メルト村の苦難
当分の間は残り二人の子供達を別のところで寝かせるように教えた。一番困るのは家族同士でうつしあって風邪がなかなか抜けていかないことだからだ
幸いこの家には部屋が何部屋かあり、父親だけ別の部屋で寝ているという。二人の子はそこで寝かせると母親は答えた。
状況が落ち着いたところで私たちを連れてきたあの女性が自己紹介を始める。
「この度は本当にありがとうございました。リゾノ・モリスンと申します」
「ルセル・ウィーベルです。本当に助かりました」
二人は名前を名乗りながらふかぶかと頭を下げてくる。パックさんも礼儀として名前を名乗った。
「楊と申します。お見知りおきを」
名前を名乗りあった後でパックさんが問いかける。
「先ほど、村長さんからもお聞かせいただきましたが――、それほどまでに医師や薬師が来訪されないのですか?」
素直な疑問の問いかけだったが、彼女たちには極めて深刻な問題だった。絞り出すような声で彼女たちが不安を口にし始めた。
「となりの〝アルガルド〟のせいなんです」
「隣接領がですか?」
「はい」
冷静な口調で言葉を続けるのはリゾノの方だった。
「昨年あたりからこのワルアイユに対して執拗に嫌がらせをするようになりました。行商人や巡回医師などに対して妨害を加えるようになったんです」
私はそれに相槌を打つ。
「それで皆が警戒して来なくなってしまったと?」
「はい――、生活必需品はなんとか自給してきましたが、医薬品や医者の治療はそうもいきません。子供を育てる母親たちはもう限界だと思ってます」
私たちはそこで背後に強い視線を感じてふと振り向いた。そこにはこの長屋で同じように子供を育てている母親たちのすがるような目線があったのだ。
「この界隈でも、治療が間に合わず乳飲み子が二人ほど命を落としています。薬の欠乏が続けば犠牲者の人数はもっと増えるでしょう」
そしてその隣でぐっと唇を噛み締めていたルセルも語る。
「ワルアイユでの子育てを諦めて他の土地へと移る人たちも現れています。仕事のあてがあるのならそうしたいのですが、なかなかそうもいきません」
ルセルが両手をぐっと握りしめて言葉を続ける。
「私も子供を連れて実家のある土地へと移ることを夫にも勧められました。でも女一人で子供を連れて実家に戻っても受け入れてもらえるとは限りません――、離縁された、出戻りだと噂を立てられたらそこにもいられなくなってしまう。そうなったら終わりです」
そしてさらにリゾノが語る。
「ご領主様も事態をなんとかしようと苦心惨憺してらっしゃるようなのですが」
「思わしくないと――」
「はい」
ルセルが言う。
「夫の務めている鉱山でもご領主様がなかなか姿を現さず混乱しているといいます。もうワルアイユ全体が疲れ果てているんです。これで秋の収穫時に農作物の買い付け人が現れないなんて事まで起きたら――」
その先は言わずとも分かる。この村は終わりだ。
現状は想像以上にひどい代物だったのだ。パックさんが静かに語る。
「私の薬師の繋がりからも、役人に援助をするように訴えましょう。このままではあまりにも悲惨すぎる」
真剣に語るその言葉にルセルの目に涙が溢れていた。
「ありがとうございます――」
私は素直に思う。この人たちがここまで苦しめられる謂れがあるのだろうか? これほどの苦しみをもたらす者のその真意は到底理解できなかった。
重苦しい空気を払うように声を発したのはパックさんだった。
「手持ちの薬の範囲でよろしければ長屋の他のお子さん方も見させて頂きましょう」
「よろしいのですか?」
「えぇ、これも何かのご縁です」
そう口にするが早いかパックさんは立ち上がり背後を振り返る。
「診察を希望される方はおられますか?」
その声と同時に名乗り出る手があがる。そして私たちは動き出す。忙しい時間がまだまだ続きそうだった。
† † †
治療費として手間賃程度で私たちは済ませた。元々金儲けで医者の真似事をしていたわけではないからだ。
しかしそれでは申し訳ないと帰り旅の途中に食べてほしいとパンや保存食が渡された。
「かたじけない。日を改めてお伺いするといたしましょう」
「よろしくお願いいたします」
結局、十人近い子供たちを治療して私たちはここから去ることにした。
パックさんのことだ、傭兵としての任務の間を縫って本当に来るかもしれない。この人はそういう人なのだ。
「神農のご加護がありますように」
神農――それはフィッサールにおける医療と農耕の神のこと。
周囲の住民たちが興味ありげに眺めている。いつまでも深々と頭を下げて感謝している母親たちが居る。
ひとまず村から私たちは立ち去ることにした。
† † †
集合場所への帰路の途上、わたしはパックさんに医学の心得について問うた。彼は答える。
「かつて武術の修行の中で、体の使い方を熟知すると言う趣旨で、薬学や医学を学んだことがあるのです。あとはこれまでの経歴の中での実践ですね」
「体で覚えたわけですね?」
「ええ、しかし隊長も東方の言葉にご堪能のようだ」
「マオやホタルのような東方人と交流が多かったので必要に迫られて学んだんです」
「そうでしたか――、それにしても」
パックさんが言葉を詰まらせる。その先は何を言わんとしているかは私にもすぐにわかる。
「何とかしてやらねば」
「ええ、その通りだと思います」
この足で村の中へと乗り込んだことで、悲惨すぎる現実を目の当たりにすることができた。
このまま放置してはおけない――
私は自らの胸の中にそう強く感じていた。
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