十一(完)

「守ってくれて、ありがとね」

藍羽先輩を家まで送って行った。道中は、互いに無言であったが、藍羽先輩の家に着き、別れ際にそう言われた。そして―――

「ねえ、染宮君。その藍羽先輩っての止めない?」

「え? じゃ、じゃあ、藍羽さんですか?」

「うーん、それなら、雫さんの方が良いな! うん、そうしよう! 私も時君って呼ぶから! それじゃあ、おやすみなさい。陽衣子のことお願いね」

 なんだか、二人の距離が急速に縮まった気がした。自分が刺されそうになったのに、それでも元町先輩のことを心配する、し、し、雫さんは、とても優しい女性だ。本当に、元町先輩のことが大切なんだと、胸の奥が温かくなった。色々なことがあり過ぎて、身も心も疲れ果てているけれど、僕は浮かれ気分で帰路についた。

「おい! 時? 何、ヘラヘラしてんだよ? 気持ち悪いなあ」

 僕は、ハッとして、声の方へと顔を向けた。銀将君が、僕の顔をジロジロ見て、ニヤニヤしている。

「その様子だと、ちゃんとお代をもらってきたようだねえ?」

「お代?」

 響介さんが、厭らしい笑みを浮かべている。僕は、何のことだか、さっぱり分からない。

「それで? どこまでいったんだい?」

「はい? だから、しず・・・藍羽先輩の家までですけど」

「そうじゃないよ! 時? 君は、もっと空気を読んだ方が良いねえ! 僕が求めていることが分からないようじゃあ、奉公人は務まらないよ?」

 何を言っているのだ、この人は? と、思った瞬間に、思い出した。お代ってそういう意味か! 響介さんは、何やら壮大な勘違いをしているようだ。僕は、懸命に身振り手振りを交えて、身の潔白を証明した。

「は? 名前で呼び合うことにしただと? 中学生でももっと進んでるぞ? たく、甲斐性のない奴め」

 銀将君に小馬鹿にされた。では、同級生の銀将君は、もっと進んでいるのだろうか? 大人の階段を駆け上がっているのだろうか? 僕には、そんな千年階段は、急には上れない。

「まあまあ、可愛いじゃないの? 時は、そのままで良いんだよ?」

 温かいと冷ややかの中間くらい、生ぬるい視線を僕に送る響介さんであった。僕は、今すぐにこの大広間から、逃げ出したい気持ちで一杯だ。

「ところで、元町先輩の容体は、どうなんですか?」

 僕は、話題を変えるべく、話を振った。勿論、元町先輩のことが気になるのは、本当だ。

「彼女は、まだ眠ったままだよ」

「そうですか。元町先輩のあの変貌ぶり・・・まるで、何かに取り憑かれたように見えましたけど」

「現段階では、何とも言えないねえ? ただ、今回のことは、何かと根深そうだ」

 九十九君が、日本酒が入った一升瓶を持ち上げ、響介さんが握っている湯呑に酒を入れる。酒を一気に飲み干し、お代わりを要求した。

「根深いとは、どういうことですか?」

「まあ、まだ、分からないことだらけだねえ。どうして、時が言うところの『髪の毛グルグル男』が、元町君の自宅に吊るされていたのか? どうして、『首狩り夜叉丸』といった悪霊が、その男を餌に使っていたのか? 誰が何の目的で、誰を狩ろうとしていたのか?」

「え? どういうことですか? 夜叉丸が髪の毛グルグル男を餌にして、人間を狩ろうとしていただけでは、ないんですか?」

 それが全てで、それが結果ではないのだろうか? 首謀者は、夜叉丸で、無差別的に人間を・・・今回の場合は、霊媒体質の人間を獲物として、定めていたのではないのか? だから、たまたま、元町先輩の家に吊るした。適当に、不幸にも選ばれてしまっただけでは、ないのだろうか?

