十
肩に誰かを担いだ見知らぬ女性が、にこやかに微笑みながら、歩み寄ってきた。金髪でタンクトップにショートパンツの美女が、裸足で畳を踏んでいる。
「おう! 久しぶりやなあ! 歪屋! それに銀将! なんや知らんけど、鍵助も鏡々も元気そうや!」
「ああ、君がここに来るなんて、珍しいねえ?」
響介さんの知り合いのようだ。美女は、立ち止まると、周囲を眺めた。
「なんや知らん間に、ぎょうさん人増えとんなあ? 賑やかなんは、ウチ好きやで!」
右肩に人を担いだ美女が、左手を腰に当てている。手足もスラリと細くて華奢な女性なのに、平然と誰かを担いでいる姿に違和感を覚えた。
「お嬢! 助けてやあ! 鏡々はんが、ワイをイジメるんやあ!」
泣き叫びながら、鍵助さんが女性へと駆け寄る。そして、縋るように、女性の細い脚に纏わりついた。どこまでも煩悩に忠実な人だ。もとい、付喪神だ。すると、女性はにこやかに微笑み、鍵助さんの頭に左手を乗せた。
「相変わらず、可愛い奴やあ!」
言うと、同時に、またしても鍵助さんが吹き飛んだ。
「ああ、すまんのう! ウチのこの美脚は、暴れん坊やさかい、触れるもの皆傷つけるんや。気いつけえや?」
美女は、ご自慢の美脚を片方上げ、ペチペチと叩いた。
「時! ちょっと!」
響介さんに手招きをされ、僕はおずおずと頭を下げ近づいた。
「紹介するよ。彼が染宮時だ」
「おお、お前がか? 宜しゅうな」
美女は、左手を差し出してきたので、僕は両手で掴んだ。
「で、こちらが、神槍
親指をクイッと鍵助さんに向けた響介さん。鍵助さんの無残な姿を見て、背筋を伸ばし、深々と頭を下げたのは、言うまでもない。
「宜しくお願いします!」
「おお、礼儀正しい坊やなあ? ウチしっかりした若い子は、好きやで」
満面の笑みを浮かべる神槍さんに、僕は恐縮することしかできない。
神槍と言えば、六角堂と並び称される御三家の一角だ。そんな大物が、平然と出入りする。
「ところで、命さんは、お元気で?」
「ああ、元気にしとるよ。ちったあ、自分の年も考えて欲しいわ。さっさと、隠居して、当主の座をウチに譲ったらええねん?」
「え?」
思わず、声が漏れてしまい、僕は慌てて口を押えた。
「なんや? 言いたいことがあったら、はっきり言わんかいな?」
綺麗な顔を真っすぐに向けられ、若干面食らってしまった。しかし、それは綺麗な顔に見惚れた訳ではなく、妙な威圧感に気圧された感じだ。僕は、失礼のないように頭の中で、言葉を反芻した。
「まだ、お若いのに、もう当主に成られるんですか?」
「ん? そりゃなあ、『もののけもの』は、実力社会やからな。それに、歪屋だって、若いやろ?」
僕は曖昧に、顎を引いた。響介さんの場合は、先代の歪屋、つまり響介さんのお父さんがお亡くなりになったからだ。僕は、チラリと響介さんを見た。
「ああ、そういうことかいな? ちゃうで、ウチの親は健在や。オトンもオカンも鬱陶しいくらいに元気や。別に、世襲制言うても順番通りとは、限らんのや。力あるもんが、上につく。それだけのことや」
神槍さんは、胸を張って、高笑いをする。口を大きく開けて、仁王立ちする姿を茫然と眺めていると、肩に担いでいる人物がうめき声を上げた。僕は、神槍さんの肩に指をさした。
「あの、その肩に担いでいる人は、誰なんですか?」
「おうおう! すっかり忘れとったわ! ここに来るついでに、捕獲してきたんや! 歪屋に土産や!」
神槍さんは、肩に担いだ人物を、無造作に畳に放り投げた。その人物は、畳に落ちた衝撃で、潰された蛙のような声を漏らす。
僕は、目と口を大きく開いて、頭が真っ白になった。
「・・・こ、古杉さん?」
