僕と九十九さんが、廊下で立ち話をしていると、玄関が開いた。玄関の方へと顔を向けると、銀将君が入ってきて、手を上げる。

「おっす、時!」

 銀将君は、まるで自分の家に帰ってきたような気軽さで、靴を脱いで上がり框を踏んだ。僕は、出迎える為、廊下を歩くと、反射的に走り出した。

「お邪魔します」

 銀将君に隠れて見えなかったが、雫さんも一緒だったのだ。

「あれ? 雫さん? どうしたんですか?」

 無意識の内に頬がほころんでいることに気が付いた。それは、銀将君がニヤニヤしていたからだ。僕は口元を手で隠した。雫さんは、丁寧に玄関の扉を閉め、ゆっくりと頭を下げた。

「時君、突然、ごめんね。陽衣子のことが心配になって」

 雫さんは、体の前で手を合わせて、眉を下げている。

「雫さんねえ?」

 銀将君が、からかうように笑うと、僕の顔面が蒸気していくのが分かった。すると、銀将君が僕の耳元に口を寄せた。

「お前も好きだねえ? このスケベ」

「ち、違う! そんなんじゃない!」

 思わず声が大きくなってしまい、慌てて雫さんを見ると、彼女は目を大きく見開いている。キッと銀将君を睨みつけたが、彼は楽しそうに笑うばかりだ。九十九さんに助けを求めるように視線を下ろすと、彼は深々と頭を下げており、僕の視線に気が付き首を傾げる。

「まあ、いいか! こいつがさ、階段の下でウロウロしていたから、連れてきてやったぞ。渋沢のおっさんとすれ違ったから、要件は済んだんだろ?」

 銀将君が、雫さんを指さした。

「そうだけど?」

「まあ、そう怒んなって。あのおっさんも大変だな。刑事と言ってもただのパシリじゃねえか? わざわざ、こんな所にまでお使いにきてな。ご苦労なこった。あの階段を往復するだけでもキツイよな」

 それに関しては、同意見だけど、あの年齢であの階段は、骨が折れるだろう。

「雫さんも大変だったんじゃないですか? あの階段」

「いや、私はまた運んでもらったから」

 ああ、そうだった。九十九君による送迎サービスがあるのだった。あれ、往復? 渋沢さんは、上りも自力できたのか? 僕は、そっと九十九さんに耳打ちした。

「あれは、お年寄りや女性限定のサービスです。元気な方は、ご自分の足で上った方が、健康の為です」

 そう言うことなのか。渋沢さんも大変だったようだ。ゼイゼイと息を切らしながら、千年階段を上り下りする姿が容易に想像できた。

 雫さんは、元町先輩の様子を心配して、わざわざやってきてくれた。当然と言えば、当然だけど、ほんの少しだけがっかりした。そう言えば、元町先輩は、地下牢に入っているそうだけど、何と説明すれば良いのか悩む。さすがに、地下牢にいるとそのまま伝える訳にもいくまい。僕が、どう誤魔化そうか思考を回転させていると、九十九さんが小さな足をスッと一歩前に出した。

「藍羽様。大変申し訳ございませんが、元町様にお会いすることは、まだできません。余程疲労が溜まっておいでなのでしょう? まだ、眠っておられます。しかし、じきにお目覚めになると思いますよ?」

「・・・そうですか」

 雫さんは、困惑しているようであった。若干、顔が引きつっていた。元町先輩の事情もそうだけど、黒い仮面を被った少年が、突然話し出したのだ。一般の人からすれば、なかなかに奇妙な姿だ。僕も最初のうちは、戸惑ったものだ。

「立ち話も何ですので、奥へどうぞ。染宮殿は、お二方をお連れ下さい。私は、お茶を入れてきましょう」

 九十九さんは、お辞儀をして、立ち去った。僕が先頭を歩き、二人が後ろについてくる。大広間の襖を開けた。

「ああっ!! 銀将さん! 会いに来てくれたんですか?」

 大広間に一歩足を踏み入れると、大声を上げた祈子さんが、駆け寄ってきた。そして、僕は弾き飛ばされて、畳に倒れる。見上げると、祈子さんは、子供のようにはしゃぎながら、銀将君を見つめていた。僕のことは、まるで視界に入っていないようだ。

