③:7人の美少女
「──んはぁっ!」
修次は目を覚ますとベッドの上にいた。どこか見覚えのある、それでいて自分のではないベッドだった。寝ぼけたままの目を周囲に巡らせると、木製の机や本棚、クローゼットなどが置かれているのが見えた。誰かの部屋らしい。見覚えがあるが、やはり自分の部屋ではない。
「どこだよ……ここ」
修次は上体を起こし、ベッドの反対側にある窓の向こうを見た。雲ひとつない青空が四角く切り取られている。いつの間にか朝になっていた。
頭を両手で揉みながら記憶を掘り返す。飲み会に参加して、酔って、便器に吐いたところまでは覚えている。それからどうなったのだろう。いつ、どうやって、自分はこの部屋にやってきたのだろう。そもそもこの部屋は誰の部屋なのだろう。知っている気がするのに分からない。その感覚がもどかしくて気持ち悪い。
「……服も、着替えさせられてるな」
自分の服装を見ながら呟く。飲み会に着ていったのは無難なシャツとパンツだったが、今身につけているのは上下ともにスウェットだった。
とにかく家主を探しに行こう。そう思ってベッドから立ち上がったときだった。
ががっと派手な音がして、突然ベッドの向こうの窓が外から開けられた。音に驚いて敷き布団の上を後ずさると、窓枠に細い指がかかり、
「いよいっしょぉ!」
と勢いよく何かが部屋の中に転がり込んできた。人、それも少女。銀髪をボブカットにした少女である。白いシャツに、ミントグリーンのスカートを身につけている。制服のようだ。床に転げ落ちた瞬間にあわやパンツをお披露目という状況に陥っていた。ぎりぎり見えなかった。
少女は立ち上がり、スカートについた埃をぱんぱんと払う。そして転びなどしませんでしたという風に堂々と胸を張り、アメジストを思わせるきらきらとした紫色の瞳を修次に向けた。
「さあ迎えにきたよっ今日は私と学校に──ってなんで今起きたっぽいカッコしてるの!?」
少女はアメジスト色の瞳をまん丸く見開いて叫んだ。
「早く着替えて、遅刻しちゃうよ! もう、ばか!」
「ち、遅刻って」
「つべこべ言うな! 私の皆勤賞が途絶えたら許さないよっ」
少女は修次に質問する隙を与えず、勝手知ったるようにクローゼットから服を取り出して渡してきた。ハンガーにかかっていたそれは、どこからどう見てもブレザー制服。
「は? なにこれ?」
「なにこれじゃなーい! 早く着る、歯磨く、靴履く! 急いで! あと二分!」
「ちょ、ちょちょ。待って月子」
「やだ。待たない」
ぷいっとそっぽを向く少女。あれ? と修次は頭の中で一人疑問の声をあげた。なぜ今自分は彼女の名前を口にしたのだろう。月子? なぜ知っているのだろう。
銀髪のボブ。アメジスト色の瞳。ミントグリーンの制服。窓から入ってくる少女。
自分は彼女を知っている。
「ほーらっ! 早く! 脱ぐの!」
銀髪の少女はじれったそうに修次が着ているスウェットに手を伸ばした。勢いで修次はベッドに押し倒され、互いの鼻と鼻の先が触れそうになる。
「あっ」
見つめた正面に、アメジスト色の瞳が揺らいだ。少女の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
がちゃり、と今度は部屋の扉が開く音がした。
「いい加減起きてきたらどうなの。もう遅刻しちゃ」
落ち着いた雰囲気を持った声が聞こえ、修次は首をそちらに向けた。九十度傾いた視界の中に、またしてもミントグリーンの制服を着た少女。赤い髪を腰のあたりまで伸ばした彼女は、片手に通学カバン、片手にピザみたいなサイズのおにぎりを持って立っている。
「あ、あなたたち……」