目を真っ赤に充血させた古杉さんが、鋭い目つきで僕を睨み上げていた。狼ではなく、人型の古杉さんが、顔面痣だらけだ。
「何や? 知り合いかいな?」
「いや、まあ、知り合いというか・・・その」
僕が、言い淀んで、響介さんを見る。
「まあねえ、彼は僕のところに、相談に来たんだよ。で? 彼がどうしたんだい?」
代わりに、響介さんが説明してくれ、腕組みをした。僕は、息を飲む。古杉さんを見下す、響介さんの視線が恐ろしく冷たかったのだ。
「ああ、ちょっとな、オイタしとったんや。通行人に斬りかかっとったさかい、しばいたったら、全部ゲロったわ」
「通行人を・・・って、例の通り魔犯ですか?」
「ああ、そうや。ストレス発散で、人間を傷付けとったらしいわ」
信じられなかった。古杉さんは、あんなにも切実に、恋人を想い苦しんでいた。恋人を傷つけたくない、勿論自分も傷つきたくない。そのジレンマに苛まれていた。まさか、その苦しみを他人を傷つけることで、発散していたとは。狼男の異常な身体能力を発揮し、目にも止まらない速度で、通行人を襲っていたのだ。刃のような鋭利な自身の爪で。
「なるほど、そう言うことか。それでは、確信犯ということだねえ? 爪を一本だけ使用し、刃物での犯行に見せつけたと言う訳だね? 五本指で引っ掻いた跡が残れば、人間の仕業には見えないからねえ? 意外と冷静じゃないか?」
響介さんが、冷たい声で吐き捨てると、畳に横たわる古杉さんは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。そして、歯ぎしりをする音が響く。
「煩い! 全部、お前のせいだ! お前に頼んだのに、お前は俺を見限った! お前は、何もしてくれなかったじゃないか!」
「それは、逆恨みだねえ? それに、君の犯行は、昨日今日の話ではないだろう? 散々人を傷つけてきて、君は素知らぬ顔で、平然とここに来た。あまつさえ被害者面してねえ。気に食わないねえ」
「煩い! 煩い! 俺は、全部知ってるんだ! ここには、『
「はて? 何だいそれ・・・」
「おい! お前! 何でそのこと知っとるんや!?」
響介さんの声を遮るように、神槍さんが、古杉さんの背中を踏み潰した。嘔吐しそうな声を漏らし、古杉さんは、顔を歪めていた。何事かと思い、三人の顔を順番に見ていると、響介さんが手で目を塞ぐように当てて、天井を向いていた。なるほど、そういうことなのか。古杉さんが口にした『妖結晶』なる代物は、実在するようだ。それを響介さんが、誤魔化そうとしたが、神槍さんが素早く反応した。
その神槍さんの行動で、肯定の意味に取られる訳だ。
『妖結晶』とは、何だろうか? 初耳だ。
「あ!」
前傾姿勢で古杉さんを踏んでいる神槍さんが、上目遣いで響介さんを見た。
「すまん、歪屋。やってもうた」
事態を把握した神槍さんが、頭を掻いて舌を出す。テヘペロで、済む話なのだろうか? 案の定、響介さんは、項垂れるように肩を落とし、畳に腰を下ろした。
「また、例の恋人に聞いたのかい? なんだったっけ? 鬼髪大蛇だったかい?」
「ああ、そうだ! 全部、彼女が教えてくれた! 彼女が嘘をつく訳がないんだ! 俺のことを本気で心配してくれている!」
「彼女は、そのことを誰に聞いたんだい? また、噂話かい?」
「そう言っていた! 噂だろうがなんだろうが、彼女の言う事が真実だ! 一縷の望みに縋って何が悪い!」
響介さんは、鼻から大きく息を吐き、腕組みしたまま目を閉じた。そして、ゆっくりと目を開き、古杉さんを見つめた。
「確かに、『妖結晶』という物の噂は、僕も聞いたことがある。でも、実在するのかどうかは、分からない。それに、僕の聞いた噂だと、ソレは『もののけ』を人間に戻す物ではなく、人間を『もののけ』に変える物だと聞いている。人間に、『もののけ』の能力を与えると言っても良いねえ。だから、君が欲している作用とは、真逆の代物だねえ」
