く前になるわ」


 それは私自身の心の傷だった。だが私はそれをあえて口にする。

 

「父親と折り合いが悪くて悩みに悩んで、自分自身を追い詰めた挙げ句、遺書を残して毒をあおってしまったの」


 そう。兄はもう居ない。あの時の喪失感と孤独感を忘れたことはただの一度もない。

 

「ずっとこれからも一緒にいるはずだった人が突然姿を消す、そんな事、たとえ何年かかろうとも納得できることなんてありえない。そしてそれが、理不尽な理由であればなおさら〝失った〟と言う喪失感は決して消えることはないわ。だから――」


 不意にあの5年前の衝撃が私自身の中で蘇る。だが嘆きも泣き声も上げるわけには行かない。ぐっと堪えて語るべき言葉を探しだした。

 

「あなたが今、お父上を失ったことの苦しみは自分ごとのように分かるのよ」


 そう告げながらアルセラの顔を窺えば、戸惑いつつも私の方へと視線をなげている彼女の顔が見えていた。それは彼女が少しだけでも心をひらいてくれた事の現れでもあった。私は言葉を続けた。

 

「あなたにもう後が無いこともわかるわ。でもね」


 私は自らの右手をアルセラの左手の上にそっと乗せる。


「あなたにはまだ失われて居ないものがある」


 それは明確な事実だ。私が投げかけた言葉にアルセラがハッとさせられているのがよく分かる。驚きと戸惑いがその表情の中に浮かんでくるのだ。

 彼女の顔を見つめながら私はさらに語りかけた。

 

「あなたには、あなたの事を案じてくれている執事さんや侍女の人たちがいる。なにより村の人たちがいる。あなたは何もかもをなくしたわけではないわ」


 私はアルセラの手を両手でしっかりと握りしめながら強く語りかけた。

 

「彼らのためにも、あなたは成すべきことがある!」


 それは逆に過酷な責め立てだったかもしれない。だがそれだけは忘れてはならない言葉なのだ。私はさらにアルセラに問いかける。


「あなたのお祖父様が、そしてお父上が、連綿と必死になって守ってきたこの土地を! ワルアイユの故郷を! 無法の輩たちにむざむざ踏みにじられて良いの? あなたはそれで納得できるの?」


 それを問うのは酷だったかもしれない。だが、たとえ残酷でも退いてはならない〝最後の一線〟があることを彼女にも解ってもらわねばならなかったのだ。

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