緊急事態

現れたのが毒のない、アオダイショウのようなイベフだったことでホッとした空気が流れたが、その時、逆にリセイは背筋に冷たいものが奔るのを感じた。


「違う! 他に何かいます!」


ついそんな風に声を上げる。何の根拠もなかったが、無意識に口に出てしまったものだった。


だが、その声色があまりに緊張したものだったことで、その場にいた全員、特にライラとレイはすばやく反応していた。


その二人も、リセイに遅れてではあるものの異様な気配を感じ取ったのだ。


なんとも言えない<圧>と、明らかな獣臭。


「アムギフ!?」


レイが小さく叫んだ。その彼の視線の先で、山の一部がぐうっと動く。


いや、<山>じゃない。それは<獣>だった。まるで山のような巨大な獣だ。


体高は少なく見積もっても三メートルはある。


「バカなっ!? なんでこんなところにアムギフが!?」


ライラも叫ぶ。その彼女の声色が、只事じゃないことを告げていた。


もっとも、それは見ただけでも分かる。彼女達が<アムギフ>と呼んだその獣は、<ヒグマ>そのものだったのだから。


しかも頭にはご丁寧に水牛のような太い<角>を生やしたヒグマだ。さらには体毛が無数の針のように逆立ち尖っているのも分かった。


「あれは……?」


まだ膝に力が入らずに自力では立ち上がることもできないリセイがほとんど無意識に問い掛けると、<トランの従兄>が、


「知らねえのか? 魔獣だよ……それも飛び切りヤバい奴だ……!」


「ヤバい…?」


「ああ…普通は毒の槍を装備した槍兵か、毒の矢を装備した弓兵を何十人も揃えてようやくって奴だよ……」


「え? 勝てるんですか……!?」


「隊長と副長がいりゃ何とか……


と言いたいところだがダメかも知れねえ……


なんでこんな近付くまで気付かなかったんだ……? 俺達……!」


確かに。こんな大きくてしかもこれだけの気配を放ってるのを気付かないなんて……


リセイでもそう感じるほどだった。


となれば兵士や騎士達はそれこそ忸怩たる思いだろう。


「ジェイン! デュラ! リセイを連れてこの場から離脱! ルブセン様に緊急事態と報告!! 急げ!!」


隊長であるライラは一瞬も躊躇わずにそう命じた。


すると、<トランの従兄>とその隣にいた兵士が、


「はっ!!」


と応え、リセイの腕を掴んですごい力で引っ張った。


「え? 他の人達は!?」


思わず声を上げたリセイに、<トランの従兄>、いや、ジェインは、


「バカヤロウ!! 隊長達が食い止めてる間に俺達がルブセン様に知らせて迎撃の準備をするんだよ!! じゃなきゃ街に被害が出るかもしれねえ!!」


<敵>に遭遇した時の心得を承知していないリセイを叱り飛ばし、ジェインは彼を引きずるようにしてその場を離れた。


けれどリセイは思う。強く思う。


『そんな…! 隊長さんやレイさんを残して僕だけ逃げるの!? 僕が足手まといだから……!?


……いやだ…! そんなの…!』


と。


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