十
響介さんの始まりの合図で、大広間に緊張が走った。先ほどまで、にこやかに会話をしていた藍羽先輩と元町先輩の顔から笑みが消えた。それぞれ、バラバラに座っていた皆が、決められた定位置があるかのように、移動した。
僕と藍羽先輩と元町先輩が、響介さんと対面している。僕から見て右側に、九十九衆。そして、左側に銀将君・祈子さん・鍵助さんが座っている。祈子さんは、銀将君を見つめたままだ。
「それじゃあ、時? 説明宜しくー」
「え? 僕ですか?」
「そりゃそうさ。君意外にいったい誰が、説明できるって言うんだい? このレディ達に、説明して差し上げなさい」
僕は、茫然と響介さんを眺めた後、チラリと鍵助さんを見た。鍵助さんは、サングラスを下げ、ウインクをする。そりゃあの場では、鍵助さんは、姿を消していて、いないことになっていたけれど。僕は、てっきり鍵助さん、もしくは間接的にでも事の本末を知っている響介さんが、説明してくれるものだとばかり思っていた。仕方がない、ここは腹をくくるしかなさそうだ。一度、九十九さんの方へと視線を向ける。九十九さんは、小さく頷き、体の前で小さく拳を握った。ガッツポーズを見せ、『頑張れ』と無言のエールを送ってくれた。最早、九十九さんは、僕の精神安定剤と化している。唾を飲み込み、僕は両手を畳に着けて、体を浮かせ正座したまま体の向きを変えた。銀将君達に背を向ける形で、二人の女性と正対した。
「それでは、説明します。昨夜僕が見たことを・・・」
藍羽先輩の覚悟を決めた表情と元町先輩の怯えた表情。二人の表情のコントラストが印象的だった。話を進めるにつれ、藍羽先輩は驚いた表情になり、元町先輩は顔の色が悪くなっていった。元町先輩は、両手で口を押え、今にも吐き出しそうになっている。それはそうだろう。自分の部屋の外で、幽霊が髪の毛でグルグル巻きにされ、吊るされていたのだから。仮に万事問題が解決したとしても、自分の部屋で生活することに抵抗があるだろう。眠る時に、髪の毛グルグル男の姿を想像してしまえば、眠れたものではない。僕でも無理だ。気味が悪過ぎる。僕は、遠慮しながらも、しっかり伝えた。それが、僕の役目であり、仕事だ。同情するけれど、真実を伝えるべきだ。依頼を受けておいて、嘘の報告をする訳にもいくまい。例え未熟でも、僕もプロの端くれだ。仕事は、全うする。何よりも真実を知っている上司の前で、怠慢な態度は見せられない。勿論、鍵助さんの存在と能力には、触れていない。
「・・・ということが、ありました」
僕が、説明を終えると、大広間は肌を刺すような沈黙が訪れた。怯えている元町先輩に、かける言葉が見つからない。
「そ、それは、本当なの? 染宮君の作り話じゃなくて?」
「勿論です。藍羽先輩」
僕は、真っ直ぐに藍羽先輩を見つめる。藍羽先輩は、僕の真剣な眼差しを受けて、絶句した。隣にいる元町先輩を見ると、固く目を閉じ、片手で口をもう片方の手で腹部を押さえていた。吐き気と腹痛に襲われているのだろうか? 異常に顔色が悪い。きっと、僕以上だろう。
「と、言うことなんだけどねえ? 本題は、ここからだ。お嬢さん方。何か思い当たることは、ないかなあ? どんな些細なことでも構わないから、気になることがあれば、教えてもらえると、助かるんだけどねえ?」
響介さんが、不敵な笑みを浮かべて、藍羽先輩と元町先輩を見つめた。二人とも、響介さんを見ているが、言葉を発しようとしない。いや、混乱して、思考が追い付いていないと、言った方が正しい。
「わ、私は、何がなんやらで・・・とても現実味がなくて・・・」
「だろうねえ? でも、事実なんだよねえ? 君は、昨夜その場にいたと言っても当事者じゃないからねえ。でも、元町君を傍で見ていて、何か気になったこととか、ないかなあ?」
重苦しい空気の中、藍羽先輩が口を開いた。しかし、響介さんからの問いかけに、俯いてしまう。
「気になったことって言われても・・・日に日に陽衣子の様子がおかしくなっていって、体調も悪そうだったし・・・それくらいしか」
「なるほどねえ。ところで、君は彼女と付き合いは長いの?」
「いいえ、今年の春からです。一年生の時は、別々のクラスだったから」
ふーん。と、響介さんは、興味がなさそうだ。自分で聞いておいて、あんまりな態度だ。
「では、元町君? 君は、どうかな?」
