▶〈チャプター1-7〉/ショート・ショットと文字の家畜

   ■


 午後三時アフタヌーンティー

 一八四〇年頃――つまり現在から約一五世紀まえに、地中海を臨む英国イギリスにて、アンナ・マリア・ラッセルという公爵夫人によって始められた、とされている。

 現在でいう午後七時頃ディナータイムは、当時は夜の社交として彼女らは過ごしていたという。午後九時ディナータイムまで空腹に耐えるため、事前の腹ごしらえという意味合いが、午後三時だ。

 紅茶や茶菓子という喫茶とともに、知的な会話をして過ごす時間。

 これが、三三〇八年げんだいに伝わっているアフタヌーンティーの定義イメージだ。


   ▶︎


「初めまして、ベクターさん」


 午後三時。

 ベクターは相棒に押しつけられた慣れないスーツに身を包み、大通り沿いの道端喫茶オープンカフェに来ていた。


 “ブルックリン通り”を再現したという通りは、たくさんの窓がある建物と、観賞用の落葉広葉樹による緑によって囲まれている。拡張現実ナノシアターに出てくるそれとは違い、オールスミスのブルックリン通りは大きな鉄橋ではなく、街のシンボルである鉄塔が大きく見えた。


 店名はブルックリン。

 通りの名前をそのまま店の名前にする、という大体なものだったが、その名が相応しいのか、かれらがいる通りの店の中で、そこは一番賑わっていた。


「初めまして。ぼくのことを話のダシにしている、ってことだけは聞いているよ」


 言って、ベクターは“ナノマシン管理技士”であり、かれと同様、セキュリティの協力者である女性と握手を交わす。


 美しい女性だった。


 歳はガラムとそう離れてはいないだろう。よほどスキンケアに力を入れていなければ、綺麗で細やかな肌から察するに、年齢は二〇代後半かどうか。

 膝を隠す流行のスカートを履いているが、丈をもう少し短くすれば、二〇代前半大学生と言われても信じてしまうだろう。


 黒混じりロ ンの金髪の長髪は、通りを吹き抜けるからい匂いによって、緑の落葉とともになびいていた。建造物ビルの隙間から差し込む明かりは、彼女の綺麗な髪色を一層と際立たせている。


 翡翠エメラルドの瞳へ、ベクターは微笑んだ。


「――会えて嬉しいわ。あたしはショート・ショット。彼から聞いていると思うけど、セキュリティの捜査に協力しているの」


「ぼくと同じってわけだ。そういう点では、ぼくは友人ガラムよりきみに近いらしい」


 右手い さ握手を終えて、かれらは席についた。


 大通りに面する喫茶店カフェは、その魅力を存分に楽しむために、店内よりも店外の席の方が人気を博している。かれら三人も鉄製の円机を囲んで、パラソルの下に収まっていた。


