「それでは、参りましょうか?」

 夕飯と片付けを終えると、九十九さんが手を拭きながら、僕を見上げた。

「よーし! 待ってましたあ!」

 真君は、飛び跳ねて、喜びを表現していた。そんな姿を眺めている九十九さんが、クスクスと笑い声を漏らした。

「あれ? 染宮殿は、浮かない顔してますね?」

「え? そうですか? なんだか、緊張しちゃって」

 僕は、誤魔化すように、顔をゴシゴシ拭いた。何に対して、緊張しているのか、自分でも分からない。

「特別、危険な場所でもないですから、ご安心下さい」

 九十九さんは、歩き出し、僕達はその後ろについて行く。向かった先は、大広間だ。襖を開け、深々と頭を下げる。

「歪屋殿、言って参ります」

「ああ、宜しく頼んだよ。それと、時? ちょっと」

 横になって煙管をふかしている響介さんが、僕に手招きをした。僕が駆け寄ると、響介さんは、『よっこいしょ』と、体を起こして座った。

「時には、まだまだ色々と学ぶべきことが、沢山あるからねえ。しっかり、見ておいで」

「はい、分かりました」

「それから、時は、これから様々なことを経験するだろう。辛いこと苦しいこと怖いこと・・・でも、潰れちゃいけないよ。全てを糧にして、成長し、乗り越えなさいねえ。目を背けたり、逃げ出したりすることは、悪いことじゃないよお」

「? はい、分かりました」

 僕は、首を傾げた。実のところ、良く意味が分かっていなかった。何故、このタイミングで、響介さんはこんなことを言うのだろう? やはり地下には、危険なことがあるのだろうか?

「まあ、受け止めるだけが重要ではないってことさ。臨機応変に対応しなさい。僕みたいに柔軟に生きることは、実は大切なことなんだよお」

 珍しく、響介さんの前に、お酒がない。違和感を覚えながらも、曖昧に返事をし、再び横になる響介さんを見ながら、大広間を後にした。いつも響介さんに言われていた『時は、固すぎる』という言葉が、脳裏に過った。固いものは、頑丈なイメージがあるけど、強度を上回る衝撃を受けると、壊れてしまう。時には、柔軟に回避し、受け流すことも大切だと言うことだろう。頭では、分かったつもりになれるけど、なかなかに難しそうだ。

 外の様子を伺いながら、ゆっくりと玄関扉を横に開いた。縦長の細い隙間から、外の下方を見る。陽が沈んだ暗い景観に、琥珀は横たわっていなかった。僕は、ホッと胸を撫で下ろし、外に出た。飛び石を踏んで、木製の門扉を潜ると、九十九さんと真君が到着を待ってくれていた。

「お、やっと来た。さ、行こ行こ!」

 真君が、笑みを浮かべ、手を上げた。九十九さんが小さく頭を下げ、歩いていく。歪屋の屋敷をグルリと取り囲んでいる木製の目隠しフェンスに沿って歩いていく。丁度、歪屋家の玄関の裏側に当たる位置に辿り着くと、屋敷から離れるように進んでいく。これまでは土の地面で、非常に歩きにくかった。しかし、少し歩くと小さな鳥居があり、そこからは石畳になり幾分歩きやすくなった。『あれ?』と首を傾げる。この先には、小さなお社がある。お参りをしてから、地下へ行くのだろうか。この場所は、当然、何度も訪れているけれど、地下へと続く入り口なんかなかったはずだ。前方を歩く、九十九さんの小さな背中を眺めながら、後に続く。

 小さなお社の前に辿り着いた。小さなお社には、上に小さな鐘があり、下には小さな賽銭箱がある。そして、お社の中には、何もなかったはずだ。九十九さんは、手を合わせゆっくりとお辞儀をした。僕と真君は、互いに見合ってから、同じように頭を下げた。