響介さんが、元町先輩へと投げかける。しかし、元町先輩は、俯いたまま頭を左右に振るだけであった。現実が受け止めきれないのだろう。無理もない。
元町先輩の心境は、計り知れない。確かに僕は、『見える』側の人間で、昨日の出来事を見たままに説明した。嘘は言っていない。一部、鍵助さんのことは、話していない程度だ。しかし、『見ることができない』一般の人間が、素直に信用できるものなのだろうか? 胡散臭いとか、騙されているとか考えないのだろうか? 僕は、物心着いた時から、見えていた訳ではない。見えていなかった一般的な人間であった期間も存在する。でも、今となっては、見えない人間の気持ちが、分からなくなってしまっている。忘れてしまっている。現に、藍羽先輩は、半信半疑のようだ。ある意味、一番の被害者である元町先輩は、どう考えているのだろう? 僕は、自然に生まれた疑問を元町先輩にぶつけてみた。説明した僕が聞くのも変な話だけど。
「・・・そうね。本音を言えば、雫ちゃんと一緒で、あまり現実味がないかな? でも、あの・・・毎晩のように聞こえていた怖い声の原因が分かって、妙に納得しているところもあって・・・私しか聞こえていなかった声を染宮君も聞こえたんでしょ? それが、少し嬉しいというか、安心したところもあって・・・雫ちゃん以外誰も信じてくれなかったから・・・私の頭が変になっちゃったんじゃないかって、怖かったけど・・・でも、真実はもっと怖くて・・・でも、信じられない・・・ううん、信じたくない私もいて・・・ごめんね。上手く話せないけど、ちょっと、混乱してる感じ。私が、お願いしたのに、自分が何を求めてたのか、分からなくなって・・・」
元町先輩は、紫色に変色した唇を震わせながら、閊え閊えであったけれど、心の内を明かしてくれた。要約すると、混乱しているということだ。当たり前だ。
「分かりました。ありがとうございます」
僕は、元町先輩に向かって会釈をし、響介さんへと顔を向けた。
「響介さん。今日のところは、お二人にお帰り頂いても宜しいのではないですか? 落ち着いて、冷静になったら、何か思い出すかもしれませんし」
響介さんは、ジッと元町先輩を見つめていた。胡坐をかいた膝に肘を置いて、頬杖をついている。そして、目を閉じ、大きく息を吐いた。
「それもそうだねえ? 昨日の今日で、お疲れのようだしねえ。お帰り頂こうかね?」
響介さんは、目を細めて、口角を上げた。しかし、瞳の奥が笑っていないような気がしたのは、気のせいだろうか?
「ところで、藍羽君? 君の髪、黒くて美しいねえ。思わず見とれてしまうよ」
不意に、響介さんが、そんなことを言い出す。
「あの、響介さん? それ、下手したら、セクハラになりますよ?」
「え? そうなのかい? しまったねえ。僕も老害の仲間入りしてしまうよ。世知辛い世の中だねえ。藍羽君、お詫びに時に送らせるから、どうかご容赦願いたい」
顔の前で両手を合わせる響介さんに、藍羽先輩は手刀を振って応えた。藍羽先輩は、特に不快な想いをしていなかったようだ。僕の勇み足だった。
藍羽先輩と元町先輩が、響介さんに頭を下げ、立ち上がろうとした時だった。元町先輩が、畳に飛び込むように倒れこんだ。
「元町先輩! 大丈夫ですか!?」
うつ伏せになって倒れた元町先輩に、急いで近づいた。緊張の糸が切れ、力が抜けてしまったようだ。僕が元町先輩の顔を覗き込むと、彼女は額に大量の汗をかいて、荒々しく呼吸を繰り返している。救急車を呼ぶまではないと思うが、安静が必要だ。藍羽先輩も心配そうに声をかけている。すると、元町先輩が、突然えずき出し、苦しそうに口を押えている。僕が元町先輩の背中をさすっていると、胃袋を捻り上げるような音とともに、嘔吐してしまった。大広間内が騒然とする。九十九衆が大慌てで、桶とタオルを持ってきて、客人用の布団を運んできた。すると、元町先輩は、膝立ちをして、上半身を起こした。
「ぐごごあああああああああああああっっっっ!!」
元町先輩は、天井を見上げ、獣のような咆哮を上げた。瞳を真っ赤に充血させ、口からは唾液が溢れていた。元町先輩の突然の変貌に、僕は背筋に悪寒が走り硬直した。瞬間的に、体が動いたのは、次の元町先輩の行動だ。元町先輩は、隣に置いていた学校のカバンに手を突っ込むと、ナイフを取り出したのだ。そして、真横にいる藍羽先輩に向かって切りつけた。僕は、元町先輩と藍羽先輩の間に滑り込むと、右腕を切りつけられた。そして、そのまま倒れこむ。畳に叩きつけられる直前に、銀将君に受け止められた。
