第5話 人間vs蟲 その5

 振り返り、もう一つの扉に背を預ける。

 それを触覚で感じて、不審に思ったのか黒塊は徐々に速度を落としホールの中央で立ち止まる。


「フン、観念シタノカ? ソノ扉カラ逃ニゲルカ思ッタガ、ココデ止マルトハネ」


 くく、と人間だった頃の機能を唯一残す声帯が音を鳴らして哂う。

 ほんと、こいつの出す音は不快なものばっかりだ。


「………最後に聞くけどさ、あんたにもなにか叶えたい望みってあるの? 他人を何人も殺してまで叶えたいの?」


 なるべく落ち着いた声で問いかける。

 心臓が別の生き物みたいに蠢いている。こめかみがそれに合わせてどくどくと波打つ。恐怖で破裂しそうだ。


 死の恐怖、じゃあない。

 これから行うことが失敗しないで行えるか、という自分への恐怖だ。


「望ミ。アア、嗚呼アルトモ!」


 突然、黒塊が高らかに声を上げる。

 嬉しそうに、喜悦に満ち満ちた声音で歌うように自らの望みを謳い上げる。

 その急激な変貌に驚くしかない。

 男は言葉を紡ぐため、わざわざ顔を人間に戻す。


「望み、願い―――祈りといってもいい。私はね、ずっと思っていたんだ。薄汚い、とね!」

「薄汚い………なにが?」

「決まっているだろう、人間だよ!」

 呟くような私の声にも男は過剰に反応する。


「考えてもみたまえ、少し歩けばどこにも人間、人間、人間―――うんざりする。気分が悪い。この美しい星に取り付く病原菌のようだとは思わないかね?」

 弁舌に熱がこもってくる。

 ―――と同時に、私の胸は重くなる。


「数億年をかけて築き上げてきた命の営みをたった数千年で食いつぶしている。

 貴重な森林を伐採し、数万年かけて生み出された石油―――太古の生物の貴重な遺骸を躊躇無く浪費し続け、大気を汚染する二酸化炭素を吐き出し続け、地球の環境をエゴで改変し温暖化を起こし、他の生物を身勝手に絶滅させる。そして、その影響を考えようともしない。

 身勝手にたの生物の領域に侵入し、身勝手に他の生物を蹂躙し、身勝手に絶滅に追い込む。こんな生物が他にいるか?

 他の生物は食物連鎖を考え、必要以上に食らう事などしないのに。人間はただ自分の快楽のために行う!

 それだけじゃない。そこまでの悪行を行って得た資源を、何の躊躇も無くゴミとして山と捨てる。捨てた先がどうなるとも考えに。結果、有害な化学物質が周囲の環境を汚染し、捨てた人間でさえ住めない場所にしてしまう。

 オゾン層の破壊、赤潮などの水質汚染、酸性雨、砂漠化―――極め付けが戦争だ。お互いに殺し合い、憎しみあう。パンのひとかけらのために殺人は起こり、国家間の下らないプライドのために戦争は起こり虐殺が起こる。これほどまでに互いを無意味に殺しあう生物は人間ぐらいだろう!

 ただ殺しあうだけならまだ良かったが、核という悪魔の平気を生み出した。これを使えばその土地は数千年に渡り生物の住めぬ死の土地となるのに!」


そんな薄汚い人間を、滅ぼすこと。

それが、蟲と化した人間―――彼の願い。

彼の宣言を聞くたびに一つずつ私の胸が重くなる。彼の告発に鉛を落とされたよう

に―――ではない。

うんざりしたのだ。


 そんな、くだらないことで、彼は人間を辞めたのか。


「この姿を見ろ、素晴らしいじゃないか! 私の望んだ、人間を一方的に駆逐できる最高のチカラだ! それだけじゃあない、このチカラをくださったあの御方はきっと地球そのものなのだろう、それが人間を進化の頂点に置くことに疑問を持っている。だってそうだろう、こんなゲームを開くのだ、そうに違いない! そして勝利して私に望みを叶えろという―――人類を滅ぼせとな!」