 ブルックリン通りを吹き抜ける、軽い潮風。太平洋からやってくる息吹によって落葉広葉樹の葉が揺れ、音楽スティーヴィー代わりになってくれる。


 ――なるほど。逢いデ ー引きにしては、ずいぶんと洒落たところを選んだのか。

 店の雰囲気を肌で感じながら、ベクターは少し感心していた。


 おしゃべりな相棒が、まさかこんなに心安らげる場所で午後三時を楽しもうとは。

 てっきり、ふたりっきりになれる個人部屋などを、かれは想像していたから。


 少しばかり、意外性があった。今日の場合は、生憎と三人っきりだが。


「あなたが、美しいアドバイザー」


 綺麗な瞳に映る自分を見ながら、ベクターは言う。


「ついさっき、友人ガラムから聞きました。あなたに心をショット  さかれたって」


「友人? ……相棒って聞いたけれども?」


「最も親しい友であり、相棒なんだ」


 ガラムが、ショートへ微笑んだ。


 見慣れない――悪意がある言い方をすれば“媚びた笑い方”だろうか――相棒の優しい笑みに、かれは自分が、吹き出しそうになっていることに気が付いた。


 ……とはいえ、馬鹿にしているつもりはない。

 好きな女の子をまえにデレデレしている友人を見て、茶化したくなる男の子に近い気分だ。

 かれは半年分だけある、自身の記憶をたぐった。これは、あの記事にあった感覚だろうか。


「注文をしてくるよ」


 うわずった声で、ガラムが言った。

 パラソルからはみ出たその表情は、いつも通りのお調子者じゃない。やはり、どこか緊張している面持ちだ。


 かれは友人を見送った。


「あの、ベクターさん?」


「……ちょっと、待ってもらっていいかな?」


 ショートのことばに、ベクターは待ったをかけた。おそらくは自分のことについて聞きたいのだろうが、先約があった。


 ガラムだ。視界に飛び込んできた彼の文句メッセージに、かれは返事をする。


   ■


〈おい、ベクター。なんで今日に限って、話し方がキザったらしいんだ〉

〈そうか?〉

〈ああ、間違いない。おれの耳はいいんだ。さっきから見ていれば、おまえあんなしゃべり方じゃなかっただろう?〉

〈……悪かったよ。このまえの映画に出てきた精神科医がいただろう? あのひとが格好良くて、真似したくなったんだよ。それに、耳では“見れない”ぞ?〉

〈うるさい、馬鹿。……すぐに戻るから、“普段どおり”に彼女と話していてくれ。余計なことは言うな、なんて野暮なことは言わないから、普通で頼む〉

〈了解だ、相棒〉


   ▶︎


「……どうかしたの?」


「ああ、いや。仕事のやり取りだ」


 彼女の問いに、かれは答えた。半分は、嘘じゃない。だから笑ってごまかすのも、むずかしくなかった。

 椅子に座りなおして、まえを見る。ベクターは言われたとおり、“普段どおりのかれ”として、ショート・ショットへと向きなおした。


「――それで? ぼくに、なにか聞きたいことが?」


「ああ、ええ。実は、そうなの。……流石、取調べのプロ。隠し事なんて、できないわね」


「わかったのは相棒のお陰だよ」


 普通を意識しながら、かれはショートとの会話を進めていく。

 まるで本物の社交の際に交わされる内容のようで、少し息が詰まりそうだった。

 友人が狙っている女性ゆえに、失礼がないように誇れる彼の友人であろうとことばを選ぶが、それが少し、ベクターには窮屈だった。


 でも、だからと言って、

「……嫌なわけじゃない」


「え?」


「あ……いや」

 つい口からこぼれ出た発言を訂正しようと、ベクターは続けた。

「別に、こんな固い表情をしているぼくですけど、あなたと話すのが嫌なわけじゃない。あまり笑えてないのは、元々というか」


「そう? よく笑っている方だと思ったけど」


「ああ……そう。それは、よかった」


 ごまかして、訂正して、微笑んで。

 なるべく普通でいようとしながら、ベクターは彼女へと笑いかける。そして段々と、楽しさを感じ始めた。


 喫茶店カフェで女性を相手に、自分をごまかしながら話をする。

 それは、かれが観た映画のナンパをする男か、悪徳な商品を売りつける詐欺師のようだった。

 そんな状況が、ベクターにとってはどこか楽しい。友人が好意を寄せている女性をナンパしても、騙してもいないけれども。


「それで?」


 肩口から通り抜ける冷たい風を見送りながら、ベクターが問う。


「ぼくに質問って、“記憶”のこと?」


「ああ、もちろんそれもだけど」

 ショートは髪をかき上げながら、

「そっちは、彼が帰ってきてから。まずは、あなたがナノマシンについて、どれだけ知っているかを、あたしが知りたい」


「ナノマシンについての知識? どうして?」


三三〇八年いまの時代、ナノマシンは当たり前になった。

 ひとは、社会の一員になる上で、もしくは生活を送る上で、すでに使われて当然となった技術は、何の疑問も抱くこともなく、受け入れる。みんなが使っているから、自分も使おうとする」