「・・・そんな・・・嘘だ! お前の言うことなんか、信じられるか!?」
「信じるも信じないも君の自由だ。僕は、事実を事実として、説明しているに過ぎない。少なくとも、そんな噂の代物なんか、ここにはないよ。そもそも、この世に存在するかも怪しいねえ」
「・・・そんな・・・嘘だ・・・」
弱々しい声を漏らして、古杉さんは畳に顔を押し付ける。涙を流し、拳を畳に叩きつけていた。食いしばった歯の隙間から漏れる、古杉さんの悲痛の叫びに、居た堪れない。
「とにかく、君は罪を犯した。君を幽閉する。盃君、それに銀将君。宜しく頼むよ。九十九君、ご案内して差し上げて」
神槍さんが、古杉さんの襟首を掴んで引き上げた。古杉さんは、無気力のまま、されるがままだ。凶暴な狼男の古杉さんだが、神槍さんと銀将君の二人にかかれば、何もできないだろう。御三家の二人に連行されるのならば、無駄な抵抗だ。
「ちょっと、待って下さい!」
突然、大きな声が響いて、皆が振り返った。祈子さんが、真っ直ぐに、古杉さんに向かって歩いていく。
「祈子さん?」
僕は、祈子さんに声をかけようとしたけど、喉が圧迫され、声が出なかった。祈子さんの唯一覗いている二つの瞳からは、ボロボロと涙が零れていた。祈子さんは、古杉さんの前で立ち止まると、手を大きく振りかぶった。そして、パシンという破裂音が響いた。
「あなたは、何をしているのですか!? 想い通りにいかない鬱憤を他人にぶつけて満足ですか!? あなたに、恋を語る資格なんてない!」
祈子さんの叫び声に、古杉さんの顔は更に歪んでいく。
「反省しなさい!」
祈子さんは、まるで泣き叫んでいるように見えた。
一度は、古杉さんも祈子さんの言葉で、前を向いたはずだ。しかし、己の衝動に抗えなかった。古杉さんは、恋人は勿論、祈子さんの想いも踏みにじったのだ。己が抱えるストレスやコンプレックスを他人を傷つけることで、晴らそうとした。しかし、そんなことで晴れるくらいなら、苦労はしていないだろう。当然のことながら、古杉さんのしたことは、許されるものではない。でも、同情はしてしまう。『もののけもの』の僕ですら、そうなのだ。それなら、同じ『もののけ』の祈子さんの心境は、計り知れない。
「祈子、もうその辺にしてやってくれないか?」
銀将君が、祈子さんの肩に手を置いた。祈子さんは、泣きながら、銀将君の胸に身を寄せる。銀将君は、驚く程の優しい所作で、祈子さんを包み込んだ。
「お前は、ここにおったれや。ウチ一人で充分や」
神槍さんが、古杉さんを肩に担いで、連れて行った。数歩進んだ所で、振り返る。
「すまんかったなあ! こいつ、ウチの預かりなんや。今回の借りはツケといてくれや」
片手を上げる神槍さんは、言い残し大広間から出て行った。大広間には、祈子さんの泣き声が響いている。
「あーあ、結局、何だったの? この茶番?」
場の空気を壊すように、後頭部に手を回した真君が、歩み寄ってきた。僕は、ギョッとして振り返ると、部屋の隅で雫さんとおとなしくしていた真君が、すぐ隣にいた。僕は、身を屈めて、真君に耳打ちをした。最初に古杉さんが来た時には、真君はいなかったから、無理もない。でも、少しは空気を読んでもらいたい。小学生の彼には、難しいだろうけれど。僕は、掻い摘んでことのあらましを説明した。
「ふーん、てことは、あのおばさん、何の役にも立たなかったってことだね? ざまあないね」
とんでもないことを言い放つ真君に、僕は慌てて彼を制する。が、遅かった。
「あなたは、何なの!? 何も知らない子供がでしゃばってこないで!」
