▶〈チャプター1-9〉/文字の養殖魚と詐欺師
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――――潮風のからい匂いがする。
肌寒くなってきた海風で髪をなびかせながら、ショート・ショットはカフェにいた。
カフェと言っても、そこはオールスミスでも一風変わった店だった。“和風”という、あまり日常では見かけないサービスを提供してくれる喫茶店。
水が流れる音と、竹が打ちつけられる音。心安らぐ音色を聞きながら、彼女は紅茶の香りを楽しんでいた。
その店は、いわゆる“穴場”。
大通りから一本外れた、ひと通りの少ない通りに構える、一風変わった店柄。屋根を支えるむき出しの柱は、どうやら木造を模しているようだ。
ナノシアター曰く、その色合いは“
「――――こういう店は、軽く窓を開けたままにする。それがなぜか、わかるかい?」
そんな彼女のまえに、ひとりの男性が座った。
大きな旅行鞄をたずさえた、チェック柄のスーツを着た男性。まるで映画の舞台で出てくる
突然話しかけてきたというのに、怪しさよりも、物腰の柔らかさを感じた。
ショートが抱いた男性への第一印象が、それだった。
相席を求められ、ショートは応じた。客は自分たちしかおらず、他にも席はたくさんあるというのに、わざわざ自分に話しかけてくる。
そんな男性の思考に興味が湧いて、彼女は応じたのだった。
「……それで? どうして、窓を開けているの?」
「自然を感じるためさ」
旅行鞄を床に置き、男性はショートの目の前に座った。
両肘をつき手を組んで、その上にあごを乗せる。冷たい瞳が、こちらを見ていた。
男性が続ける。
「ナノマシンの普及と同時に、ひとは自然を恐れた。嵐が草木を
だけどこの店――いやこの地区がある風景を再現していることは?」
知ってた? と男性は瞳で――いや、まとう雰囲気で訊いてきた。
全身が――そのいでたちが、もしくは席への座り方、または仕草や物腰が、彼のすべてを語っている。
自分は、この男性に問われているのだろうか。
知識ではなく、ショート・ショットという人間を。
彼女の目に映る男性のイメージは、それだ。第一印象とは、
「いえ……変わった街並みだとは思ってたけど」
「“
「あなたは……だれ?」
チェック柄のスーツが、“彼”という人間を覆い隠しているようにも、彼女には感じられた。
まるで、ピエロのメイクだ。
からだや、
彼女の問いに、男性は微笑む。
笑っているのは、口角か、それとも瞳か。両方かもしれないが、ショートにはわからない。
あいまいなひと。
煙のような雰囲気。
印象に残るひとなのに、記憶には残らない。
男性は、だれでもない。それは、マスクを被っているからか。
彼女には、わからないことだ。
「私は、きみのファンだ」
男性が言う。自分はきみの研究に興味がある、と。
ふたりのテーブルに、ひとつのカップが運ばれてきた。
「この店に来たというのに、紅茶を頼むとはもったいない。せっかくオールスミスの中にある
これは湯飲みだ、と男性は熱湯が入っているであろうそれを、両手で持った。
熱くないのか。
つい、そんなことばが思いつく。訊こうかとも考えたが、彼女は自分が、男性を怖がっていることにも気付いていた。それも、当然のことだ。
知らないものをまえにして、恐怖しない人間は少ない。
知らない男性をまえにした女性なら、なおさらだ。
男性もそれに気付いたようで、湯飲みを置いて、自身のネクタイに左手をかけた。
「……すまない、自己紹介が遅れた。きみを怯えさせてしまったようだ。そんな気はないのに」
「ああ……いえ」
男性のことばに、ショートは微笑む。笑いがぎこちないことに気付きながらも、彼女は男性から目を離さない。
知らないものと相対すれば、視線をそらさない方がいい。気のせいでも、自分がハントされるのでは、と感じているのならば。
「私の名前は――ルースティヒ。ルースティヒ・レイモンドだ」
よろしくショット博士、と男性――ルースティヒから、右手が差し出される。その意味は、友情の証か。それとも、信頼を勝ち取りたいのか。
「ええ……よろしく。あたしのことを知っているようだけど、お仕事はなにを?」
どこかで会ったことが? と右手を差し出すことなく、彼女は訊いた。自分を知っているということは、同じような仕事をしているのだろうか、と。
だがルースティヒは、違うと微笑んだ。そして小さな声で、
「私は詐欺師だ」
冷たかった瞳が、笑った気がした。
ショートは彼のことばを聞いて、つい笑ってしまった。怖いひと、と考えていたのに、まさか自己紹介で冗談を口にするなんて。
彼女は、詐欺師と名乗る男性の握手に応じた。
「ありがとう」
ルースティヒは軽く
「怖がらせてしまったようだったから、冗談を言った
「だれにでも、あの冗談を?」
「ああ。打ち解けるなら、詐欺師と名乗るのが一番だ」
「でも、勘違いされない?」
「きみが、私にしたように? ……まあ、あながち間違いでもないからね」
「え?」
「その詐欺師は、私を騙してるんだ。“自分は詐欺師だ”と
第一印象は、交通事故だ。
そして第二印象は、見切り発車だ。
信号が何色か見えず、アクセルを踏んでしまったにすぎない。このまま交差点に突っ込めば、ショートはルースティヒを
「ネクタイをどうするか、迷っていた」
ルースティヒが、喉元にあてがった指に力を込める。
「ネクタイを締めることは、“引き締め”の意思表示だ。仕事のために身支度する朝、大事な会議のまえ、社会人となるための面接の際。そして、甘酸っぱいデートの直前。
