アルセラの涙

 そこに居たのは数人の使用人たち。簡素な装いの小規模な邸宅とは言えあまりにも少ない人数だ。驚く私たちをよそにしてダルムさんが叫んだ。

 

「おい? ラルドのやつはどうした?」


 聞き慣れない名前が出てくる。その言葉に女官の一人が答え返す。


「代官様ですか? それが昨夜より姿がお見えになられなくて――」


 メイド服姿のメイドの一人が発した言葉に私は問いかけていた。


「どなたのことですか?」


 ダルムさんが静かに告げる。

 

「ハイラルド・ゲルセン――ワルアイユ領の代官でバルワラの副官をしていた男だ」


 代官――執事よりも立場は上であり、領主不在の時には領主に成り代わり、領地運営を任される立場の者を指して言う。領主が不慮の死を遂げたのならば、このような場所には居なければならないはずだ。それが居ない?

 視線を投げかければ、ダルムさんは憤懣遣る方無いという表情で荒く吐き捨てた。

 

「ラルドの野郎、どこ行きやがった!」


 その言葉と表情には長年に渡る怒りと苛立ちが込められている。ダルムさんもそのラルドと言う人物には好意を抱いていないのはあきらかだ。私は問うた。


「どのような方ですか?」


 私の声にダルムさんは言う。

 

「外面は良いが、裏の顔はとにかく強欲でこすっからい男だ。だが金銭管理と商人との交渉には才覚があったから、バルワラのやつもそれなりに信頼していた。それに大胆な裏工作を仕掛けるほどの度胸も無かった」


 その説明を耳にしてドルスさんが言う。

 

「典型的な小悪党――って所か」

「あぁ」


 今ここに居ない人物のことはコレくらいでいいだろう。

 

「それより――」


 私たちは現状を確かめることを優先せねばならない。まずは領主バルワラ候の死亡状況の確認だ。バルワラの遺体のある方へと私達は向かった。

 そこには天蓋付きのベッドがあった。天蓋の周囲にレース地のカーテンが下げられている。そしてその天蓋の下には一人の人物が眠るように横たわっている。彫りが深く見えるのは、心労と心痛からすっかり痩せ衰えてしまっていたからだろう。

 

「バルワラ――」


 半ば絶句するようにダルムさんがその名を呼ぶ。だがその声に領主は答えない。

 ベッドの上で布団にくるまれるようにしてその身を横たえたままだ。

 その顔にはこのワルアイユの地を守るために死力の限りを尽くして抵抗していた日々の労苦が刻み込まれている。だがその体は起き上がる事はもう無い。彼は志半ばにして倒れたのだから――

 そしてそのベッドの傍ら、バルワラ候の右手の方へとすがりつくようにしてすすり泣いている人がいる。

 若い女性――それも歳の頃15才くらいだろう。ブロンドの髪が印象的だった。

 

「彼女は?」


 ダルムさんにそっと耳打ちするように問いかける。

 

「アルセラ――バルワラの娘だ」 

 

 すでに散々鳴き声をあげたのだろう。号泣する余力すら無いのだ。私はさらにダルムさんに問うた。

 

「ご家族は?」


 ダルムさんは顔を左右にふる。

 

「居ない」


 聞けば母親は病で10年前に死亡、祖父も祖母も流行病ですでに鬼籍に入っている。

 そう、アルセラは天涯孤独になってしまったのだ。

 私は掛ける言葉がすぐには見つからなかった。

 こんな小さな体の少女がコレほどまでに苦しめられなければならない謂れは一体どこにあるというのだろう? それを思うと体の底からふつふつと怒りが湧いてくるのがわかる。

 だが義憤にかられるのはまだ早い。私は今なすべきことへと意を決して指示を下した。


「事態を収拾します。まずは調査です。各員に命じます」


 私は部隊の者たちに告げる。

 

「ランパック3級は死因の確認をお願いします」

「心得ました」

「ルドルス3級は邸宅屋外や周辺を調査してください。何か異変の証拠があるかもしれません」

「わかった」


 二人が速やかに返答をする。パックさんはバルワラ候の遺骸へと歩み寄り、ドルスさんは足早に邸宅の外へと向かった。

 残るのは私とダルムさんだが――


「ダルムさん、邸宅内の異変を調べてください。なにか痕跡があるはずです」

「わかった」

「私はのちほど〝彼女〟と話してみようと思います」


 私の視線の先にはアルセラ嬢がいる。ワルアイユの本来の当主が落命している今、彼女がこのままでは事態を収集させるのは困難だ。

 私が何を意図しているかダルムさんもすぐに気づいたようだ。

 

「頼むぜ。こう言うのは男の俺ではどうにもならん」

「おまかせください」


 そう言葉を残すと私はそのための準備を始める。周囲でオロオロするばかりの侍女たちに声をかける。

 

「皆様にお願いがあります。お嬢様を自室にて休ませてあげてください。お父上の亡骸は丁重に扱わせていただきますので」


 突然現れた部外者である私には彼女たちも不審げな視線を向けてくる。だがそれに取り合う暇はない。私は力強く告げた。

 

「急いでください。普段から接しているあなた方にしかできない事です。それとも――アルセラ嬢をこのまま泣かせ続けるのですか?」


 私が何を言おうとしているのか伝わったのだろう。数人居る侍女たちの中でも一番年長そうな一人が進み出てくる。

 

「かしこまりました。お任せください」


 そして彼女は常日頃から接している風にアルセラ嬢の肩をそっと掴みながら声をかける。

 

「お嬢様、別室にておやすみになられてください。事後のことは執事長とこちらの方々が助けてくださいます」


 その侍女はよほど普段からアルセラさんと対話をしていたのだろう。ゆっくりとではあったが、泣きはらした顔のまま立ち上がり、そっと私たちに頭を下げ、侍女たちに促されるようにこの部屋をあとにしたのだ。

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