「私、首を長~くして、銀将さんを待っていたんですよお!」

「昨日、会ったばかりじゃねえか?」

「それでも、会えない時間は、時間が止まったように感じるんですよ?」

 気のせいだろうか、祈子さんの周囲に、ハートマークが大量に飛び回っている。僕が畳に尻もちをついたまま茫然と見上げていると、雫さんが屈んで手を取ってくれた。

「時君、大丈夫?」

「あ、はい。大丈夫ですよ。ちょっと、ビックリしたけど」

 触れた手を雫さんが、引いてくれて立ち上がった。温もりが伝わり、体温をも上昇させているみたいだ。

「さあ、銀将さん。あちらにいきましょう?」

 祈子さんが、銀将君の腕を引く。ヤレヤレと呆れたように二人の様子を見て、僕達も歩き出した。

「キャッ!」

 雫さんが、一歩を踏み出した時に、畳で足が滑ったようで、小さな悲鳴を上げる。僕は、慌てて手を伸ばしたが、その前に銀将君が雫さんを支えた。

「おお、大丈夫か? 気を付けろよ?」

「あ、ありがとう」

僕の方が近くにいたのだが、銀将君の異常な反射神経が、倒れかけた雫さんを抱えたのだ。悔しくて仕方がなかった。

「何なの!? この女はっ!? どこから、湧いて出たの!?」

 祈子さんのヒステリックな声が響き渡った。

「何言ってんだよ? 祈子。ずっと、一緒にいたぞ?」

「ずっと、一緒にいた!?!?」

 裏返った甲高い声を上げた祈子さんは、わなわなと体を震えさせている。そして、殺意を込めた目で、雫さんを睨みつけている。雫さんは、昨日もここにいたのだけど、祈子さんの目には、入っていなかったようだ。そして、何やらとんでもない勘違いをしているようだ。

「いつまで、銀将さんに触れているのですか!?」

 発狂した祈子さんに、雫さんは慌てて手を離した。僕は、そっと雫さんの前に立った。しかし、祈子さんには、僕と言う壁が見えていないようで、雫さんを睨み続けている。

「祈子。いつまで、睨んでんだよ?」

 銀将君が、祈子さんの頭に触れた。その瞬間に、祈子さんの尖っていた瞳が、丸みを帯びていく。銀将君が促し、僕達四人は、大広間を歩いて行った。行きつく先では、響介さんがニヤニヤしながら、僕達のことを見ていた。ニヤついてないで止めて下さいよ。そんなことを考えながら、僕達四人は、響介さんの前で一列に並んで腰を下ろした。

「銀将さん? 思いのほか早かったですね?」

「ああ、鍵助に預けてきた」

 響介さんの後ろに座っている鏡々さんが、正座をして笑みを浮かべている。僕は、恐る恐る祈子さんを見たけど、特段何も変化がなかった。あれ? と、首を傾げた。雫さんには、過剰に反応していた祈子さんだけど、鏡々さんなら大丈夫のようだ。ああ、鏡々さんは、銀将君の仲間だからか。女性全てに食ってかかる訳ではなさそうだ。

「銀将君。渋沢さんは、先ほどお帰りになったよ。特にお咎めなしだ」

「ああ、階段ですれ違ったよ。そりゃそうだろう? 無駄足ご苦労なこった」

「ところで」

 響介さんは、視線を僕の右隣に向けた。銀将君、祈子さん、僕、雫さんの順番で並んでいる。流石に、祈子さんと雫さんを隣り合わせにする訳にもいくまい。

「藍羽君だったね? 元町君の様子を見に来たのかい?」

「はい。そうなんですけど、まだ眠っているから会えないと、聞かされて」

「ふむ、申し訳ないねえ。その通りだよ。それで、暫く、ウチで預かりたいのだけど、流石に彼女のご両親への説明が難しいだろう? ご両親への対応は、こちらでやっておくよ。まあ、悪いようにはしないから。目を覚ましたら、時から知らせるよ」

 雫さんは、一度僕を見て、響介さんに頷いた。

「あの、元町先輩のご両親への対応って、どうするんですか?」

「ああ、それは簡単だねえ。その為の国家権力だ」

 警察に頼む訳だな。事故や事件に巻き込まれて、入院しているとか、嘘の情報を流してもらう訳だ。元町先輩の容体も気になるが、彼女には色々と聞かなければならないことがある。すると、雫さんが小さく手を上げる。

「あの、私、昨日の出来事が良く分からなくて・・・陽衣子が突然、暴れ出したと思ったら、その・・・仮面をつけた子を・・・さ、刺してしまったように見えたんですけど・・・でも、気が付いたら、その子がいなくなっていて・・・訳が分からなくて」

