広告狂時代
電咲響子
広告狂時代
△▼1△▼
「おー。やってるやってる」
飲み屋のテーブル上に表示された宣伝広告を見て、酔っ払いが言う。
「これ欲しいんだよな。でも俺の給料じゃ、とてもとても……」
「お前にゃ一生かかっても買えねえよ」
酔っ払いの友人らしき男は軽口を叩く。酒を
「マイホームなんざ夢のまた夢だ。買えるのは上流階級の人間だけさ」
いいな、と思った。この家は私と私の家族にぴったりだ。
「おやっさん。勘定」
俺はカネを払う。飲み屋の店主のおやじは釣りを寄越してくる。そこにも広告が貼ってあった。が、俺は見ずに財布に小銭をしまう。俺の興味はさっき見た家、それだけだ。
△▼2△▼
マンションに帰った俺は、すぐさま妻に話しかけた。
「この家、いいと思わないか?」
ノートパソコンに表示されたそれは、目も眩む豪邸。三百平米の広さに加え、庭は日本庭園風。そして高級木材を多分に使用した家具の数々。
「いいわね! 買おうかしら」
「君が決めることだ。君に任せるよ」
「子供ができたら…… この庭は素晴らしい遊び場になるわ!」
子供ができたら、か。永遠にできないだろう。俺はずっと隠していた。種がないことを。誰にも言わず、自分と医者だけの秘密として。
俺の給料は微々たるものだ。妻の家は名家で財産もたっぷりとある。だからこそ。だからこそ言えない秘密だった。だが、もはやそんなことを考えている場合じゃない。俺は妻のカネで家を買う。それだけだ。
その瞬間。
自室の窓に映し出された広告はこう
『あなたの障害、治します』
△▼3△▼
俺は病院の待合室にいる。不妊治療のためにここにいる。
「次の方、どうぞ」
看護師の声がした。俺は医師のもとに歩いて行った。
「どうなされました?」
医師がしゃべる。俺は精巣の病気を治してくれるよう念入りに伝えた。
「ふむ。……その治療は高いですよ?」
「いくらぐらいでしょうか?」
「そうですね。当院では三千万円となっております」
俺は飛び上がった。文字通り椅子から飛び上がった。さ、三千万円!?
「い、いくらなんでも高すぎでは」
「子供を作りたいのでしょう? 微々たる投資だと思いますが」
冗談じゃない。妻にどうやって説得するんだ。
その刹那。
医師の瞳の中に広告が現れた。
『不妊治療、三百万円でお請けします』
△▼4△▼
俺は駆け出した。ぼったくり医師なんて知らん。三百万なら。三百万円なら俺の貯金からなんとかなる。
広告に表示されていた医院に向かう途中、路面に広告が映った。
『不妊治療、三十万円でお請けします』
え? あ、あ……
俺は宣伝広告に表示されている医院に向かい駆け出した。
その刹那。
空に広告が出現した。
『不妊治療、三万円でお請けします』
ひゃ、ははは! はははははははははは!
俺は宣伝広告に表示されている医院に向かい駆け出した。
ガッ!
視界が回る。俺は地面に転がった。
△▼5△▼
「気が狂ったように右往左往してる旦那がいるって聞いてね」
あ。俺の嫁。
「どうしたの? 何やってたの?」
言い訳を考えるのに夢中で詰問が入ってこない。とにかく、この場を切り抜けなくては。
「あのさ、最近肝臓の調子が悪くて……」
「正直に言え」
ああ。全部見透かされてるんだな。俺は腹をくくった。
「実は、俺の睾丸の精巣は種なしで。不妊治療のために駆けずりまわってたんだ」
「知ってるわよ」
え?
「そんなのとっくに知ってるわよ。広告で見たのよ。旦那の障害を調査する会社を」
「あ? あ? いったいどういう」
「あなたとは子作りできない。なぜ黙ってたのか知りたい? それはね、あなたが自分で気づいてくれることを願ったの」
何言ってるんだこの女は。すぐ言えよボケ。
そう思った直後。
広告が出現した。
彼女の全身に出現した。
『離婚における全工程を請け負います。離婚するならぜひ我が社へ!』
広告狂時代 電咲響子 @kyokodenzaki
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