「そうじゃねえな。確かに夜叉丸は、一級品の悪霊だ。実は、俺が探っていたのも奴なんだけどよ。奴にそんな芸当はできねえよ。そもそも、霊体が霊体を餌に使うなんか、聞いたこともねえ。仮にあったとしても、夜叉丸にそれだけのことをやってのける理性も知性もねえよ。そうなれば、他に黒幕がいるって考えるのが自然だ」

 銀将君が、眉を顰めて、不愉快そうに口を開いた。深く溜息をついて、銀色の髪を掻いている。銀将君の用事とは、夜叉丸の捜索だったようだ。どうして、夜叉丸を追っていたのだろうか? 質問するのは、出過ぎた真似だろうか?

「ああ、県警からの依頼だよ。最近、頻出する通り魔事件があってな、何人もの人間の被害者が出ているんだ。直接、関係がないにしろ、夜叉丸の悪意と殺意に満ちた霊鱗を受けた人間に影響が出てないか、念の為調べていたんだ」

 僕の疑問符が見えたかのように、銀将君が説明してくれた。

「人間に影響?」

「ああ、心が弱っている人間に影響が出たり、憎悪や嫉妬など、負の感情に支配された人間が、たまに共鳴したりしちまうんだよ。一般人の言うところの『憑依』って奴だな。それで罪を犯してしまうことが、ままあるんだ」

「それじゃあ、まさか、元町先輩も・・・」

「それは、どうだろうねえ? まだ、そう決断するには、早計だねえ」

 プハッと酒臭い息を吐きながら、響介さんは、湯呑に口をつける。

「ただ、問題は、そこじゃあないんだよねえ? もっと、根本的なところさ」

「根本的なところ?」

 首を傾ける僕に、響介さんは、湯呑を畳に置いて、腕組みをする。

「誰が『髪の毛グルグル男』を作ったのかってとこだねえ。僕の気がかりなのは、そこさ。嫌な予感しかしないんだよねえ。本当に、勘弁してもらいたいよ」

 心底、うんざりした表情を浮かべる響介さんは、両手で顔を擦った。すると、銀将君が、僕の顔を見つめる。

「時はさ、『御三家』のことは、知っているか?」

「え? あ、うん、勿論。銀将君の『六角堂家』と、後は『神槍家』それから『長縄家』だったよね?」

「ああそうだ。じゃあ、『没落した長縄』っていうのは、知っているか?」

 僕は、目を丸くして、銀将君を見つめた。それは、初めて聞いた。僕は、頭を左右に振った。

「一応、今でも『長縄』は、『御三家』に数えられてはいるんだけどな。五年くらい前に、当主が討伐され、一族は解体し、名が地に落ちたんだ」

「と、討伐って・・・『もののけ』にやられたの?」

 僕の問いに、銀将君は、首を振った。

「討伐したのは、俺の親父と神槍の当主・・・それから、歪屋だ」

「え?」

 銀将君が、親指を響介さんに向けた。御三家の中で争いが起こり、歪屋がそれに加担したということか。確か、歪屋は、中立の立場だったはずだ。その歪屋とは、響介さんなのだろうか? 僕は、響介さんを見つめる。

「あれは、大仕事だったねえ。僕が『歪屋』を襲名してすぐのことだった。もうあんな争いは御免だよ」

「ど、どうして、『御三家』同士で争ったんですか?」

 僕が問いかけると、響介さんと銀将君が、目配せをした。そして、銀将君は、目を閉じて、鼻から息を吐いた。

「・・・『長縄』が禁忌を犯したからだ」

「禁忌って、どういうこと?」

 それは、初耳だった。長縄のことはもちろんのこと、禁忌というものが存在することすら知らなかった。

 銀将君が教えてくれた『もののけもの』の禁忌とは、二つだ。

『もののけもの』を生み出してはならない。

人間を術を用いて、使役してはならない。

 とのことだ。そして、禁忌として、定められている訳ではないが、約束事があるそうだ。御三家での協定が結ばれていたそうだ。

 御三家で争わない。

 歪屋に手を出さない。

「まあ、聞いた話だけど、昔はもっとギスギスしてたらしいぜ? 御三家って奴は? 御三家同士で覇権争っていうのか、バチバチやってたらしい。ご苦労なこった。そんな面倒なことよくやるぜ」