そして赤髪の少女はベッドの上に折り重なるようにして倒れている修次と月子を見つめ、声を震わせた。彼女が誰だか知らないが何かを誤解していることは確かだ。
「あ、ちが! 違うん」
「えっち!」
修次の言葉を遮るように少女は、手に持っていたおにぎりをぶん投げた。ソフトボールのようなアンダースロー。丸っちい物体は見事に修次の顔に直撃する。
「ぶっ」
「ヘンタイ! えっち! スケッチ! モドリッチ!」
「いきなりなにす」
「ちょっと、なんでひーちゃんがいるワケ!?」
銀髪の少女が修次を膝頭で踏みつけてベッドから飛び降りる。「ぐうっ」という呻き声は二人の少女の諍いにかき消された。
「今日は私の番だよひーちゃん!」
「私は下で朝ごはんをご馳走になってただけよ。ご飯だけ食べたら行くつもりだったけど起きてこないから、仕方ないから様子を見にきてあげたの」
「へーえっ!」
「それより月子こそちょっとずるいんじゃない? 押し倒すなんて。抜け駆けはなしって話をしたはずだけど?」
「ち、ち、違うもん! これは、その、違うもん!」
二人の少女は額を突き合わせて睨み合う。
修次は状況に全くついていけない。仕方なくベッドの上に投げ出されたブレザーを手に取ってみる。何度見てもそれは紛うことなきブレザーで、どこかの学校の制服に違いなかった。
そんなはずはない。自分は大学生だ。制服を着る必要も理由もない。それに高校も中学も制服は学ランだった。なのに手元にあるのはブレザー。ますます意味が分からなかった。
「ふ、二人とも。ちょっといい?」
「ひーちゃんの嘘つき!」
「月子のえっち、ヘンタイ、ラキティッチ!」
少女たちは聞く耳を持たない。
「ね、ねえ喧嘩はそれくらいに」
カチッ、と。地雷を踏むような音が耳の奥に聞こえた。
「「誰のせいで喧嘩してると思ってるの!」」
少女たちは鏡に映したようなぴったりと息のあった動きでこちらを振り向き、ぴんと張った指先を突きつけてくるのだった。
「はい、これ」
学校の教室に着くと、赤髪の少女は巾着に入った何かを修次に渡してきた。月子はトイレに行くと言って途中で別れていた。
「なに?」
「お弁当」
「べんとう?」
修次は慣れない着心地の襟元を直しつつそれを受け取った
「作ったの?」
「そんなワケないでしょ。あんたのお母さんから渡すよう頼まれたの」
赤髪の少女はため息をつく。そんな彼女のことも、やはり修次は見覚えがあった。彼女の名前は火憐。エッチなことや破廉恥なことが嫌いで、食べるのが好き。好物はおにぎり。摂取したカロリーは部活のソフトボールで消費しているので健康的な体型。ちなみに次期エース候補。
「……あのさ、変なこと聞くけど」
言いかけたところで教室の扉が勢いよく開いた。
「グッマーニンエベリワーン!」
日本語感丸出しの英語を朗々と響かせて教室に入ってきたのは金髪をポニーテールにまとめ上げた背の高い少女。キンバリー、と修次は心の中で呟いた。
金髪の彼女はぴんと背筋を伸ばしたまま教室を眺める。そして修次たちに気がつくと、軽々とした足取りで跳ねるようにこちらに駆け寄ってくる。
「トゥデイもいいウェザーだね!」
キンバリーは彫りの深い顔に満面の笑みを浮かべた。
「朝から元気すぎよあんた」
火憐がため息をつく。
「パワフルイズビューティフルなんだよカレン」
「んぅ。。。。うるさい。。。」
今度は隣の席で、腕に顔を埋めて眠っていた緑髪ショートの少女が顔を上げる。
「わあ、オウサムソーリーだよ柚木。ジャストモーメン、今私の家のトラディショナルなヒプノシスで──」
「いよっしゃあ! 今日も朝練疲れたあ!」
教室後方の扉が勢いよく開き、水色の髪を頭のてっぺんで結んだ少女が仁王立ちしている。彼女の後ろには黒髪ツインテールの少女と、オレンジ髪をパーマにした少女。
