一階とは違い、狭い廊下の左右の壁に、扉が設置されている。一階のようなお洒落な扉ではなく、無機質で重厚感のある鉄の扉だ。扉の上下に小さな小窓が設置されている。上部で中の様子を伺い、下部で食事などを提供するのだろう。どこからかは、判然としないけれど、至る所から奇声や何かを叩く音が聞こえている。一番鈍い音が、鉄の扉を内側から殴りつけているようだ。九十九さんが言うように、雰囲気というか空気感がまるで別物だ。異質中の異質だ。シャツ一枚では、肌寒いくらいだ。

「先日、お見えになった古杉殿は、ここに収容されております」

「そうなんですか・・・あ、あの! もしかして、元町先輩もここにいるんですか?」

「ええ、そうですよ。お目覚めか分かりませんが、お会いになられますか?」

 あっさりと、当然のように九十九さんに返され、当たり前だけど、僕との温度差を感じた。こんなところに収容されているとは、不憫でならない。しかし、それも仕方がないことだ。僕の知り合いだからといって、恩恵は受けられない。元町先輩は、あの時、確かに常軌を逸していた。しかし、事実として、雫さんに切りかかり、僕に軽傷を負わせ、前九十九さんを殺してしまったのだから。いや、ある意味、僕の知り合いという恩恵は受けているのかもしれない。『あの歪屋』に、刃を向けたのだから、その場で処刑されていても不思議ではない。あの場には、御三家である銀将君もいたのだから。きっと、あの場で、響介さんや銀将君が、元町先輩を殺害していたとしても、お咎めなしだろう。元町先輩が生きているということが、配慮であり優遇なのかもしれない。

「こちらになります」

 九十九さんが、扉の前に立ち、一歩横にずれてくれた。僕は、扉の前に立ち、上部の小窓を開き、中の様子を伺った。簡易的なベッドとトイレが設置されている、質素な部屋であった。ベッドの反対側の天井に、小さな明かりが灯っている。部屋の中は薄暗いが、見えない程ではない。ベッドで眠っている元町先輩の顔は見えないけど、管のようなものが腕から伸びていた。点滴を打っているようだ。

「ねえ、時? 僕にも見せて」

 シャツの端を下に引かれて、視線を向けると、真君が見上げていた。真君との立ち位置を入れ替え、彼の脇を抱えて持ち上げた。

「陽衣子? 起きてる? 僕は、鳳凰寺真って言うんだ。雫の友達だよ。ねえ、陽衣子?」

 真君は、声を押さえて、部屋の中に話しかける。真君は、顔をこちらに向けて、小さく振った。真君を地面に下ろし、九十九さんを見た。

「元町先輩は、ずっと眠っているんですか?」

「ええ、あの一件から、一度も目覚めておりません。心身ともに、疲弊しておいでのようです。しかし、命に別状はないようなので、気長に待ちましょう」

 九十九さんは、歩き出した。僕は、扉にそっと触れる。

「元町先輩。また来ます。早く元気になって下さいね」

 真君の帽子に触れ、彼を促すように、九十九さんの後を追った。代り映えのない薄暗い廊下が続いている。同じ場所をグルグル回っている、奇妙な錯覚に陥ってきた。たまに、九十九君とすれ違い、会釈をされるくらいだ。

「匂うなあ、匂うなあ。懐かしい匂いだ。とても、良い匂いだ」

 突然、扉の向こうから、声が聞こえた。陰鬱な雰囲気が漂う男の声だ。

「さあ、お気になさらず、先を急ぎましょう」

 九十九さんが立ち止まり、振り返っている。

「まあ、そう言うなよお、つーくーもー。少しくらい良いじゃねえか? 気が滅入っちまうぜ。なあ? そこにいるんだろ? 声を聴かせてくれよ」

 薄気味悪い、低い男の声が、地を這うように伝わってくる。扉の向こうにいる男は、何を言っているのだろうか?

