九
三階に辿り着いたけど、今の所、ただ一つの奇妙な出来事以外は、平穏な時間を過ごしていた。これを平穏と呼んで良いのかは、甚だ疑問であるが。色々な感覚が、麻痺しているのかもしれない。
三階も一階のように、広い自由空間となっていた。様々な『もののけ』が、気ままに闊歩している。大きいのやら、小さいのやら、薄く透けているのやら、選り取り見取りだ。もっと薄暗くて、湿気を多く含んだ不快な場所を想像していたけど、二階よりはずっとましだ。
すれ違った『もののけ』が、僕達の後ろをついてきている以外は。
そっと、背後を振り返ると、長い列になっており、大名行列のようだ。
「あの、九十九さん? これはいったい?」
「お気になさらず。ただ物珍しいだけです。突然、襲って来たりはしないでしょう・・・たぶん」
「最後に小さく『たぶん』って、言いましたよね?」
ハハハ、と笑いながら、九十九さんは先を進む。物珍しいのは、こちらも同じだった。ここには、あまり見たことがない『もののけ』が多いのだ。
「あの、九十九さん? ここにいる『もののけ』達は、罪を犯した訳ではないんですよね? 珍しい種族と言いますか、あまり見たことがないように思います」
「ええ、その通りです。罪を犯した訳ではありません。人間社会で上手く馴染めない者や困っていた者、人間に迫害され追いやられた者など様々です。むしろ、被害者とでも呼ぶべきでしょうか? 自らここへ来た者、『もののけもの』の方々が、お連れした者もいますね」
被害者。姿形や思想が、一般的ではないという理由で、迫害される世界。僕自身が住む世界の実情を目の当たりに、胸の奥が重苦しくなった。九十九さんの小さな背中を眺めていると、ふと違和感を覚えた。道からそれて、壁へと向かっているのだ。僕が声をかけようとすると、九十九さんは壁の前で立ち止まり、天井を眺めるように顔を上げた。僕も九十九さんの視線を追うように顔を上げ、思わずギョッとした。
「ぬらり和尚。ご無沙汰しております」
「おおこれはこれは、九十九頭殿。何やら、久方振りに、天昇なさったとか」
「ええ、ざっと百五十年振りです。前頭は、こちらにおられる染宮殿のお陰で、大層幸せそうでした」
九十九さんが、こちらを振り返り、手の平を上にして僕を示した。それにしても、このでかい『もののけ』は何者なのだろうか? ぬらり和尚と言っていたが、彼の顔を見上げていると、首が痛くなってきた。胡坐をかいて、坊主頭が天井に当たっている。なるほど、九十九さんの事を頭と呼んでいるのか。
「ほうほう、この方が新しい『染宮』殿か。なるほどなるほど、
腕組みしていた巨大な腕を、空中にかざすぬらり和尚。周囲が暗くなり、背後を振り返ると、埋め尽くしていた『もののけ』の群れが、ちりじりに散っていった。
「気を悪くせんでくれ、清雲殿の息子。皆、清雲殿の匂いに集まったのだ。あの方は、分け隔てなく接してくれていてな、皆好いておったのだ」
父親と同じ匂いがするのか。僕には、全く分からないけど。それでも、多くの『もののけ』に愛されていた父親に、無性に嬉しくなった。
「初めまして、ぬらり和尚。僕は、染宮時と申します」
「ああ、知っておるよ。そなたが生まれた時は、それはそれは、嬉しそうに清雲殿が話してくれたものだ。会えて嬉しいよ。清雲殿のように、皆に良くしてやっておくれ」
僕は、返事をし、大きなぬらり和尚を見上げた。
「それから、そっちの小さな『もののけ』。そなたは、まずは自分を受け入れることだ。それから、周囲を良く見渡してみなさい。立派な『目』があるのだから」
ぬらり和尚が、僕を見つめていた。いや、正確には、僕の服の裾を掴んで、背後に隠れている真君を見ている。すると、真君がひょこっと顔を出した。
「煩い! ハゲ!」
叫んだ真君が、逃げるように走り出した。
「ちょっと、真君! すいません、ぬらり和尚!」
「ガハハ! 構わん構わん! 元気があって宜しい。あの娘の精神は、とても不安定だ。傍で支えてやってくれ」
「はい、分かりました! では、失礼します!」
お辞儀をして、真君を追いかける。すぐ後ろでは、九十九さんもついてきていた。
「九十九さん、ぬらり和尚にはお見通しなんですね?」
「ええ、あの方は、ここの長でもありますからね。『もののけ』のことは、非常に良く理解されております。特に『自分の居場所』を模索している『もののけ』のことを心配なさっておいでです」
自分の居場所か。真君は、まだ玄常寺にあまり馴染めていない。それは、きっと真君が自ら作り出してしまっている檻が原因なのだろう。自分で檻を作り出し、自ら内側から鍵をかけてしまっている感じだ。最近では、鍵を開けてくれたようにも感じていたのだけど、容易にはいかない問題なのだろう。
真君を追いかけていると、階段へと辿り着いた。階下へと向かう階段の一段下で、真君は腰を下ろしていた。九十九君が、心配そうに真君の様子を伺っていた。
「あ! やっと来た! おせえよ! さっさと下へ行こうぜ!」
何食わぬ顔で立ち上がった真君が、階段を下っていく。僕と九十九さんは、互いに顔を見合わせ、苦笑いを浮かべ後に続いた。
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