「訳が分からないままで、良いんだけどねえ」

「・・・え?」

 響介さんは、鼻から大きく息を吐いて腕組みをする。

「まあ、いいか。この際だ。君も一応、関係者だからねえ。元町君は、確かに刺した。でも、刺されたのは、人間じゃないんだねえ。だから、気に病むことはないねえ」

「どういうことですか?」

「ん? そのままの意味だよ? だから、安心したまえ」

 煙管を掴み、響介さんは、火を落とした。雫さんを見ると、明らかに困惑している様子だ。すると、銀将君が覗き込むようにして、こちらを見た。

「昨日、時から説明があっただろ? お前が足を踏み入れたのは、人間だけの世界じゃねえ。それに、人間が『もののけ』に危害を加えても、人間の法律には触れねえから安心しな。まあ、度が過ぎると、俺達が動くけどな」

 銀将君が話をしている間、何故だか祈子さんが、ずっと僕を睨みつけていた。なんでだ? 当然と言えば、当然だけれど、銀将君の説明を聞いても、雫さんの顔色は変わらなかった。不安とか、心配とか、猜疑心とか、色々な感情がごちゃ混ぜになっているようだ。

「信じるか信じないかは、君が決めるんだねえ。僕は、君が友人を想う気持ちに応えて話しているんだよ。それに、当事者だしねえ。まあ、どっちでも構わないんだけども、一応他言無用で頼むよ。君の友人の為にもその方が良いねえ」

 響介さんは、他人事のように話し、煙を吐いた。雫さんに顔を向けると、困惑しながらも小さく顎を引いた。

「ねえ? 時君? どうして、こんな素人がここにいるのよ? あの女は、何なの?」

 突然、腕を引かれて、祈子さんからのクレームが入った。祈子さんは、昨夜の出来事を何も知らないようだ。どこまでも、銀将君以外のことには、興味がないみたいだ。その証拠に、面倒であったが、昨夜の出来事を掻い摘んで説明した。しかし、やはり興味がなさそうに、銀将君の方へと顔を戻していた。

「ああ、それで、銀将君。捜索の方は、どうなっているんだい? 何か分かったのかい?」

「今、鍵助が探っているところだ。何か分かったら、連絡が来るようになってる」

 鍵助さんが行っている捜索とは、昨夜の二人の男のことだろう。『髪の毛グルグル男』と『首狩り夜叉丸』だ。そして、背後にいるかもしれない、『首狩り夜叉丸』を操っていた黒幕。『縛る』という行為は、御三家の一角である『長縄家』が得意とする術のようだ。本当に、そんな大物が関わっているのだろうか? とある禁忌を犯した長縄の元当主は、残りの『御三家』である『六角堂家』と『神槍家』の当主、そして響介さんの手によって、討伐されたと言っていた。『長縄家』の残党が、陰でなにやら悪さを企てているのだろうか? 『長縄家』の再建でも目論んでいるのだろうか?

見たまんま縛られていた『髪の毛グルグル男』と行動を縛られ操作されていたかもしれない『首狩り夜叉丸』。そんな危険な捜索に、鍵助さん一人で向かわせて大丈夫なのだろうか? 僕も雫さんを見習って、小さく手を上げてこのことを伝えた。

「いや、まさか、鍵助を一人でいかせている訳じゃねえよ。親父の付喪神とか、他にも大勢で捜索に向かっている。奴らを見たのは、お前と鍵助だけだからな。だから、鍵助が陣頭指揮を執っているんだよ」

 銀将君が、身を乗り出して、教えてくれた。僕が頷いていると、迷惑そうな目で、祈子さんに見つめられる。

「あいつが陣頭指揮だなんて、世も末ですわね? 厭らしい目で、女性ばかりを追って、仕事にならないのではなくて?」

 鏡々さんが、溜息を吐いた。きっと、的を射ているのだろう。響介さんと銀将君が、互いに見合わせ、苦笑いを浮かべていた。

「か、鍵助さんは、やる時には、やる人だと思います。僕も昨夜は、鍵助さんに助けられましたし」

 一応、鍵助さんの名誉の為に、フォローしておく。どうしようもなく、馬鹿でスケベで軽薄な付喪神だけど、仕事はキチッとこなす。そうあって欲しいし、そう信じたい。僕の命の恩人が、昨夜の行動は、ただの『気まぐれ』や『まぐれ』だったなんて、少々悲しい。