「お話は、それでおしまい?」

 話に割り込む。

 黒塊は不快そうに私を睨む。構わない、これ以上アイツの下らない話を聞きたくない。聞くに堪えない。

「はいはい、まるで中学生の考えてるような内容でお腹いっぱいだね。食傷しそう」

吐き捨てるように言う。

 幼稚で稚拙な、独りよがりな理論だと。


「………何が言いたい」

 こちらの考えが伝わったのか、黒塊は明らかに怒りを滲ませている。

「私ね、そういう考え方って嫌いなの。だってさ、考えてもみてよ」

皮肉のためにアイツと同じ言葉で語り始めてみる。


「その場の資源を勝手に使って環境を勝手に作り変えた? そんなのほかの生き物だって日常的にやってること。

 ───今から遡ること、40億年前。地球は火山から発生する硫化水素に覆われていた。よく『地球は水と酸素に恵まれた美しい星』なんて言うけど、そんなものは地球の本来の姿じゃない。

 今の姿に地球を改造したのは、藻の力。彼らは、地球に満ちていた原初のガスを根こそぎ吸い尽くし、毒の気体……酸素に変えてしまった。コレを侵略と呼ばず、なんと呼べばいいのか。

 快楽で殺すのは人間だけ? とんでもない。他の生き物は余裕がないだけで、例えば動物園にいる動物は遊びで他の生き物を殺したりする。人間は薄汚いんじゃなくて、強いから余裕がある、それだけの話よ」


 私の言葉に、苛つくような態度の男。開き直っているととられたようだ。


「地球は救いを求めているの? 答えはノーよ。だって地球の環境は七億年前からほぼ一定で強靭な生命力を持ってる。わざわざ人間なんかに守ってもらう心配はない。

 人間ってさ、まだたったの数万年しか生きてないのよ。それって四十億年続いてる地球の歴史からすれば一瞬でしょ。恐竜の歴史ですら数億年だもん、人間なんて地球の感覚からすれば一瞬もいいとこ。

 地球上が全て砂漠化したら人間は滅ぶけど、地球は数億年あればまた同じような環境に復帰するでしょうね」


 地球は強いから守ってもらう心配はない。

 他の生物が、いつ人間ととりかわっても不思議じゃない。

 つまり、人間は人間のために環境を変えねば成らないだけだ。


「まぁ、私もこのままじゃダメだって思うけどね。解決すべき問題は山積みね。でもそれは、人間がこのまま生きていくために改善すべきもの、他の生物のためや、ましてや地球のために人間を滅ぼして解決することじゃない」


 絶滅しそうな生物を保護するのは、その生物が滅んでしまうのが可哀想だからではない。その生物の生態や遺伝情報といった知識を調べるためだ。

 地球温暖化を危惧するのは南極の生物が可哀想だからでも森林を守るためでもない、環境激変によって死ぬ人間が多いだからだ。


「他の生き物は自分の縄張りってだけで躊躇無く仲間を殺すし、雌を奪い合って殺し合いもする。ひとかけらのパンのために殺しあう生き物なんて、しないのを見つけるほうが難しいし、例えばカラスは集団に愚か者がいるとそれが集団の不利益になるって理由で制裁して殺す。でもそれは普通のこと」


 やれやれ―――と両手を挙げ首を振る。


「だいたいね、そういう考え方は『自然』と『人間』を意図的に分けて考えてるでし

ょ。『自然物』と『人工物』が対義語になる時点でおかしいのよ。

 それってつまり、人間は他の生き物とは違う特別なんだっていう意味でしょ。

 さっきも黙って聞いてりゃ自分のことばっかで。笑わせてくれる。その人間を捨ててまで貰ったチカラで他より――他の人間より優位に立って、一方的に蹂躙することで優越感を得たいだけでしょ?

 人類を滅ぼしたいのも、他の生き物とか地球とか大義名分と目じゃなくて、自分が人間が嫌いだからでしょ?

 だから簡単に人を捨てたんだよ、アンタは」


 すっ、と黒塊の眼が細まった様な気がした。

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