パック風邪を治療す

 先程の村の大通りから少し離れた位置に住宅地がある。農地労働や鉱山労働で働く賃金労働者たち暮らすエリアだ。

 正確に引かれた街路があり、その道の両側にひと家族が住むには十分な平屋が何戸も並んでいた。

 荒れた石畳の道の上で街の子供達が遊んでいて、道のいたる所に洗濯物を干す紐がかけられている。家を守る女性たちが忙しく日々の暮らしを営んでいる中で、一つの家に数人ほどの女性たちが集まっていた。

 おそらくはあそこだろう。


 私たちに声をかけてきた女性はその家へと一直線に向かう。そして、家の中へと駆け込むやいなやこう告げたのだ。

 

「ルセル! お医者さん連れてきたよ!」


 その後を追って家の中へと入ればさほど大きくない平屋の家の中で子供が病床に横たわっていた。子どもは3人でその中でも一番小柄な子が顔を赤くして荒い息をしていた。一目でわかるが典型的な夏風邪だった。だが夏風邪でも対処を間違えると命にかかわる。子供であるならなおさらだった。


「病気でないお子さんを外に出してください。看病の方法を決めるまで離しておいたほうがいい」


――パックさんは一目すると同時にそう告げたのだ。


「おいで」


 家の外から声がする。普段から助け合っているのだろう。近所の女性が預かってくれるようだ。

 パックさんは私に荷物を預けると病床の子に歩み寄る。そして腰元から手ぬぐいを一枚取り出すと口元を覆うように頭に巻いていく。そして病床の子の診察を始めたのだ。

 

「熱はいつから?」

「軽い熱は昨日の昼頃からです。その前から咳やくしゃみはしていました」

「吐き戻したり、下痢をしたりしましたか?」

「吐いてはいませんが下痢は少々」

「便の色は? 白かったりしていませんか?」 

「いいえ、ゆるい便ですが色は普通です」


 母親に矢継ぎ早に尋ねながら、男の子の襟元を緩めて喉を確かめる。そして、私に命じる。


「背嚢から小刀を」

「はい」


 言われるままに探せば、太さ1ディカ(約3.8センチ)程度、長さ半ファルド程度の小刀がある。鞘に収まったままのそれを手渡せば、パックさんは小刀を抜き、鞘の方だけを使い始めた。

 鞘を子供の胸元に当てるとその反対側に耳を当てる。そして息を繰り返すように指示を出す。

 

「そうそのままゆっくりと何回も」


 おそらくは呼吸や肺の中の音を聞いているのだろう。それで症状の詳細がわかることもあるのだ。

 

「いいでしょう。そのまま楽にして」


 子供に着衣を戻し布団をかけさせてやる。まずは最初の診察は終わりのようだ。母親へと彼は告げた。

 

麻疹はしかやコロリでは無いようですね。感冒――風邪でしょう。少々重くなりかけですがまだ間に合います」


 麻疹もコロリ(コレラの事だ)も子供の命をたやすく奪う恐ろしい病だ。適切な薬や治療があれば別だが、医師の常駐していない辺境地では些細な病が命取りになるのだ。

 母親も心配をしていたに違いない。わたしたちを呼んできたあの女性が傍らで肩を支えて励ましている。

 パックさんはなるべく刺激しないように言葉を選びながら語り続けた。

 

「熱風邪ですね、喉の腫れもまだ弱いので煎じ薬を飲ませましょう。それと看病の手はずを整えます」 


 彼の言葉を耳にして私は先の程の喘息の子に処方した薬を取り出そうとした。だが――

 

「君、それではない。茶の袋の葛根湯を」

「はい」


――速やかに注意が飛んだ。私の動作は彼の視界の外のはずだったのだが、よく気がついたものだと驚いてしまう。


「薬湯でよろしいですね?」

「頼む」


 母親に尋ねて茶の道具の準備をする。土瓶を持ち出しそこに適量の薬を入れると水を入れて火にかける。まずは煮出して薬湯をつくるのだ。以前に熱風邪で寝込んだときに、薬の行商人であるマオに作ってもらったことがある。その時の記憶を頼りに作業をする。

 薬湯は煎じ終えるまでに時間がかかる。その間にパックさんは寝床の支度をすすめる。窓に近いところに寝具を移動させ、着衣を着替えさせる。そして窓を開けさせ風通しを良くしながら、濡らした布を準備させる。布団は厚めにかけて発汗をうながしつつ、濡らした布で頭を冷やすのだ。

 

「頭寒足熱と言い、熱風邪の治療の基本です」

 

 そして新しい床で横たわる子供が落ち着きを見せ始めていた。治療をされている――と言う現実は患者に十分な安心感をもたらすからだ。薬湯が仕上がるまであと少し。その間にパックさんは看病の要点を告げていた。

 

「薬がきき始めれば、汗を大量にかき始めます。体を冷やさぬようにこまめに着替えさせてください。それと熱がさがりきるまでは消化の良い食べやすいものを与えてあげてください。汗をかきますから喉の乾きを訴えるので湯冷ましを適時あたえるように」

「はい」


 パックさんの言葉に母親は逐一頷いていた。その間にも薬湯はできあがる。土瓶の中から碗に移す。そして子供を起こさせると薬湯をそっと飲ませてやった。あとはゆっくりと休ませるだけだ。薬が速やかに効き始めたのか、薬を飲んだことで安堵したのか子供は早くも寝息を立てていた。その姿に母親の顔にも笑顔が浮かぶ。

 パックさんが言う。

 

「もう大丈夫です。あとは時間が直してくれるでしょう」


 その言葉が何よりもの薬だったのである。

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