「では、参りましょう」

 九十九さんが一度振り返って、僕達を見ると、お社の扉を左右に開いた。

「え? どうなってるんですか?」

 小さなお社の中には、大きな松明が二本立っており、それぞれの松明の下に、九十九君が立っていた。そして、左右の松明の間には、下へと続く木製の階段が存在していた。

「歪屋殿から許可された者が扉を開くと、地下へと続く階段が現れる仕組みになっております。近々、染宮殿にも許可が下りるのではないでしょうか?」

「許可制になっているんですか? 許可が下りているのは、他には誰がいるんですか? 御三家の銀将君とかですか?」

「いいえ、例え御三家の方であっても、自由には入れません。現在、許可を受けているのは、私どもと、琥珀殿です」

「え? 琥珀? どうして犬が?」

「やはりご存じありませんでしたか? あの方は、我々に次ぐ古株なのですよ? つまり『もののけ』です。この玄常寺の御意見番とでも申しましょうか」

 そうだったのか。御意見番って、とても偉そうな響きだ。犬の癖に・・・とは、口に出さない。

「あの・・・僕、そんな偉い方に、嫌われているんですが・・・大丈夫なんでしょうか?」

「ハハハ! 大丈夫ですよ? 別に嫌ってなど、おりません。少々、頼りなく感じておられるかもしれませんけれど。一種の通過儀礼のようなものなので、お気になさらず。染宮殿の御父上が、ここに来られた時なんて、よく追い掛け回されていましたから、それに比べれば幾分マシってものでしょ?」

 お父さんは、追いかけられていたのか・・・確かに、僕は威嚇されるくらいなので、マシと言えばマシだ。

「ねえ、ねえ? 九十九? 僕も許可下りるかな?」

「それは難しいかもしれません。もしも、鳳凰寺殿が、数百年仕えておいでになるのなら、可能性はあるかもしれませんね?」

「す、数百年?」

 真君は、自身の指を折り曲げて、何やら数えている。何を計算しているのか分からないけど、たぶん千手観音様程の手が必要になるだろう。

 九十九さんが、話しながら促し、僕達は木製の階段を下っていく。僕達三人が横並びでも十分通れるほどの、幅広な階段だ。各所に蝋燭が灯っており、比較的に明るい。年季を感じさせる階段であり、歩く度に木が軋む音が響く。音と音がぶつかり合い、反響して膨れ上がっている感じであった。三か所の踊り場を折れ曲がると、一層明るいフロアへと辿り着いた。

「ここが、一階でございます。一階は、比較的軽度な人間が、お住みになられておいでです」

 一階を見渡して、想像とはまるで違っており、非常に驚いた。牢屋というイメージがあったので、剥き出しの岩肌に囲まれ、大きく切り取ったような窪みに、鉄格子が埋め込まれているものだと思っていた。実際は、天井が高く、非常に明るい。天井にLEDライトが設置してあるそうだ。何より広いスペースに、各々が自由に過ごしている。飲食店まであり、小さなショッピングモールのようであった。

「驚いたでしょう? 先程も申しましたが、ここは軽度な方々が住まわれている為、自由度が高いのです。あちらに扉が並んでいるでしょ? そこが、各々の個室となっております。寝食も自由なのです。ある意味、小さな町のようになっております」

 至る所に、玄関扉が備わっていて、そこから人が出入りしている。見えるだけでも、五十人程の人がいる。いったい、どれほどの数の人間がいるのやら、見当もつかない。僕は、九十九さんに尋ねた。

「そうですね。ざっと、千人程でしょうか? こちら側は、男性用の居住空間で、女性側は反対側になります。軽度と言いましたが、こちらには罪を犯した方ばかりが住んでいる訳では、ありません」

「そうなんですか?」

「ええ、例えば『もののけ』の被害に会われて、身寄りがなくなった方や、霊感が異常に強くて、人間社会では日常生活が困難になった方など、事情は様々です」

「霊感が異常に強いと言うと?」

「簡単に言いますと、人間と霊が同じように見えるのです。霊にも頼られますしね。眠る事も困難でしょうし、車の運転などできません。霊に話しかけられ対応していると、人間からは独り言を言っている頭がおかしな奴だと思われます。なかなかに、日常生活すら大変でしょうね」

 その気持ちは、凄く良く分かる。僕も、経験がある。僕が、日常で身に着けた処世術は、無視することであった。確かに、僕も子供の頃、自転車に乗ることを禁じられていた。ここにいる人が、まるで他人事のようには、思えなかった。

「あ、九十九さん? お久しぶりです! ねえ、ちょっと! 九十九さんだよ?」

「え? 九十九さん?」

 突然、女性が話しかけてきて、背後にいた男性を手招きしている。

「あ、これはこれは、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」

 それから、九十九さんと男性と女性の三人で、世間話を始めた。僕は、その様子を茫然と眺めている。ここは、男性用の居住区ではないのだろうか?