「あなたは、自分の立場がお分かりか?」

「冷たいことを言うなよお。少しくらい、良いだろ? なあ? そこにいるのは、分かってるんだ。声を聴かせてくれよ。それだけで、イケそうだ。こんなとこに閉じ込められて、溜まってしかたねえんだよお」

「さあ、染宮殿、鳳凰寺殿、参りましょう」

 九十九さんが、僕と真君の服を掴んで先を進む。暫く進んだ所で、九十九さんは、手を放し深々とお辞儀をした。

「申し訳ございませんでした。さて、気を取り直して、下へと向かいましょう」

「さっきのは、いったい何だったの?」

「ここには、様々な負適合者がおりますので、あまり関わりになられない方が、宜しいですね」

 先を行く九十九さんであるが、真君は背後が気になっている様子であった。僕は、駆け足で九十九さんの隣に立ち、耳打ちをした。

「さっきのは、何だったんですか?」

「先ほどの方が、例の警視総監殿の御子息です。女児趣向とでも、言いましょうか? 様々な問題行動で、ここに収監されております。きっと、鳳凰寺殿に、反応されたのでしょう」

 九十九さんが、背後の真君を気にして、ヒソヒソ声を発した。

「マジですか?」

「マジです」

 仮面を黒光りさせながら、九十九さんは頷いた。真君には、内緒にしておこう。真君の性格上、怒り心頭で扉を蹴飛ばしに行くかもしれない。『僕は、男だ!』と、叫び声を上げながら。

「ねえ、時?」

 突然、背後から呼ばれ、分かり易く肩が跳ね上がった。すると、真君は、ケラケラと笑い声を上げる。

「何、ビビってんだよ?」

 とにかく、僕は笑って誤魔化した。フッと真君の顔から笑みが消え、僕の服を掴んできた。

「陽衣子は、目を覚ますよね? 雫が、僕と陽衣子は、もう友達だって言ってくれたけど、話したこともないし、顔も知らないなんて、友達だって言えないよね?」

「必ず、目を覚ますよ。だから、それから、沢山遊んで沢山話をしよう。元町先輩が目を覚ましたら、今度は四人で遊園地に行こうね。きっと、楽しいよ」

 真君の帽子に手を置くと、真っ白い歯を見せて、元気良く返事をした。周囲からの奇声を聞きながら、何一つ変化のない薄暗い通路を歩いていく。この通路が、無限に続くのではないかと、錯覚してしまう程、薄気味悪く恐怖心を駆り立てられる。真君も先ほどから、僕の服を掴んだままだ。正直に言うと、僕も九十九さんに掴まりたいのだが、ここは意地の見せ所だ。

「あ! そう言えば、古杉さんは、どこにいるんですか? できたら、古杉さんの様子も見たいんですけど」

「かしこまりました。彼は、もう少し先にいます」

 暫く、進んだ先で、九十九さんは立ち止まった。

「こちらになります」

「あの、九十九さん? 九十九さんは、誰がどこにいるのか、全て把握しているんですか?」

「ええ、もちろんですよ」

 あっさり言われた。九十九さんに教えてもらった扉の前に立ち、上部の小窓を開いた。すると、古杉さんは、ベッドにはおらず、部屋の隅で壁にもたれて座っていた。白いシーツを頭から被っている。暗い環境に目が慣れてきたのか、意外とはっきり部屋の中が見渡せた。白いシーツが反射板のようになり、古杉さんの顔をぽっかりと浮かび上がらせている。古杉さんの顔には、絆創膏やガーゼが貼られていた。上部の小窓の蓋を持ち上げたまま、九十九さんへと振り返った。