 僕の発言に、鏡々さんは、着物から出ている華奢な両肩を持ち上げた。半信半疑のようであったが、この場は一応納得してくれた。そもそも、鏡々さんの冗談だったのかもしれない。僕より、鏡々さんの方が、鍵助さんとの付き合いは長いのだから。余計なお話だったのかもしれない。

 僕が、若干の気まずさを感じている間に、響介さんは雫さんに様々な質問をしている。口調は、いつも通り柔らかい感じだけど、捉え方によっては尋問だ。それも仕方のないことだろう。とにかく、情報が少なすぎるのだから。しかし、雫さんからの回答は、問題が進展するものではなかった。隣で見聞きしていても戸惑っていることが、手に取るように理解できた。

 話が進まないまま気が付けば、他愛のない世間話へと流れていっている。周囲を漂っていた息苦しさから、解放された気分になったのも、束の間のことであった。

「ところで、藍羽君は、うちの時とは、どんな感じなの?」

「え? どんな感じとは?」

 響介さんの別角度からのぶっ込みに、僕は思わず立ち上がった。

「ちょっと! 何言ってるんですか!? 別に関係ないでしょ!?」

「関係ないとは、悲しいことを言ってくれるよねえ? 僕は、時の親代わりだよ? オシメしてる頃から知っているんだからねえ」

「そういうことじゃないです! 今の話には、関係ない話だって言ってるんですよ!」

「ええ? だって、皆聞きたいよね? ほら、頷いてる」

 僕が慌てて周囲を見回すと、鏡々さんと祈子さんの女性陣は、大きく頷いており、銀将君は胡坐に頬杖をついてニヤニヤしている。僕は、皆からの視線を受けて、茫然としている。そっと右下に視線を下ろすと、雫さんが困り顔で上目遣いで僕を見ていた。か、可愛い。いやいや、そうじゃない。

「黙秘権を発動します! 個人情報です!」

 体の前で、両手でバツを作り、雫さんに同意を求めるように見つめる。すると、雫さんは不思議そうな顔で首を傾けた。

「え? まあ、ただの友達だから、そこまで拒否しなくても・・・」

 雫さんの言い分は、ごもっともだ。良かれと思ってのことであったが、僕の勇み足であった。顔面から火が出そうだ。今すぐこの場から逃げ出したい。畳に穴を掘る訳にもいかない。女性陣の憐みが籠った視線と男性陣の笑いをかみ殺す姿に居た堪れない。すると、まさに助け舟の如く、銀将君のスマホが着信した。

『おう、俺だ。見つかった? 鍵助?』

 ああ、ありがとうございます、鍵助さん。あなたを信じて良かった。僕は、神に祈るように、心の中で手を合わせた。銀将君は、素早く立ち上がり、通話を切った。

「歪屋。鍵助からの連絡で、夜叉丸が見つかったみたいだ。俺は、今から現地に向かう」

「ああ、分かったよ。宜しくねえ。それと、もし良かったら、時も連れていってもらえないだろうか?」

「時を? ああ、別に構わねえけどよ」

 銀将君が、僕の方へと振り返った。僕は、力強く顎を引いた。

「よし、決まりだ! 時? しっかり勉強させてもらいなさいねえ。君のやるべきことは、理解しているかい?」

「はい! 足を引っ張らないように、少しでも役に立つように、心がけます!」

「違う! 生きて帰ってくることだ! 自分の身を最優先に守ることを肝に銘じなさい!」

 今までにない、響介さんからの厳しい声と顔つきを向けられ、思わず息を飲んだ。そして、膝の前に手をついて、頭を下げた。

「はい! 分かりました! 言って参ります!」

「うん、気を付けて、行っておいでえ」

 顔を上げると、いつもの気怠そうな響介さんに戻っていた。銀将君は、祈子さんを振り切り、大広間から出て行く。僕も急いで、銀将君の後を追った。

 僕に同行を命じたのは、響介さんの親心なのだろう。少しでも経験を積むように。そして、銀将君は、響介さんの想いを汲み、僕のレベルアップに協力してくれようとしている。本来なら、僕が首を突っ込むには、まだまだ力不足な危険な案件だ。間違いなく銀将君の負担にしかならない。誰かを守りながら戦うのは、戦闘力を存分に発揮できないであろうからだ。

 せめて、足手まといにならないように、自分の身は自分で守る。

 悪名高い悪霊『首狩り夜叉丸』の討伐に向かう。

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