ネクタイを緩めることは、“安らぎ”への第一歩だ。会社の終業時間、自宅への帰宅、友人との
……だが、きみが手を取ってくれたお陰で、私は首を絞めなくてよさそうだ」
言うと、ルースティヒは
緩んだ首もとへ湯飲みの中身を流し込み、彼は再び組んだ手のひらの上にあごを載せる。
「きみの研究室は、鉄塔――〈Dear.smiths〉の一階にあると聞いた」
「ええ、そうよ」
ショートはカップを置きながら、
「でも、どうして?」
「きみは有名人だ。私の中では、だけどね。……〈Dear.smiths〉について、少し話しても?」
彼の問いかけの会釈に、彼女は是非と会釈で返す。
「〈Dear.smiths〉は、見てのとおり鉄塔だ。そのフォルムと色合いは、セーヌ
思い出すように――自分をかたるように、ルースティヒは言う。
「わざわざフォントを変えて、イタリック体で〈Dear.smiths〉だ。ショット博士は、これについてどう思う?」
「名前の由来の話? それとも、文字が着飾っているっていう話?」
「文字が着飾る?」
にやりと、ルースティヒが笑う。
その笑いが、彼女には今までと違う種類のように思えた。
「面白い表現だ」
「そうかしら? 当然の帰結だと、あたしは思うわ」
「それは、一体どうして?」
「文字は生きている。絞めて加工され調理して、あたしたちのまえに出てくるの。とても美味しい
でも生前だけは、だれの指図も受けない。彼らは飼われているけれど、飼育されていることを知らない。知らないまま、彼らは着飾るの。
自分たちが飼われていると自覚するのは、絞められた後。加工されようと血を抜かれるまえにはもう、お洒落な服なんてないわ。あるのは綺麗に並べられた文章だけ」
「じゃあ彼らは、どこで飼われてるのかな?」
「ここよ」
ショートはトントンと、自身のあたまを指で
「牧場はあたまの中」
「私たちは、牧場主か。エサは?」
「記憶よ。美味しい料理を食べて、丸々と太った羊。生け
「どうして文字たちは着飾るんだ?」
「個性が欲しいのよ。……今はフォントと言えば“デジタルフォント”だけれど、彼らは属する群に自分がいることを主張したいの。だから着飾る。派手な方が、みんなから観てもらえる」
「それは、どうして?」
「
「〈Dear.smiths〉は名前という食品サンプルになっても、なにかを主張したいのか?」
ルースティヒのことばに、彼女は店内からは見えない鉄塔を想像する。
自分たちの生活を支えている基盤。自身が“ナノマシン管理技士”として働く現場であり、そこの一室を間借りして研究もしている場所。
人類ひいてはショート・ショットの基盤であり、普段は彼女の頭上にそびえ立つ街のシンボルは、なにかを自分たちに伝えたいのだろうか。
鉄塔の隙間を通ってきたであろう潮風のからい匂いを感じながら、彼女は考える。
「……有名なフォントには、ウロコのある明朝体と、ウロコのないゴシック体がある。でもそのふたりは、飼われていない。むしろ、牧場にいる家畜は、ふたりのエサとなる」
文字の養殖魚。
加工されて切りそろえられた肉たちは、
その様は、鳩が食すパンクズより悲惨だ。
どれだけ着飾ろうと、結局は同じ味付けを施される。
「じゃあ、イタリック体は?」
ルースティヒがささやいた。
彼のことばに、ショートは再び思考をめぐらせる。
「……イタリック体は名前からもわかる通り、聖書で使用するために考案されたものよ。フォントとして使われる理由は、特定の単語を強調するため。他国語の単語だという名札でもある。
名前となってもなお、文字が主張したいのか。それとも、文字を使って鉄塔自身がなにかを主張したいのか、判断がむずかしい」
「他国語の単語の部分は、〈Dear.smiths〉が“自分は世界をつないでいる”って言っているように聞こえたよ」
ショートの持論は、ルースティヒの付け足しによって幕を降ろした。
満足だと、彼は小さく手を叩いてくれた。本当なら立ち上がって感謝を述べたいが、店のひとの迷惑になってはいけない、と。
「でも、本当によかった。いまの話を聞けただけで、きみに会いに来た甲斐があった」
「いえ、そんな。あなたのお陰よ。とっても聞き手上手だったわ。だから、いつも以上に舌が回ったの。普段だったら、かみ切っちゃうのに」
「聞き手に回り、相手に気持ちよく話をさせるのは、詐欺師の基本だ」
「それは冗談でしょう?」
「ああ、そうだ」
ルースティヒは湯飲みをかたむけながら、
「私の職業はセールスマン見習いだからね」
「見習い?」
「ああ。私はまだ、大きな取引を経験していないんだ。だからずっと、
「大きな取引……って、例えばどんな?」
「例えば……〈Dear.smiths〉のような、かな」
言って、ルースティヒは笑った。二度目の冗談だと。
もはや完全に打ち解けたような気がして、彼女もつられて笑みを浮かべた。
「それで、あたしに話したいことがあったんじゃないの?」
「いや、話したいことはない。今日の目的は、聞き手に回ることだ」
「なにが聞きたいの?」
「きみの研究についてだ。……ああ、機密までは話さなくてもいい。話せる部分だけで十分だ。私はきみが考える“
「……そうね。どこから話したものかしら」
言われたとおり、ショートの研究内容には、機密部分もある。先ほどのように、自分の考えをそのまま話すことなんて無理だ。
思考と情報を切り分け、整理する。
彼女はことばを選び、いまから自分が話す内容を選別する。
やがて、ようやく話の筋道がたった頃、彼女は口を開いた。
――――そこで、
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