 御三家の一角である六角堂家の次男坊が、まるで他人事のように笑った。

「まあ、時代が変わって、いがみ合うより、仲良くした方が得だと思うようになったんだろうねえ。うん、平和が一番だねえ」

 響介さんは、呑気に酒をあおる。

「でも、その平和を壊そうとしたのが、長縄だ。当時の当主である長縄縛寿(ばくじゅ)がとんでもねえ物を作り出しやがったんだ。まあ、それまでにも、奴は歪屋の『特別扱い』に異議を唱えていたらしいけどな」

「とんでもない物? 特別扱い?」

 突然、真顔になった銀将君を、僕は首を傾げて見つめた。

「まあまあ、それは追々に、時には時が来たら教えてあげるよ。それに、長縄の爺さんがと言うよりも、元々長縄には黒い噂が付きまとっていたからねえ。様々な研究や実験にも励んでいたらしいし、あの爺さんが完成させた、形にしたといった方が正しいのかもしれないねえ? 燃え上がるような野心家だったからねえ? 僕もボロクソ言われたよ。『こんな若造が歪屋とは、片腹痛いわ』とかねえ。あれは、怖かったねえ。泣きそうになったよ」

 響介さんは、苦虫を噛み潰したような表情で、わざとらしく顔を左右に振った。正直、疑問しか浮かばないが、響介さんがそう言うなら、おとなしく従っておこう。胸の奥がモヤモヤして気持ちが悪いけれど。僕にはまだ早い、そう言われた気がして、気持ちが沈む。現にそういう意味なのだろうけど。

 響介さんは、湯呑を口に当て、酒を飲み干す。そして、湯呑を隣に座っている九十九君に差し出した。すると、先ほどまで黙って座っていたニュー九十九さんが、スススと九十九君に歩み寄り、一升瓶を取り上げた。

「歪屋殿? 色々、ご不安なのは分かりますが、少々飲み過ぎです。今日のところはこの辺で」

 小さな九十九さんが、一升瓶を抱えている姿は、妙に可愛らしいのだが、物言わせぬ威圧感を放っている気がした。黒光りする仮面が、その要因の一端を担っているのかもしれない。響介さんは、唇を尖らせて、ブーブー言っている。例えではなく、本当に子ども見たいに、そう言っている。まるで、母親におもちゃを取り上げられたみたいに。そして、何かを誤魔化そうとするように。響介さんが、不安? いつも飄々としていて、軽薄で何を考えているのか、傍にいる僕にも分からないのに。すると、響介さんは、諦めたように、畳に大の字で寝っ転がった。

「まあ、ねえ。嫌な予感と言うか、物凄く不愉快な気持ちなんだよねえ。鍵助の連絡じゃあ、髪の毛グルグル男は、発見できなかったらしいしねえ。どこに消えたんだかねえ? 髪の毛には、強力な念が込められていたそうじゃない? 髪の毛に強い念術を混ぜて、グルグル巻きにしてただなんて、笑い話にもなりゃしないねえ」

 仰向けになったまま響介さんは、独り言のように呟いた。そして、僕は、響介さんから、次の言葉が出てくるのを静かに待っていた。響介さんは、何を持って、不安を感じているのだろうか? しばらく、沈黙が降る大広間であったが、次第に響介さんのイビキが響いてきた。

「は? 寝ちゃったの?」

 僕は、膝立ちになって、響介さんを覗いた。

「ええ、眠ってらっしゃいますね」

 九十九さんが、『よいしょ』と立ち上がり、掛布団を持ってきて、響介さんに被せた。僕は、茫然と響介さんを眺めている。このわだかまりは、いったいどこにぶつければ良いのだろう?

「さて、俺もそろそろ帰ろうかな? 時、お前昨日寝てないんだろ? もう休んだらどうだ?」

 銀将君は、立ち上がり、両手を突き上げ、伸びをした。そう言われても、気になって仕方がない。重要な事実を色々とお預けをくらい、消化不良だ。僕が、銀将君を見上げると、彼は溜息を吐いて、顔を背けた。

「まあ、歪屋の言わんとしていることは、分かるよ。髪の毛グルグル男は、髪の毛で『縛られて』いたんだからな」

「え? どういうことなの?」

 僕は、勢い良く立ち上がった。

「『縛る』っていうのは、長縄の専売特許だ」

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