グッバイ・ゴールデン・バディ 3

 リンゴの形に似た雲が、空を流れていく。


「あ、リンゴ」


 芝生で転がっていたグレンが呟いた途端、隣で寝そべっていた漆黒の竜が急いで体を起こした。彼は鼻をヒクヒクとさせ、大好物の匂いを探っている。


「雲のことだそ」


 グレンは身体を横へ向け、底意地悪く笑んでやった。ジュピターは目をつり上げ、ガアア、と鳴きながらグレンの肩を頭で突く。


「はん、騙される方が悪いんだろ」


 漆黒の竜が、怒りの限界値を突破したのが分かった。彼はグレンへ乗っかり、ぽかぽかと頭を鼻先で突く。


「こーら、喧嘩しないの。グレンも大人げない」


 木目のバスケットを手に提げたジュナが、グレンの頭を小突いた。グレンは不満で口を尖らせ、ジュピターは、ざまあみろと言わんばかりに口元を曲げる。


「喧嘩してたら、これ、あげないんだからね」


 ジュナがバスケットの蓋を開けた。中には真っ赤に熟したリンゴと、焼きたてのアップルパイ。


「あ、あ、ごめんって」


 グレンは、さっと起き上がり正座して、ジュピターは腹ばいになって瞳を潤ませる。


 それを見たジュナは、明るい笑い声を零した。


 神竜賞が終わり、激闘を終えたジュピターは、ウォーディ竜牧場へ帰ってきていた。秋、好敵手と再び相見えるための休養だ。


 グレンは退院したもののリハビリが必要で、まだ竜には乗れない。グレンも秋に備えて、気分転換しようとやって来たのだ。


 神竜賞後は、忙しなかった。バルカイトは一命を取り留めたものの、二度と竜に乗れない身体になった。


 ドルドはオーナー資格を剥奪され、諸々の責任追及は、これかららしい。


 シーラッド夫人の言葉を思い出す。ジュピターが生まれるための融資は、ドルドの指示じゃないか、と。ジュナに訊けば、確かにドルドが傘下に置く子会社から資金が提供されていた。ドルドは『知らん』と一蹴したらしい。


 グレンは竜を撫でていた、彼の瞳を思う。


 ドルドは、本当に竜が好きだったのだと、今でも信じている。


 とにもかくにも、本日は天気も良く、ピクニック日和だ。二人と一頭で、芝生に座る。


 ジュナがバスケットからリンゴを取り出し、ジュピターの前へ並べた。漆黒の竜は一個ずつ頬張り、幸せそうに噛み砕く。


「グレンは、こっちね」


 ジュナは切り分けた一片を皿に乗せ、笑顔で渡してくれた。うーん、今すぐ嫁にしたいくらいの万能感。


「ありがとうな」


 グレンは嬉々として受け取り、大口を開けてぱくりと食んだ。


 瞬間、脳天を衝撃が駆け抜けた。これだ。これに違いない。この味こそ、探し求めていたもの。


 グレンは混乱気味の顔で、ジュナを見つめる。彼女は気恥ずかしそうにして、視線を逸らした。


「あれは、十四歳の頃かな。私ね、ハティアでゴルトが飛ぶ姿を見たとき、とっても綺麗だなって思ったの。ゴルトの相棒さんも、格好良く見えてね。とても楽しそうだった。私も、彼らと同じ世界を見てみたい。彼らと一緒に戦ってみたい。彼らが竜とライダーなら、私は調教師だーって思って。それが、調教師を目指すきっかけ」


 グレンは、アップルパイを手から零していた。ジュナが呆れつつ笑って、手拭いを渡してくれる。


 ジュナは頬を紅く染めて、グレンを見上げた。


「あなたは私の憧れだったのよ。ずっとね」


 ジュナは幸せそうに微笑んだ。それはグレンの心を射貫くのに、充分な威力を持っていた。


 抑えていた想いが溢れる。今、彼女を抱き締めてしまいたいと強く思う。


「そ、そうか。へ、へぇー」


 かといって、恋愛下手のグレンに度胸はなく。鼓動の早さに戸惑いながら、布巾で手を拭うしかできなかった。


 二人の間に、甘ったるい空気が漂う。グレンは彼女をまともに見られなかったし、ジュナも頬を紅くしたまま俯いていた。


 なんとか進展させたいと思うのに、次の一手が思いつかない。


 どん。後ろからの衝撃で、グレンの身体が飛んだ。近くにいたジュナを巻き込んで、二人は芝生へ転がる。


 痛みに顔をしかめながら瞼を開けた、すぐ傍に。声も出せないほど驚いたジュナの顔があって。偶然にも、グレンは彼女を組み敷いていた。


 青い瞳が、瞬きを忘れて見つめてくる。ここまで来て何もしないのでは、男として、どうか。


「その、ジュナ」


 緊張で声が揺れる。頑張れ、と自身を鼓舞する。


「俺、ジュナのこと、好きなんだ」


 ありったけの勇気を込めて呟いた。彼女の目が見開いていく。


 いきなり、気恥ずかしさが胸中で大暴れを始めた。身体が熱い。耐えかねて、先に彼女から離れる。


「返事は、いつでもいい。今すぐ、どうにかなりたいとかじゃなくてだな、いや、なりたいけど、でも嫌だったら別に」


 飛び込んできた衝撃で、声が詰まる。言い訳がましく呟くグレンを、今度は彼女が押し倒した。


「嬉しい……!」


 ジュナの腕が、グレンの首にしがみついている。これは了承の意だろうか。そうだろう。そうだと信じたい。


 グレンは安堵して、口元を緩ませながら彼女を抱き締めた。


 寝転がる視界に反転して映ったのは、黒い影。たぶん、そいつが突き飛ばした犯人だ。グレンは、突き飛ばした犯人、改め、恋を進展させた確信犯を見上げる。


 漆黒の竜は口元を曲げていた。それは意地悪くでもなく、優しげであった。

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【旧版】ドラゴンライダー KT @ktwalk

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