僕が苦痛に顔を歪めていると、狭い視界の中で、元町先輩が響介さんへと駆け出していった。その動きは、まるで獣染みていて、人間のような、ましてや女子高生の動きには、見えなかった。
「響介さん!」
僕が銀将君に抱えられたまま叫んだ。しかし、響介さんは、眉一つ動かさず、胡坐をかいたまま真っ直ぐに元町先輩を見据えている。元町先輩がナイフを突き出すと、左胸にナイフが埋まっていった。僕は、叫び声を上げ、銀将君の腕から抜け出す。
畳に仰向けになって倒れ、左胸にはナイフが刺さっている九十九さんへと、駆け寄った。響介さんの前に飛び出し、両手を広げて立ちはだかった九十九さんが壁となったのだ。僕の背後では、鍵助さんに取り押さえられた元町先輩が、暴れながら奇声を発している。
「九十九さん? 九十九さん? しっかりして下さい! すぐに手当てを!」
僕が、畳に膝をついて、九十九さんに呼びかける。声と手と・・・いや、全身が震える。すると、九十九さんが、ゆっくりと手を伸ばし、僕の手を握った。
「落ち着いて下さい。染宮殿。大したことではありません。私は、主をお守りするという命をまっとうしたに過ぎません」
「何を言っているんですか? 心臓にナイフが刺さっているんですよ? 早く手当てをしないと!」
知らず知らずの内に、涙が溢れ返ってきた。僕は、顔を上げて、周囲に声をかけたが、誰も動かない。
「何をしてるんですか? 九十九さんを早く手当しないと!」
苛立ちが募って、声を荒らげた。しかし、誰も動かない。すると、響介さんが、九十九さんの体に触れる。
「九十九君。お勤めご苦労だったねえ。助かったよ。ありがとう」
「光栄の極みでございます。歪屋殿。ご無事で何よりでございます」
九十九さんは、今にも消え入りそうな弱々しい声を漏らした。
「染宮殿。私の為に、泣いて下さるのですか? なんと光栄なことでしょう? 沢山の方々に見守られ、ああ何と幸せなことでしょう」
僕には、まったく理解できなかった。どうして、誰も九十九さんを助けようとは、しないのか? どうして、九十九さんが、これほどまでに、満足気なのか?
「染宮殿? 我々の寿命は、途方もないほどに、長いのです。だから、死に様というのは、とても大切なのです。私は、とても幸福なのですよ? これからも、ずっと貴方は、貴方のままでいて下さい。素直で真っ直ぐな染宮殿が、私は大好きですよ」
次々と、奥から涙が溢れ返ってきて、声が上手く出せない。九十九さんは、いつも僕を認め、僕を支えてくれた。僕の背中を押してくれた。何一つ、恩返しなどできてはいないのに。
「時? 九十九君の仮面を取ってあげなさい」
僕は、目元をゴシゴシと力一杯に拭いて、響介さんの命令通りに、ゆっくりと両手を伸ばした。卵の殻のようなツルッとした黒光りしている仮面に、そっと触れた。指先が震えている。なんとか、指先に力を込めて、九十九さんの仮面を持ち上げた。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
僕は、悲鳴を上げて、尻もちをついた。
―――九十九さんには、顔がなかった。
仮面と同様に、ツルッとしていて、目も鼻も口もついていない。
「うははは! うはははははははは!」
九十九さんは、笑い声を上げる。まさに、大爆笑だ。口がないのに、九十九さんの体内から、笑い声が溢れ返ってきているみたいだ。すると、響介さんと、銀将君と、鍵助さんが、腹を抱えて笑い出した。僕は、茫然として皆の顔を眺めていた。
「ああ! 幸せだあ! 幸せだあ! あははは!」
九十九さんは、笑い声を上げながら、スウッと体が透け、消えていった。九十九さんが仰向けになっていた場所には、彼が着ていた黒い着物だけが残っている。
「ん? これは・・・」
僕が、黒い着物に手を伸ばし、発見した物を指で摘まんだ。黒い着物の中に、真っ白な長い髪の毛が一本落ちていた。僕が、首を傾げて眺めていると、響介さんが、髪の毛を摘まんだ。
「これが、九十九君の正体だ。九十九君達はねえ、『付喪髪』という、老婆の『もののけ』の髪の毛なんだよ。ずっと、昔の歪屋がその『付喪髪』と契約してねえ、代々歪屋を手助けしてくれているんだ」