「あの、あれから結構時間が経ちましたけど、古杉さんの怪我の治りが遅いですね?」

「あれは、新たに出来た傷ですよ」

「え? どういうことですか? また、暴れたんですか?」

「半分半分と言ったところでしょうか? 半分は古杉殿が暴れた時に、神槍殿が制圧した時に出来た傷です。もう半分は、神槍殿から拷問を受けた時の傷です」

 拷問。その凶悪な響きに、背筋が寒くなった。一連の事件での、取り調べみたいなことが、行われたのだろう。古杉さんから情報を引き出す為に、体に聞いてみたのかもしれない。僕は、もう一度中を覗き込んで、静かに蓋を閉めた。古杉さんは、無関係な一般人を受傷させた。同情の余地は、ないのかもしれない。それでもやはり、あまり気持ちの良いものではない。

「そういうことって、結構あるものなんですか?」

「そういうこととは?」

「あの、その、拷問とか?」

「無いとは、言えませんね。勿論、個人差があります。歪屋殿は、お嫌いのようですが、神槍殿は非常に生き生きとされていましたね。『もののけもの』の世界では、法律はありません。むしろ、ルールを決めるのは、御三家の方々です。生殺与奪の権利をお持ちになっております。しかし、同時にあの方々も常に、命の危険に晒されておいでです」

 分かってはいたけれど・・・いや、分かったつもりになっていたけれど、想像以上に殺伐とした世界のようだ。

「神槍さんって、怖い人ですね」

「そうですね。あの方は、特殊な方ですから。神槍家は、本来非暴力の一族なのですが、あの方は神槍家の麒麟児と呼ばれております」

「非暴力? それは、イメージとかけ離れていますね」

「ええ、神槍家の本質は、『対話』ですからね。突然変異の異物だと、神槍家の当主である神槍命殿が、嘆いておられました」

 麒麟児で、突然変異の異物。そんな人とも、これから関わっていかなければならないと思うと、気が滅入ってくる。

 早くこの薄気味悪い二階を通り過ぎたいのだが、体が気怠く感じ足取りが重い。平然と歩き続ける九十九さんの背中が、いつもより大きく見えた。グルリと一周してきたようで、ようやく階段に辿り着いた。

「さて、ここまでが、人間の居住区です。これから向かう三階・四階は『もののけ』の居住区です。恐らく問題無いとは思いますが、念の為お気を付け下さい」

「と、言いますと?」

「ここからは、『もののけ』の世界です。一応、歪屋の加護はありますが、何せ言葉が通じないものや、独自の価値観がある者もおりますゆへ。念の為に」

「あれ? じゃあ、古杉さんは、どうして二階にいるんですか?」

 素朴な疑問が湧いた。本来なら、狼男である古杉さんは、四階の『もののけ』の独居房にいるはずではないのだろうか? すると、九十九さんは、分かり易く、わざとらしく、溜息を吐いた。

「・・・神槍盃殿のご意向です」

「どういうことですか? そう言えば、古杉さんは神槍預かりだと言っていましたよね? そのことが何か関係あるんですか」

 九十九さんは、もう一度溜息を吐いて、ゆっくりと黒い仮面を左右に振った。

「神槍殿の我儘です。四階まで行くのが面倒臭いと・・・」

「え? そういうのもアリなんですか?」

「きっと、歪屋殿も神槍殿を説得するのが、面倒であったと・・・歪屋殿が、『彼女を一人で行かせたのは失敗だった』と、おっしゃっていました」

 そう言えば、古杉さんをここへと連れて来る際、神槍さんは一人だった。銀将君が同行する予定が、祈子さんのことで行けなくなって・・・というより、神槍さんが一人で充分だと言っていた。あの時は、祈子さんのことを慮っていたように見えたけど、本質はそういうことなのかもしれない。色々話を聞いていると、神槍さんの確信犯的な行動なのかもしれない。御三家である神槍さんが、ここに来たことがないはずないし、ルールを知らないはずがないのだから。

「・・・麒麟児で、突然変異の異物か・・・」

 より一層、重い気持ちで、僕達は階段を下っていく。

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