執事の苦悩と後悔

 私は執事長であるオルデアさんへと問いかけた。

 

「失礼ですが、ご領主様の昨日のご様子をお聞かせいただけますか?」


 オルデアさんが私の顔を見つめながら言葉を発し始める。そこには主人とともに過ごした苦難の日々がにじみ出ていたのである。


「旦那さまはこの1年、ずっと御苦労なさっておられました」

「隣接領地との諍いいさかいですね?」

「はい――」


 オルデアさんがかすかに視線を下へと落とす。

 

「あのアルガルドから連日のように続けられている領地運営妨害――これを中央政府に告発するための準備を続けていたのです」

「やはりアルガルドだとご領主様は掴んでらっしゃったのですね?」

「はい、良心的な行商人やアルガルド家と対立している小領主と連携して連名で告発するおつもりだったのです」

「その筆頭人がバルワラ候――」


 私の言葉にオルデアさんは頷いた。

 

「ですが――それに反対する者がおりました」


 それが誰なのか想定はつくが、私はあえて問いかけた。


「どなたですか?」

「代官のハイラルドです。彼は告発することでアルガルドの妨害がさらにエスカレートすると頑なに主張していました」

「なぜ? メルト村では乳幼児の風邪の治療すらできなくなって生命の危険すらあるというのに?」

「わかりません。告発以外の手段を講じるとは言っていましたが具体的な案は何も――」


 まぁ反対している理由は想像できる。今この状況下で居ないという現実が彼の素性の怪しさを証明しているような物だからだ。オルデアさんは更に続けた。

 

「昨日も告発を断念するようにと旦那様と口論をしていました。ですが話し合いは翌日に持ち越すとだけ私にはお伝えくださいました」

「そして、その後は?」

「旦那様は、日没後早めに就寝すると言い残してご寝所へと入って行かれました。大層お疲れのご様子だったのであえてその夜はお声がけはしていません。それがまさかこのようなことに――」


 だがその言葉にはオルデアさんの強い後悔がにじみ出ていた。


「お姿を見たのはそれが最後。せめて夜のうちに具合だけでも確かめさせていただければ――」


 オルデアさんの声が震えている。彼は主人の体の具合を配慮してそっとしておいたのだが、それが仇になった――そう思えても仕方のない状況だった。もしこれが心労と疲労による急逝だとするならばだ――

 だが私はなにかが強く引っかかっていた。腑に落ちない――いや急死したというシナリオとするにはあまりに都合が良すぎるのだ。


「ルスト隊長!」


 ダルムさんが大声で私に呼びかけてくる。私は足早に彼のもとへと向かう。館の窓の一つから外を確かめている。

 

「どうしました?」


 私が問えば、ダルムさんは窓枠の一部を示してこう告げた。

 

「これを見ろ」


 ダルムさんが指差す先の外壁面の箇所には、すこし縦長の傷――ナイフあとのような傷があった。それは――

 

「大きさから言ってキドニーダガーの物と符合しますね」

「昨夜の襲撃者のやつだな」

「はい」

「それとこれだ」


 彼がさらに際し示したのは壁面に強く残った足跡だ。登ろうとして滑ったような土跡があるのだ。 

 

「よじ登って足を滑らせて思わずナイフを突き立てた、ってところだろうな」

「たしかに――」


 するとちょうど屋外からも声がする。ドルスさんだ。

 

「隊長! 不審なところを見つけた!」

「わかりました。こちらへ戻ってきてください!」

「わかった! 今行く」


 ドルスさんからの声が返ってくる。

 

「ルスト隊長!」

 

 それに頷くと同時に傍らでパックさんも私に声をかけてきた。どうやら彼の方も答えが出たらしい。


「どうですか? パックさん」

「これを見てください」


 パックさんはバルワラ候の寝間着のガウンの襟元をまくるとその左肩を露出させていた。左肩の鎖骨の後ろ側の当たり――そこに虫刺されのようなポツンとした傷跡がある。明らかに死亡前の生きているうちに加えられた刺し傷だ。

 執事のオルデアさんも一緒に眺めている。その彼が疑問を口にする。


「これはいったい?」

「まさか――針?」


 私は一つの可能性を考えた。その答えにパックさんが頷いた。

 

「そのとおり――これは〝針〟による密殺です」

「密殺――」


 オルデアさんが蒼白の表情となる。私はパックさんの顔を見つめて答えの続きに耳を傾けた。


「眠り薬を嗅がされ昏睡させられたあとに左肩の肋骨と鎖骨の隙間から極めて細長い針を刺し入れて心臓を一突きにした物と思われます」

「なんと?!」

「肩から針を?」


 オルデアさんと私、驚きを口にすればパックさんは冷静に解説を続けた。

 

「似たような手口をフィッサールのとある秘密結社が用いていたのを見聞きしたことがあります。よほど正確に人体の構造を把握していないとできない芸当です。それに口元からはかすかに薬品のような匂いもします」


 パックさんが出した結論をダルムさんが補足するようにつぶやいた。


「職業的暗殺者だな。素人ができる芸当じゃねえ」

「それも自然死に見せかけた高等暗殺です。麻酔薬も東方系のものでしょう。その手段について熟知していないと専門の鑑識官でも判別はできないと思われます」


 だが東洋人であり東洋系の薬物にも詳しいパックさんが居たのは我々にとって僥倖だった。

 昨夜、私を襲った連中が脳裏をよぎったが、私を襲ったのは片手間で、むしろこちらのほうが本命だったのだろう。しかし――

 

「でもなぜ? この段階で領主であるバルワラ候を――」


 そうだ。それが一番疑問だ。

 もしワルアイユ領の権利を明け渡させるのであれば、素知らぬふりをして圧力を加え続ければいいのだ。どんなに抵抗しても領民たちの生活と尊厳を考えれば領地領有を断念したほうがお互いに解決は早いはずだからだ。 

 だが――

 

「なぜ殺してしまったのだろう?」

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