響介さんは、摘まんだ白髪の一本を愛おしそうに眺め、教えてくれた。すると、それまで状況を見ていた一人の九十九君が、歩み寄ってきた。僕達の前で立ち止まると、九十九君が着ていた白い着物を脱いで、畳に落ちている黒い着物を着始めた。黒い着物を着た九十九君が、掌を上にして、僕に両手を差し出してきた。僕は、持っている黒い仮面を九十九君の手に置いた。九十九君は、クルリと背を向け、しゃがみ込む。そして、立ち上がると、もう一度僕の方へと向き直った。
「染宮殿。ありがとうございました」
九十九君は、突然話し出し、深々とお辞儀をした。僕は目を丸くして、九十九君を眺める。
「私達は、皆それぞれが、繋がっております。個は全であり、全は個なのです。この白髪の一本から、また一人生まれるのです。だから、悲しまないで下さい。そして、あんなにも盛大に驚いて頂き、本当に幸せです」
「え? 驚いて? え?」
「ええ! 先ほどご覧になられたでしょう? 我々の一般的な通称は、『のっぺらぼう』です。人様に驚いて頂くことに、命をかけております」
僕は、九十九君―――もとい、九十九さんの言っている意味が理解できなかった。確かに、誰かを驚かせるのは、楽しいかもしれない。けれど、命がけとは、少々大袈裟だ。
「いいえ、それが、我々の存在理由なのです。人間には、我々の価値観は、理解できないでしょうけれど。我々にとって、この体や命は、人様を驚かせる為の道具に過ぎません」
その価値観は、やはり僕には分からない。その人の価値観やアイデンティティは、その人のものであって、他人が矯正すべきことではない。響介さんが、そんなようなことを言っていた気がした。人間の世界でもそうなのだから、『もののけ』の世界には、まさに多種多様なソレが存在するのだろう。
そう言えば、昨日、千年階段で前九十九さんに突然声をかけられ、驚いて階段を転げ落ちそうになった。あの時も、九十九さんは、喜んでいたのだろうか? なんとも、情けない姿を見せてしまったと悔いていたが、九十九さんが喜んでいてくれていたのならば、それはそれで良かった。
「響介はん? えろうすんまへんなあ! ワイがついてながら、危険な目に合わせてしもうて。それで、このおなごどないしまひょか?」
気絶しているように、おとなしくなっている元町先輩を、鍵助さんが脇に抱えている。
「そうだねえ。一先ず拘束して、様子を見ようかねえ。治療と休息を与えて、目を覚ましたら尋問しよう。ああ、それと、藍羽君? 怪我はないかい?」
「え? あ! はい! 私は、大丈夫です」
茫然としていた藍羽先輩が、慌てて答えた。
「それは、なによりだねえ。それと、君には、少し協力をお願いしたいんだけど」
「協力ですか?」
「そう。君は、元町君の親御さんと面識はあるかい? できたら、今晩は、ウチに泊めたいから、口裏を合わせて宜しく伝えてもらえると、助かるんだけどねえ」
「あ、はい。分かりました。私の家に泊まると伝えておきます」
藍羽先輩には、まだ動揺の色が浮かんでいる。無理もない。親友が突然変貌し、自分に切りかかってきたのだから。そして、九十九さんを刺してしまった。あのショッキングな光景を目の当たりにして、平然としていられる訳がない。僕だって、まだ受け止めきれていないのだから。
「ではでは、お開きとしよう。時は、このお嬢さんを家まで送り届けること。良いね?」
響介さんに仰せつかり、僕は返事をした。
「では、私が、下までお送りしましょう。その前に、染宮殿の傷の手当てをしなければなりませんね」
九十九さんが、小さく会釈をして、大広間を出ていく。自分の怪我のことを完全に忘れていた。多少痛みはあるけれど、軽傷のようだ。僕と藍羽先輩は、九十九さんの後ろをついて行った。僕は、前を歩く小さな背中を眺めている。
―――ありがとうございました。
九十九さんに、言われた言葉を思い出していた。
ありがとうには、『生まれてくれて、ありがとう』や『生きていてくれて、ありがとう』という意味と同義だと、私は思いますよ。
小さな黒い背中を見ていると、自然と瞳が潤んできた。
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