社会みんなに使うことを強制されている?」


「いえ、協調しているのよ。生命いのちはある程度まで個の強さを求めるけれど、一定のラインを越えれば群の結束を求めるの」


「……きみは、社会性の授業をぼくに?」

 ベクターは笑った。

「それとも、歴史の授業?」


「ああ……ごめんなさい」

 ショートも愛想笑いを浮かべて、

「つい、で」


「くせは、日々の積み重ねだ。ぼくはきみが羨ましい」


「そう? ……とにかく、あたしがなにを言いたかったかというと、あなたがナノマシンについてどれだけ知識があるのかを知りたいの」


「それは、どうして?」


 両手を広げて、ベクターは質問の意図を投げかける。その手振ジェスチャは同時に、彼女からの質問を受けつける、という意味合いでもあった。


「ベクターさん。コロンブスのことは?」


「……いや。知らない。調べても?」


「調べるほどじゃないわ。彼は、当時では初めてアメリカ大陸を発見したひとよ。正確には、ランス・オ・メドーっていうカナダの国定遺跡に、航海でたどり着いたひと」


「アメリカ? よく映画に出てくる?」


「ええ。六世紀まえまでは、あたしたちの傍にある海の向こう側にあったとされる国よ」


 ショートのことばに、ベクターは素直に知らなかった、とつぶやいた。

 未知の知識をまえにして、関心とうなずきをもって接している。


 知的なひとはいい、と。

 知識を他人より蓄えるだけで、ひとは賢く見える。

 友人が愛そうとアプローチしている女性ひとも、魅力的に感じられた。


「それで、そのコロンブスがなにか?」


「ああ……ごめんなさい。少し話がそれたかしら。つまりあたしが言いたいことは、彼が割ったたまごについてよ」


「……コロンブスについてじゃなくて?」


「ええ。なんでもない、たまごのことよ」


「いまからの話……以降にコロンブスの出演は?」


「彼はすでに出演終了クランクアップしたわ」


「……どうして?」


 これもまた、素直な疑問だった。

 なぜ彼女は関係のない“コロンブス”なんて大昔の人物を話題にしたのか。

 話のテーブルに載せるだけで、彼を用済みと追い払った。

 せめて彼のように、話題たまごをテーブルの上に立たせる程度はしても、いいものだろうに。


「ごめんなさいね。あなたが本当に記憶がないかを、少しでも確かめたかった」


 小さく手を合わせ、謝罪の手振ジェスチャをする彼女。

 首をかしげ、お茶目なウィンクなんてものを飛ばしてきた。


 ほんの少しだけ不快感を覚えかけていたベクターだったが、それもショートの素振りを見て、吹っ飛んでしまう。仕方ないと、だれにでもなく微笑んだ。


「それで、よくわかった?」


「ええ。あなたが少なくとも、一世紀以上まえの知識がないことは」


「ぼくの記憶は、本来なら二八年にも満たないはずなんだ。そんな昔のことなんて、知るわけがない」


「二八年?」

 ショートが唇を尖らせながら、

「それは、あなたの年齢? それとも願望?」


「希望……だよ。ぼくとガラムのトイレにいく頻度は同じぐらいなんだ。少なくとも、彼より年上でないことを祈ってる。

 ――それより、ナノマシンの話だったよね?」


「ああ、ごめんなさい。あたしったら、また」


 ショートの四度目の謝罪を聞きながら、ベクターは店内を見回した。

 一体ガラムはいつ帰ってくるのか。いつまで彼女との会話を楽しめばいいのか、知るためだ。


 ベクターの目に映る店内は、視線をそらしたくなるほど、混雑していた。いくら家庭用のものでは作れない味や香りだからといって、結局は同じ食用ナノマシンから作られている。それなのに、なぜあれだけ店内にひとがいるのだと、かれは頭を抱えた。


「じゃあ、あなたがナノマシンについて、なにを知っているかを、あたしに教えて?」


「……実のところ、よく知らない。使い方は知ってるけども、仕組みなんかは気にしたこともない。さっききみが、話していたとおりだよ。でも、どうしてそんなことを知りたがる?」


「ベクターさんが、ナノマシンの仕組みを理解して、ひとの記憶を読み取っているのか。それとも、知らないまま記憶をのぞいているのか。それが知りたかったの。

 あなたがしていることが、知識ありきの後天的なものなのか、それとも直感による先天的なものなのか」


「――“鶏が先か、たまごが先か”? それで、さっきコロンブスを絡めたたまごの話を?」


「よくつもりだったのだけれど、駄目だった?」


「ああ。できたのは目玉焼きだよ」

 ベクターは苦笑いを浮かべながら、

「それで? ぼくの答えに満足いった?」


「ええ、まあ。あなたがナノマシンについて無知なことが、よくわかった」


「無知なのは、いけないこと?」


「罪なことよ。なにも知らないままじゃあ、あなたは餓死がししちゃうもの」


「無知は罪、はまだわかる。でも、知ることが食事だとでも?」


「文字は食材よ」


 ショートは言った。香る潮風や広葉樹のように、穏やかな声だった。

 とげがない視線が、ベクターを見ていた。少なくとも彼女は、例えるとしても薔薇ばらではない。


「文字が、食材?」

 言って、かれは首をかしげ、

「視界に映る文章が、料理だとでも?」


「昔ながらの、牛や豚と言った方がいいわ。ひとは、情報を食べて生きている。

 情報は知識によって、知識は文章によって、文章は文字によって造られる。ベクターさんは、仔牛や子豚を見たことが?」


「映画の中でなら、何回か」


「文字は、家畜よ。ひとに飼われて生きている。

 文字をめて文章に、加工して知識に、調理されて情報りょうりとしてあたしたちのまえにやってくる」


「お皿の上に乗って?」


「ええ。いまで言えば、 ナノシアター の上ね」


「……ショットさんは、ぼくに食材を知るべきだと?」


「ショートでいいわ。あたしも、あなたを名前で呼んでる」


「ぼくには、 家族ファミリネーム がないだけなんだけども」

 ベクターは苦笑いを浮かべながら、

「わかったよ。ぼくも、名前で呼ばせてもらう。……よろしく、ショートさん」


「ええ、よろしくベクターさん。――それで、そうね。たしかに、あたしはあなたが食材について知るべきだと思ってる」


「それは、どうして?」


「昔のひとは、食べたものが自分の血肉になると信じてた」


「情報が、からだの一部になると?」


「ええ、そうよ。あたしたちは、情報データを食べて生きている。

 かつての考え方にならうなら、あなたはナノマシンを知ることによって、自分を知ることになる。情報を知るということは、自分自身を知ることよ」


「――きみは、ガラムにとって愛する女性ひとだが、ぼくにとっては先生のようだ」


「残念ながら、資格は持っていないけどね」


 それは――記憶を失ったベクターにとって、願ってもいないことだ。

 ナノマシンを知ることによって、自分が知れるというなら、拒む理由なんてない。

 かれは静かに、ショートからの授業に耳をかたむけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る