幽霊の手 ④

 土曜日。

 休日の早朝に俺は台所にいた。

 鵜呑坂うのさかに引っ越してきてからしばらく、まどかさんが朝食の当番の時は「やろうとは思ってた」とかなんとかのたまってインスタントの味噌汁しか食卓に並ばないのだから起きる気が失せる。

 単純に朝がまだ寒いというのもあるが。


 家長である爺さんも「あの子が料理をしてくれるだけでありがたい」とか言い出す始末だから手に負えない。

 お湯入れて混ぜるだけの味噌汁を作ることまで調理とカウントしてしまうのはさすがに娘を溺愛し過ぎだろう。

 円さんがカップ麺なぞ作ろうものなら感涙しだすんじゃなかろうか、あの爺さん。


 60歳ほどの老人とその娘(無職)の家族に、無理を言ってこの春越してきた居候が加わったとあれば、必然的に面倒事を引き受けるのは若い新入りとなるだろう。

 しかし30過ぎても箱から出ようとしない箱入り娘に対してはもっと厳しくしてもいいんじゃないかとは思うが、居候の身でそんな具申をしようものなら追い出されるのは俺の方になりかねない。

 それにしたって、円さんに限らず車座くるまざの家の人間はどうも朝の食事を軽んじているように思われる。人間の生態において朝食がどの程度重要であるのか、どこかのタイミングで講義せねばならない。


「ならアンタが作んなさい、朝ごはん」


 ぶつくさ言いながら台所を徘徊していると、起きたばかりであろう円さんが顔を出す。

 相変わらずのジャージ姿。寝癖を整えもせず、うつらうつらとした様子でこちらを睨む。顔立ちは整っている分、こういう表情をされるとかえって間が抜けて見える。ちょっと笑ってしまった。

 円さんに言われるまでもなく、俺は既に前日から仕込みはしておいた。


「まだ少しかかるのでちょっと待っててもらってもよろしいでしょうか」

「え、ホントに作ってたの…」

「今日は円さんの代わりに作るすよ、俺」


 ぽかん、と間抜けに口を開ける円さんを放っておいて台所に戻ることにする。既に卵焼きは完成しているから、ボウルに残しておいた溶き卵をスープに入れよう。鍋に火をかけ、作りかけていた野菜スープに溶き卵を投入する。上出来だ。

 台所に卵スープのほわほわとした優しい匂いが漂い始める。


「おはよう。いい香りじゃないか」

「おはよう爺さん」


 つるつるの禿げ頭と半纏が妙に似合う、ぬらりひょんみたいな老人が起きてくる。その時間には、ちょうど朝食の用意が大体済んでいた。朝食と言ってもただの男子高校生である俺に凝ったものは作れない。

 作れるものと言ったらせいぜい卵焼きであったり簡単な野菜炒めではあるが、それでもインスタントよりはマシだろう。

 全員が起床する頃にはほとんど完成していたし、時間配分も完璧である。

 恐れ入ったか車座家のねぼすけども。こうやって食事を通してこの車座家を支配し、ゆくゆくは俺の小遣いに色を付けてもらおうじゃないか。

 そんな小さな野望は今はまだ秘めておこう。

 今朝の朝食については我ながら惚れ惚れするほどの手際の良さだが、円さんは何が気に入らないのか苦い顔をしてスープを啜っていた。


「…」

「せめて全員が席に着いてから食べ始めてくれないすか」

「行儀が悪いぞ、円」


 ともかく、全員が食卓に揃った。

 今日のメニューは白米、明太子、卵スープに卵焼き、ほうれん草とベーコンを炒めた比較的あっさりしたものだ。自分で言うのも何だが、手間のかからない料理にしては結構美味しくできたと思う。


 爺さんは何を食べても「うまいうまい」というからアテにならないが、円さんは感情が顔に出やすいから分かりやすい。今日の味付けは結構好みだったようだ。


「円さん、口に合いました?結構薄味だと思うんすけど」

「…んう」


 「はい」なのか「いいえ」なのか分からない返事だが、どうやら不満はないように見える。本人は味の好みなんて口にしないだろうが、表情は正直だ。

 こういう気難しい人が物調面を綻ばせて自分の作った料理を食べている姿を見るのは、ちょっと楽しい。


由人よしと。学校は、大丈夫か。慣れたか」


 ひとしきり食べ終えたころに爺さんが表情も変えぬまま口を開いた。

 心配してくれているのはかろうじて分かるが、表情筋のひとつも動かさないもんだからこの老人は何を考えているのか掴みにくい。


「まぁ楽しくやれてるよ。最近は変なプリクラが流行ってるみたいだけど」

「プリクラ?」


 意外なことに、俺のたわいのない雑談に食いついたのは円さんだった。箸を止め、怪訝な顔でこちらをじっと見てくる。

 この人、他人には全く興味のないタイプだと思っていたが、話題がよかったのだろうか?奇談・怪談の類が好きな人だとは思わなかったな。 

 円さんの視線を『続きを話せ』という意だと受け取った俺は、町で広まっている写真の怪談や、屍原さんが体験した奇妙な事件を語り聞かせた。

 

「で、そのプリクラ、俺たちの知ってる機械で撮れるものとは別のものらしいんだよ。駅前のベンチとか公園の遊具とか…公共の場に貼ってあるんだけど、誰がそんなことをしてるのか全部分からなくて」


 大分まとまりのない話になってしまったが、ノンフィクションなので仕方ない。怪談師としては及第点にも及ばないほどつたないものであったが、話を聞き終えた円さんの表情は固く、青ざめて見えた。


「円さん…?」


 円さんは一言も発さず、凍ったようにその場から動かない。

 俺も爺さんもさすがに心配になり、声をかけようかそっとしておこうか顔を見合わせているタイミングで、思い出したように円さんは呟いた。


「あたしの高校ん時と同じだ」


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ふぁんたずま 鵜吞坂高校環境美化および地域奉仕活動部活動報告 崩梨ひとで @tokaidan_404

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