「あら、皆さんお揃いで。もしかして首相官邸の攻め方でも相談しているんですか?」
「なんだよそしたら私たちも誘ってくれよな。名案があるん──って悪の組織か!」
黒髪ツインテールの頭を、オレンジパーマの少女が平手でぱちんと叩く。
水色の髪の少女は水穂。黒髪ツインテールのボケは土筆で、オレンジパーマのツッコミは日和。修次はその三人の名前も知っていた。
しばらくしてトイレに行っていた月子も教室に戻ってくると、修次は七人の少女たちに囲まれることとなった。月子、火憐、水穂、柚木、キンバリー、土筆、日和。
「なんでみんな集まってるの?」「ノーリーズンだよ月子」「ねむい。。。みんなうるさい。。。」「ごめんね、柚木。諦めて」「ああ! 早く部活の時間にならないかなあ!」「そうだよな水穂は部活好きだもんな──って朝練してきたばっかだろ!」
少女たちは思い思いに会話を繰り広げて朝の教室を温めていく。修次は呆けた顔をして席に座っていた。輪の中心にいるのに、何一つ状況が理解できなかった。
大学生だったはずなのに。就活をしていたはずなのに。昨日の夜は飲み会をしていたはずなのに。なぜか今、制服を着て、七人の少女に囲まれて、知らない高校の教室にいる。
黒髪ツインテールの土筆が机の前にしゃがみ込み、修次の顔を下から覗き込む。
「どうしたの? 元気がないみたいねタクマさん。よかったらLSDでもどう?」
「幻覚見るほど元気になりたくなんて──」
言いかけて、止めた。
タクマ? 誰だ?
一つ心当たりがあった。しかしそれについて土筆に質問をする前に、教室の空気が変わった。
教室の喧騒は消え、耳の奥に甲高い音が響くような静寂が訪れた。目の前にしゃがむ土筆は顔の上に微笑みを張り付かせたままピクリとも動かない。振り返って日和を見る。彼女も水穂の額にツッコミをした格好のまま固まっている。水穂も然りだ。
「……なんなんだ?」
月子を見る。キンバリーを見る。柚木を見る。ほかのクラスメートを見る。
みんな動かない。
血管が冷たいものに満たされていく。全身が寒さとは違う理由で震えていた。
「ど、どうなってるの? あ、あははは、えっと、あれ?」
わざとらしくおどけてみせた問いかけに答える声はない。
「あれかな? 一時期流行ったマネキンチャレンジってやつ? それとも新手のフラッシュモブ?」
修次は一番近くにいた土筆の肩に手を置いた。揺すれば何らかの反応を示すだろうと思った。ドッキリでもボロを出すだろう、と。しかし、
「──!」
肩に触れた瞬間、土筆は砂像のように崩れ落ちた。修次は思わず呼吸を止めた。一瞬前まで動いて喋って微笑んでいた存在が、冷たい粒になって跡形もなく消えた。
慌てて立ち上がった拍子に、腕が日和の背中に触れた。彼女もまた土筆と同じように崩れ去る。水穂も柚木もキンバリーも月子も。七人の少女たちがみんな消えていく。
崩壊は少女たちにとどまらず他のクラスメートにも起こり、やがて教室の天井や壁、机、椅子、教卓、黒板、ありとあらゆるものへと広がっていった。
「どうなってんだよ、どうなってんだ!」
床も崩れ落ちる。足場を失った修次はそのまま虚空に投げ出され、吐き出した戸惑いは誰に届くこともなくかき消えた。
何もない闇の中を修次はひたすら落ちていく。内臓が身体の上部に集まって、空いた隙間に不快感が溜まる。下から吹き付ける風が髪と服を煽った。メガネが飛びそうになるのを慌てて抑え込む。必死にもがいてみたが、もちろん身体は止まらなかった。
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