九
結局のところ、吊るされていた『髪の毛グルグル男』を発見することはできなかった。玄常寺に連行してきた『首狩り夜叉丸』にしたって、昨夜の彼とは、まるで別人のようだ。昨夜は、異常なほどの殺意を剥き出しにして、僕と鍵助さんを追いかけてきた。抵抗することもなく、抜け殻のように、項垂れていた。現在もそうだ。この歪屋家の大広間で横たわっている夜叉丸は、本当にあの夜叉丸なのだろうか? かけ離れたギャップで、同一人物とは思えないほどだ。
僕と銀将君と鍵助さんの三人で、『首狩り夜叉丸』の討伐に出向き、ほんの数時間で帰宅した。この大広間には、関係者が全員集合していた。雫さんも残っており、鳳凰寺真君も顔を出している。不思議なことに、この初対面の二人が、平然と会話をしていた。年齢も近い二人だし、同性同士で話しやすいのだろう。真君は自身は、男だと言い張っているけれど、それでも多少は接しやすいのだろう。僕に放つような暴言は、遠慮してもらいたいものだ。関係者と言っても、元町先輩は、まだ休んでいる。彼女が目を覚ました時には、全てを解決できていたらと切に願う。元町先輩の奇行も問題のタネなので、まだまだ根は深そうだ。
「鍵助。こいつ見て、どう思う?」
「どうと言われましてもなあ? 彼奴は、ワイ等が遭遇した時とは、まるで別人やさかいなあ? さっぱり、分かりまへんわ」
やはり、鍵助さんも僕と同意見のようだ。折角、確保してもこの状態では、話は進まない。
「鏡々。念の為、頼む」
「分かりました」
銀将君に促され、鏡々さんが、畳を擦るように歩いていく。鏡々さんは、夜叉丸の傍で立ち止まると、スルスルと帯を解き始めた。僕は、咄嗟に目を逸らした。しかし、その場にいる皆が、彼女を真剣な眼差しで見つめている。僕は、気づかれないように、小さく咳払いをして、恥ずかしさを隠し、鏡々さんを見た。鏡々さんは、解いた帯を畳に落とすと、その場で正座する。そして、着物の襟を両手で掴み、左右に引っ張った。僕は、反射的に手で顔を覆う。指の隙間から、恐る恐る視線を向けると、息を飲んで凝視していた。
鏡々さんの大きな胸は、上手く隠れているけど、上半身が露わになっていた。真っ白で艶やかな肌をしている―――が、そんなことは、特筆するべきことではない。
胸の谷間の下部からへそにかけて、細長い鏡が付いていたのだ。
鏡々さんは、やや前屈みになって、鏡を夜叉丸に向けた。鏡々さんの鏡が、怪しく光っている。すると、銀将君が、夜叉丸を挟んで鏡々さんと向かい合い、鏡を覗き込んだ。僕は、茫然とその光景を眺めている。
「鏡々はねえ、鏡の付喪神でねえ、『もののけ』の本来の姿を映し出すんだよ。人に化けた『もののけ』にも効果てきめんだ。妖(よう)面鏡(めんきょう)とも言うねえ。古い書物などでは、雲外鏡とも言われているけれどねえ」
いつの間にか、響介さんが僕の隣にいて、背中を押した。
「時も見させてもらうといい。なかなか見られるものでは、ないからねえ」
僕は頷いて、響介さんに言われるがまま、銀将君の隣に座った。頭を下げ、鏡々さんの腹部を覗き込んだ。鏡には、横たわる夜叉丸が映り込んでいる。僕が食い入るように見つめていると、突然、艶めかしい声が漏れた。
「もう、時さんったら、そんなに見つめられると、ドキドキしてしまいますわ」
「す、すいません!」
僕は、弾かれたように、尻もちをついた。鏡々さんは、クスクスと笑っている。顔面に熱が帯びてくる。
「鏡々! からかってやるなよ! 時もいちいち真に受けんな!」
銀将君が、鏡を覗きながら、呆れたように溜息を吐いた。そりゃ銀将君は、慣れているだろうけど、僕にとっては何もかもが初めてだ。そんなクレームを胸の奥に押し込み、もう一度銀将君の隣に並ぶ。
「どうなってんだ? これはいったい?」