「ああ、そうだ、そうだ。こちらが、新しく入られた、染宮時殿です」

 突然、九十九さんが振り返り、僕を二人に紹介した。僕は、二人にお辞儀をする。

「え? 染宮って、もしかして、染宮さんの息子さん?」

「ええ、そうですよ!」

 男性が九十九さんに尋ねると、男性が目を輝かせて僕に歩み寄ってきた。そして、僕の手を取って、握手をする。

「いやあ、嬉しいなあ! 話には聞いていたけれど、会えて嬉しいよ! 僕はねえ、染宮さんに助けてもらって、ここに来たんだよ! それで、染宮さん・・・君のお父さんは、もう元気になったの? 体を悪くして、引退されたって聞いた時は、気が気じゃなかったよ!」

「ええ、もう退院して、日常生活を送れる程には、回復しています」

「そうか! それは、良かった! 本当に良かった!」

 男性は、涙ぐみながら、喜びを僕の手に伝えてきた。その温かく、力強く握られた手が、とても嬉しかった。

「そうだ。九十九さん。ちょっと、恥ずかしいんだけど、彼女妊娠したんだよ」

「おお、それはそれは! おめでとうございます!」

 男性は嬉しそうに、隣に寄り添う女性の腹部を撫でた。その後も談笑をし、最後にもう一度僕と握手をして、二人は去って行った。

「あの九十九さん? 妊娠って、大丈夫なんですか?」

「? 勿論、問題ありませんよ。お気づきの通り、こちら側に女性もちらほら、見かけるでしょ? あくまでも区画は、個室ということです。ここは、小さな町なのです。それぞれが、自由に生きております。恋愛も結婚も自由です。仕事をしている方もおられます。勿論、出産も。地上の暮らしよりも快適だと感じる方が、大勢おられます。希望があれば、外出の許可も出ますよ。しかし、ここに来て、地上に戻りたいと、おっしゃる方は、いませんね。それはそれで、考え物です。人間社会の閉塞感を感じざるを得ません」

 異物や異端者を爪弾きにする人間社会だ。

「そうなんですか。本当に、小さな町なんですね?」

「ええ、ここだけの話、ここでの生活者は、非課税なのです。特にフリーランスで働かれている方々には、非常に好評です。内緒ですよ」

 ああ、確か、宗教法人は、非課税だったような気がする。それとも、『歪屋の名の下に』みたいな特権なのだろうか。きっと、後の方が正解だろう。彼等を受け入れない社会に、税金を払う義理はないという事なのだろう。また一つ、歪屋の強大な力を見た気がした。

 地下一階は、安全と安心が保証された快適空間のようだ。人間社会で上手くいかず、ある意味ここに逃げてきた人々。しかし、ここで出会い、恋をして、結婚し、出産する。そして、死ぬまでここで、暮らすのだろう。逃げることは、決して悪くない。逃げた先で幸福を掴めば、何も問題ないのだ。

 僕と真君は、九十九さんの後ろをついて回り、様々な場所や人を紹介してもらった。真君の様子を伺うと、真新しい物を見た好奇心で、思いのほか楽しそうにしてくれていて、助かった。彼の強い想いが、暴走しないかヒヤヒヤしていた。

「と、こんなところでしょうか? それでは、下へ参りましょう」

 九十九さんの先導で、先ほどの階段へと戻った。

「ねえ? エレベーター無いのお?」

「おや、もうお疲れになられましたか? 残念ながら、エレベーターはございません。基本的に、上下を行き来するのは、我々だけですので」

 真君は、唇を尖らせて、ブーイングを飛ばしている。両手を上げ、親指を下向きに、バッドサインを出していた。こらこら、と僕は慌てて、真君の腕を下げさせた。

「階段も一か所だけなんですか?」

「ええ、そうです。有事の際、逃げ道が一か所の方が、都合が良いですからね?」

 九十九さんが言う、有事とは、受刑者の脱走とか暴徒化した際の鎮圧のことだろう。災害などの避難経路よりも、逃亡の防止を優先しているようだ。ここの住人の安全よりも、逃亡を警戒している。それが、歪屋のお役目なのだろう。

「さて、ここが二階です。こちらは、先ほどまでとは、雰囲気が違うでしょう? この地下牢の快適な空間は、先ほどまでで終わりです。ここからが、本領発揮です」

 階段を下って到達した先は、一階とは別世界だ。点在する蝋燭が、不気味さを演出している。ユラユラ揺れる蝋燭の火に照らされて、九十九さんの仮面が怪しく黒光りしている。

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