地下四階は、更に重苦しい空気が漂っていた。二階とはまた異質で、恨み辛みをふんだんに孕んだ粘着質な視線が、肌に突き刺さるような感覚だ。ここにいる全ての住人が、僕達の存在に気が付いている。そう思える程、張りつめた空気が、体に纏わりついてくる。

「雰囲気は異様ですが、ある意味ここの方が安全ですよ。異常な殺意や呪いの言葉に、精神を侵されない限りは・・・」

 九十九さんの黒い仮面が、恐怖心を煽ってくる。勿論本人は、そんな気はさらさらないのだろうけど、僕の些細な怯えが顔を出した感じがした。

「おい、時。顔色悪いぞ? ビビッてるな?」

 真君が、引きつった顔で、精一杯の虚勢を張っている。では、僕の服の裾をひっぱるのは、止めてくれないか。

「どうしますか? ここも見ておきますか? お止めになっても構いませんよ」

 九十九さんの甘い言葉に乗っかりそうになった時、あることをふと思い出した。

「いえ、行きましょう。夜叉丸の様子を見ておきたいです」

「分かりました。では、参りましょう」

 九十九さんの誘導で、暗い通路を歩く。安全だと分かっているけど、やはり気味が悪い。もし、この場が安全ではなかったら、玄常寺の・・・いや、歪屋の名折れだ。この四階だけは、他の階層とは、仕様が違うそうだ。物理的な強固さだけではなく、最強の結界が張ってあるそうだ。

「ここです。ご確認下さい」

 重々しい鉄扉の前で、九十九さんが丁寧にお辞儀をする。頷いた僕は、扉の上部窓を開いた。中の様子を覗いた瞬間に、息を飲んだ。

 首狩り夜叉丸が、牢屋の中央で真っ直ぐにこちらを見ていたのだ。床にまで届きそうな白髪、長い二本の腕をダラリと下げ、虚ろな瞳で立ち尽くしている。まるで、作り物のマネキンのようであった。

「まるで、抜け殻のようでしょう? 彼はここへ入ってからずっと、ああなのです。不可解です。霊体である彼の原動力は、まさに思念です。怨念とも言いますが。つまり想いの化身です。想いが無くなれば、姿形は消滅するはずなのですが」

 小窓の蓋を閉じ、九十九さんを振り返る。

「つまり、意思がないのに、そこに居続けている。そういうことですね?」

 九十九さんの黒い仮面が、小さく上下した。

「ねえ、時。僕にも見せて」

 服の裾を引っ張る真君を、抱っこして持ち上げると、彼は蓋を開けて中を覗いた。そして、小さく溜息を吐いて、もう片方の手で、深く被った帽子を上にずらした。ここからでは、真君の様子が見えないけど、所作から第三の目を開眼しているのだろう。もしかしたら、真君はずっと心に引っかかっていたのかもしれない。首狩り夜叉丸のことではなく、響介さんの頼みを無下にしてしまったことを。

「うえぇぇ! キモッ! 見るんじゃなかった」

 真君は、僕に抱えられながらジタバタしたので、そっと地面に下ろしてあげた。舌を出して、眉間に皺を寄せている。

「どうしたの? 真君。何が見えたの?」

「・・・髪の毛だよ」

「え?」

「体内に、髪の毛が張り巡ってるんだよ。趣味悪いね。だから、意思がないのに、消滅しないんだ。あいつの意思は、髪の毛で絡み取られてる。コーティングされてるって言った方が、分かり易いかな? 心を抑え込まれて、体を支配されてる感じだね」

 おぞましい現実に、言葉が出なかった。銀将君と一緒に、鏡々さんの鏡で見えた黒いものは、髪の毛だったのだ。しかし、現状、首狩り夜叉丸は、身動き一つせず、立ち尽くしている。ここまでは、その支配というものは、届かないのだろうか? 『髪の毛グルグル男』と同様に、首狩り夜叉丸も髪の毛でグルグル巻きにされていた。心を抑え込んで、体を支配するとは、どれほどまでに強力な術なんだ。とにかく、地上に戻ったら、真っ先に響介さんに報告しよう。真君のお陰で、貴重な情報が手に入った。

「真君、ありがとね」

「べ、別に、時にお礼言われる筋合いはないよ!」

 そっぽを向いた真君は、照れくさそうに、帽子を深々と被った。

「染宮殿、このことを私の方から、歪屋殿に報告しておきましょう。前例のない事態ですね。そのようなことが可能だとは・・・恐ろしい話です」

「はい、お願いします。と、どうやって? 引き返すのですか?」

「いいえ、と言うよりも、もう報告致しました。私の同胞からですけど」

 ああ、そうか。九十九さんは、便利な情報共有能力があるんだった。九十九さんが見聞きしたことを、その他の九十九君達に、伝達できるのだ。逆もまた然り。実に便利な能力で、羨ましい。

 四階層を見て回り、残すは最終の五階だ。

「最下層は、なかなかに貴重な品々が保管されています。通常であれば、立ち入り禁止なのですが、歪屋殿から許可を頂いておりますので、参りましょう。しかし、決して触れないように、お気をつけ下さいね。身の保証が出来かねます。そして、くれぐれも、私からはぐれないように」

 九十九さんの言葉に、生唾を飲み込み、頷いた。貴重な品の中には、呪われた物品等もありそうだ。興味本位で、触れるのは、止めておこう。僕は、背後を振り返り、真君を見た。すると、真君は、ニカリと白い歯を見せ、親指を立てた。