チラリと視線を隣に向けると、銀将君が眉根を寄せて、怪訝な表情を浮かべている。銀将君は、鏡に指をさす。
「時、見えるか? この黒いもの」
「うん・・・何だろうね?」
銀将君は、鏡に映っている夜叉丸を指でなぞっていく。鏡を眺めていると、次第に夜叉丸の体が透けるように、黒いものが浮き出てきた。まるで、黒い血液が全身を駆け巡っているように見える。次第に、荒々しい呼吸音が、耳に届いた。何事かと思い、顔を上げると、頬を紅潮させた鏡々さんが、瞳を潤ませていた。
「いけませんわ! 銀将さん! それ以上は! 変になっちゃう!」
大声を上げた鏡々さんが、後ろ向きにバタリと倒れた。
「え? どうしたんですか?」
慌てて立ち上がり、夜叉丸を跨いで、鏡々さんに駆け寄った。彼女は、恍惚とした表情で、ぼんやりと天井を眺めている。
「ああ、悪い悪い。鏡々、もう良いぞ」
平然と銀将君が言い、響介さんに視線を送った。
「まあ、はっきりとは、分からねえけど、憶測なら立てられそうだ。できれば、確証が欲しいところだけど・・・」
ん? 僕は、首を傾げた。響介さんを見ていた銀将君が、チラッと奥に視線を向けたような気がした。すると、響介さんが、頭をボリボリと掻き、体を反転させる。響介さんは、奥で座っている雫さんと真君を見ていた。
「・・・頼めるかな?」
「え?」
雫さんが、目を大きくして茫然としていた。そして、響介さんの視線が、真君に向いていることに気が付き、隣に顔を向けた。真君は、帽子の左右の淵を両手で掴み、下に引いている。帽子で顔を隠して、俯いていた。
「嫌だ!」
突然、真君が大声で叫んだ。困惑している雫さんが、響介さんと真君を交互に見ている。僕も困惑している。いったい、どういうことなのだろうか?
「絶対に嫌だ!」
「あ、あの・・・何か分からないですけど、こんなに嫌がっているんですから・・・」
雫さんが、緊張した面持ちで口を開くと、響介さんは腕組みをして、困り顔を見せた。響介さんにしては、珍しいな。
重苦しい空気が双肩に降りてきた。真君は、小刻みに震えながら、必死に帽子を押さえつけていた。僕が、響介さんに釘付けになっていると、視界の隅で影が動いた気がした。咄嗟にそちらに顔を向けると、鍵助さんが忍び足で近づいてきた。そして、僕と鏡々さんの前でしゃがみ込んだ。サングラスを指で下ろし、値踏みするように鏡々さんを眺めている。
「いやあ! 相変わらず、ええ眺めでんなあ! 性感帯弄られて、気持ち良かったでっか? 良かったら、ワイが続きを・・・」
瞬間的に、激しい破裂音が響いて、鍵助さんが部屋の隅まで吹き飛んだ。鏡々さんが、はだけた着物を押さえつけながら、右手を伸ばしていた。あまりの衝撃に、僕は体が固まっていた。どうやら鏡々さんが、鍵助さんをぶん殴ったようであった。
「場をわきまえなさい! この恥知らず!」
「ワイは、場を和ませようと思っただけでんがなあ!」
それからも、鏡々さんの怒りが収まることはなく、罵詈雑言が吐かれ続けていた。大きな溜息を吐いた銀将君が、頭を抱えている。
「ウチの奴らが悪いな」
銀将君のぼやきにも似た謝罪に、僕は苦笑いをするしかできなかった。鏡々さんが鍵助さんを蹴りまくっている。あの、その前に、帯を締めた方が良いと思いますが。露出をお構いなしに、鏡々さんが滅多打ちにしていた。しかし、誰も止めようとはしない。僕も鍵助さんの自業自得だと、憐みを込めた視線を送るのみだ。
暫く、喧騒が続いていると、突然、襖が大きな音を立てて開かれた。咄嗟に、顔を向けると、見知らぬ女性が、大広間に入ってきたのだ。
「まいどー! なんや、盛り上がっとんなあ!」
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