「はあ? 役立たずに、役立たずって言って何が悪いんだよ!? 本当のことだろ!?」
無遠慮に罵る真君に、さすがに子どもだからと、許してあげられる案件ではなかったようだ。真君も何故、今祈子さんに食ってかかるんだ? まさに子供特有の『本当だから』を発揮している。本当のことだからと言って、何でも口にして良い訳ではない。真君に、そのことをしっかり教えてあげなければならない。
「役立たずは、あなたの方でしょ!? さっき、響介さんのお願いを拒否したじゃない!? 銀将さんだって、確証が欲しいと言っていたのに!? ふざけるんじゃないわよ! あなた、何様のつもりなの!? 何もしないくせに、文句ばかり言ってんじゃないわよ!」
「煩い! おばさん! おばさんには、関係ないだろ!?」
「じゃあ、あなたにも関係ないでしょ!? 役立たずと役に立とうともしない奴とでは、雲泥の差よ!」
二人の勢いに押されて、僕は身動きが取れないでいた。祈子さんの言っていることが正論なのだろう。確かに、真君は、世話になっている身でありながら、響介さんの命に背いた。きっと、真君は、同じく世話になっている祈子さんの失態を突いて、自分の立場を守ろうとしたのだろう。祈子さんは、別に失態を犯していないし、そのことを糾弾したとしても、真君がマウントを取れる訳でもない。目先の利益に飛びついたように見える。この辺りが、まだまだ子供なのだろう。論理も破綻している。『おばさん』を連呼し、どうにかこうにか、祈子さんを不快な想いにさせようと頑張っている。年齢がアドバンテージになると思っている。確かに小学生の真君からしたら、そうなのかもしれないが、小学生という年齢が優位に立てるとも思えない。何だか、見ていて痛々しくなってきた。
「す、すいません。子供相手に、そこまでムキにならなくても・・・」
恐縮した様子で、突然雫さんが、真君の背後に立った。まさかの乱入に、僕は目を丸くする。
「あなたこそ、関係ないでしょ!? 部外者が首を突っ込んでこないで!」
火に油だったようだ。雫さんの登場で、祈子さんのボルテージがマックスに達している。祈子さんと雫さんは、さほど面識も関わりもないはずだ。しかし、祈子さんの雫さんに対する敵意は、尋常ではない。僕は嫌な予感しかしない。なぜなら、雫さんは、見た目とは裏腹に、案外気が強いのだ。僕は、二人の間に割って入ろうとしたけど、雫さんは僕の脇を潜り抜けた。雫さんと祈子さんが、対峙しようとした瞬間だ。
「キャッ!」
雫さんが、畳で足を滑らせて、小さな悲鳴を上げた。すると、銀将君が素早く手を伸ばして、雫さんの体を支えた。先ほどまで、祈子さんが収まっていた場所に、今度は雫さんが収まった。雫さんは、恥ずかしそうに銀将君の顔を見上げている。
「あ、ありがとう」
「おう、大丈夫か?」
平然な顔をしている銀将君の後ろで、祈子さんが怒りに震えていた。
「あなたは、何なの!? 早く銀将さんから離れなさいよ!」
「はっ! だっせ! そりゃおばさんより、若い女の方が良いに決まってんだろ!?」
真君が鬼の首を取ったように、勝ち誇ったように、鼻で笑った。祈子さんは、拳を握りしめて、見るからに肩が震えている。
「あなたも! あなたも! 大嫌いよ!」
祈子さんは、雫さんと真君を指さし、大広間から出て行ってしまった。
「僕もお前なんか、大嫌いだ!」
叫んで真君も、祈子さんとは反対方向から、大広間を出て行く。僕が、オドオドと祈子さんと真君を見ていると、急に雫さんが走り出した。
「私は、真君を追いかけるから」
雫さんの声に押されて、僕は祈子さんを追いかけた。
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