「実は、ここまで来るまでに、探してみたんだけど、それらしいものが、この下にあったんだ。きっと、あれが、例の物だと思う」

 やはり、忘れてなかったか。当然と言えば、当然だろう。僕は、ここまでの道程で、色々な事がありすぎて、地下探索の目的を忘れていた。本来の目的は、勿論見分を広める為だけど、裏目的とでも言うのか、真君の希望を叶える為だ。いや、本当の僕の目的は、『妖結晶など、ここには、ない』ということを実証することだ。真君は、落胆するだろう。でも、また一緒に、一歩を踏み出せば良いはずだ。

 最後の階段を下り、僕達一行は、最下層の五階に到着した。上層階とは違い、通路と呼んで良いのか分からない程の、広い空間が続いている。左右の壁も床も天井も、コンクリートの打ちっぱなしで、温度のない無機質な景観だ。ある意味では、お洒落とも取れなくはない。とにかく、見晴らしの良い一本道だ。しばらく歩いていると、大きな赤い扉が異彩を放っている。ゲームなら、特殊な鍵が必要そうだ。赤い扉の両脇に、九十九君が立っていた。二人の九十九君は、同時に頭を下げた。

「こちらが、貴重品管理庫です。歪屋殿は、物置小屋とおっしゃっておりますが」

 九十九さんが、扉の前に立ち、そっと触れた。すると、扉の奥からガコンという鈍い音が響いた。僕が物珍しそうに眺めていると、一つの疑問が浮かんだ。扉には、ドアノブが付いていないのだ。複雑な凹凸が施してある変わったデザインだ。

「九十九さん。この扉は、どうやって開くのですか?」

「試してみて下さい」

 九十九さんは、一歩横に動いて、僕に場所を譲ってくれた。小さな凹凸を指で摘まんで引いてみたが、かなりの重量があるのだろう、びくともしなかった。すると、九十九さんが、クスクスと笑い声を漏らした。

「失礼しました。意地悪をしてしまいましたね」

 九十九さんが、会釈をして、僕と場所を交代した。小さな手を扉に押し当てた九十九さんが、扉を横へ動かした。小さな凹凸に、指を引っかけている。

「この扉は、スライド式なのです」

 なるほど、そういうことか。九十九さんも人が悪い。九十九さんが先に入り、僕達は後に続いた。物置の中は、とても広々としていて、体育館くらいだろうか。天井まである背の高い棚が、ずらりと 並んでいる。

「うわー凄いですね」

「そうですね。ここには、玄常寺の何百年という歴史が詰まっています。かなり貴重な品々です。中には、数億はくだらない歴史的価値のある品物も存在します。これらの貴重品の管理・保存も我々の大切な仕事なのです」

「数億・・・」

 開いた口が塞がらなかった。年代物の壺や刀から、見た事もないようなものまで、ところ狭しと陳列されている。

「あ、そうだ。九十九さん?」

「はい? 何でしょう?」

 前を歩いている九十九さんが、立ち止まって振り返った。

「そう言えば、入り口の扉って、どうやって開けたんですか? 鍵を持っているようには、見えませんでしたけど、鍵はかかっていないんですか?」

 入り口の大きな扉に、九十九さんは手を触れただけだ。

「いいえ、厳重に施錠されておりますよ。ただ鍵は、少々変わっております」

 僕が首を傾けると、九十九さんが右腕を伸ばして、手の平を見せた。九十九さんの手の平に、筆で描いたような赤い〇が記してあった。

「え? それは、何ですか?」

「これは、歪屋殿の血液です。そこの扉や二階と四階の扉は、歪屋殿の血液でしか開くことができません。つまり、解錠は、歪屋殿しかできないのです。今回のように、歪屋殿が同行されない時は、このように血液を頂き、それが許可証の代わりとなります」

「へえ、そうなんですか。じゃあ、僕の血でも開けれるんですか? 一応、身内なんで、血は繋がっているんですけど」

 僕が自分の手の平を眺めながら尋ねると、九十九さんは顔を左右に振った。

「いいえ、染宮殿の血液では、開きません。確かにお二人は、血縁関係にありますが、現在では違います」

「それは、どういうことですか?」

 九十九さんは、暫く僕を見つめた後、分かり易く肩を落とし、溜息をついた。

「・・・あの方は、本当に、のんびりした方ですね。まあ、それも歪屋殿の親心なのかもしれませんね。確かに、まだここに来て数か月、状況の変化は心身ともに負荷がかかりますから、少しずつ慣れさせているのかもしれません。きっと、染宮殿のことを慮っておいでなのでしょう」

 九十九さんは、少し俯いて、何やら考え事をしているようだ。そして、ゆっくりと顔を上げた。

「この話の続きは、また今度に致しましょう。焦る事は、ありませんよ」

 クルリと踵を返した九十九さんは、スタスタと先を歩いて行った。どうにも釈然としなかったけれど、追いかけて問い詰める気にはなれなかった。僕の事を慮って、などと言われてしまったら尚更だ。確かに、分からないことだらけの現状で、あれやこれやと詰め込まれてしまったら、パンクしそうだ。色々なことがあり過ぎて、脳味噌はともかく、心が疲弊してしまいそうだ。

 元町先輩のこと、祈子さんのこと、真君のこと、古杉さんのことがあって、髪の毛グルグル男や首狩り夜叉丸など、ここ一か月くらいで色々あった。劇的に日常が変化した。人々の悲しみや苦しみに触れて、負の感情が満ちているのかもしれない。九十九さんの言うように、焦りは禁物だ。

 深呼吸をして、急く気持ちに蓋をする。九十九さんの後ろに続いて、周囲を眺めている。すると、九十九さんが突然立ち止まった。

「おや? 鳳凰寺殿は、どちらに?」


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