第38話 幕間

 すごい。これが、奏の全力か。儚げなサーシャからは、普段の奏の自信満々な姿は想像もつかない。隣の席で鑑賞していた愛子は、涙を拭うのに必死だ。


「ごめんなさい、ミカさん」

「何を謝ってるの。感動したら涙が出るのは当然じゃない」

「でも、この舞台が成功したら、ミカさんが」

「余計なことを考えながら観るのはよくないよ。演じてる人たちにも失礼だし」

 ミカも愛子と同じく、奏の演技に強く心を打たれた。舞台の上には、別の世界が広がっている。今日の舞台は、今までに見たどの舞台よりも素晴らしい。


「お化粧直しに行こうか」

「はい」

 ミカと愛子が座席を立ち、会場の外に出た。興奮した人混みで、活気に溢れている。どの顔も上気し、興奮した観客の口からは、奏の熱演を褒め称える言葉が飛び交っている。いい雰囲気だ。


「すみません、水上ミカさんですね」

 突然、見知らぬ女性がミカの腕をとった。

「どなたでしょうか?」

 相手の質問に、”はい”とも”いいえ”とも応えず、ミカが尋ね返す。

「私は、空閑奏のマネージャーのおおとりと申します」

 女性がミカの耳元に口を寄せ、小声で囁いた。


「えっ?」

「申し訳ありませんが、すぐに来て頂けないでしょうか」

 奏のマネージャーを名乗った女性からは、ただごとでない様子が伝わってくる。


「お願いします」

 鳳がミカの腕を強引に引っ張った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ミカたちが奏の楽屋に行くと、真っ青な顔で苦痛に顔を歪めた奏がいた。顔中から脂汗が吹き出している。


「あああああ」

 奏が足を抑えて、叫び声を上げた。


「いったい、どうしたんですか!」

「第一幕の後、階段で足を滑らせてしまって」

 ミカの驚く声に、鳳が心配そうな声で応えた。


「早く医者に!」

「だめよ! まだ、舞台は終わってない」

 心配して差し伸べたミカの手を、奏が痛みで目に涙を浮かべながらも怒り顔で振りほどく。


「終わってないたって、そんな足じゃ無理でしょ」

「足に棒をつけてでもやるわ」

 そう言って奏が無理やり立ち上がろうとしたが、

「うわあああ」

 悲鳴を上げて、奏が再びうずくまった。


「バカ、何やってんの! 無理したらもっと酷くなるわよ」

 ミカが奏を怒鳴りとばす。


「残念だけど、公演は中止にするしかない」

 奏の痛がりようはただ事ではない。万が一、骨に異常があって無理やり動かしでもしたら、この先の女優生命を左右する可能性もある。


「いやー! 絶対に中止になんかしない!」

「じゃあ、どうするのよ! どうしようもないでしょう!」

「どうしようもなくても、やる! これは、私の舞台なんだから!」

 奏自身、続行は到底無理だとわかっているはずだが、現実を否定する奏の叫びが楽屋にこだまし、それが消えると静寂が皆を包んだ。


「すみません」

 鳳が、しずしずとミカの前に進み出る。


「私が水上さんをお呼びしたのは、代役を引き受けてもらえないかとご相談したかったからです」

「えっ?」

「代役?」

「何言ってるのよ!」

 静寂を破って発せられた鳳の予想外の言葉に、ミカと愛子、奏が揃って、声を上げた。


「この舞台は、以前に水上さんがアクトノイドで出演された舞台です。もしかしたら、水上さんなら奏の代役を努めてもらえるかもと、お声をかけました」

「ちょっと、あなた何言ってるの! この舞台は、奏がミカさんに喧嘩を売ってきた舞台じゃない。なんで、ミカさんが助けなくっちゃいけないのよ」

「喧嘩なんか売ってません」

 鳳の要望に抗議した愛子を奏が睨んだ。


「売ってるでしょうが。アクトノイドなんか要らないって、あんた言ったじゃない」

「要らないから要らないと言ってるんです」

「だから、喧嘩を売ってるって言ってんでしょうが」

「だから、喧嘩なんか売ってません」

「ちょ、ちょっと待って」

 言い争いを始めた愛子と奏の間に、ミカが割って入る。今は言い争いよりも、鳳の突拍子もない要望に返事をするのが先だ。


「鳳さん、いきなりそんなことを言われても無理です」

「そうよ。ミカさんがやるわけないじゃない」

「ちょっと、愛子は黙っていて」

 ミカがたしなめると、愛子がシュンとした。


「なんの準備もしてませんし」

「でも、以前もそうだったと聞きました。第二幕から代役で演じられたと」

「それは、そうですが」

「台詞がわからないということでしょうか?」

「いえ、そんなことは」

「でしたら、代役をやって頂けませんか」

 鳳の目は真剣だ。非常識だとわかっていても、残された唯一の方法に縋るしかないと必死に訴えている。


「そういう問題では」

「では、どういう問題でしょうか」

 問い詰める鳳に、ミカが答えに詰まった。


「この舞台が成功したら困るからです」

 答えられないミカの代わりに、愛子が口を出す。


「自身の体で演じる舞台が成功したら、アクトノイドを否定することになります。なんで、ミカさんが自分で自分の首を絞めることをしなきゃならないんですか」

 黙り込む鳳に、愛子が勝ち誇ったような顔をした。


 だが、この舞台が成功したら困ると、本当に自分は思っているのか? ミカが自分の心に問いかける。


「違いますよ。舞台に出るのが怖いから逃げてるだけです」

 きっ、と奏がミカを睨んだ。


「いつも、アクトノイドの影に隠れて演じてるから、自分の体で演じるのが怖いんです。そうですよね?」

「あんたね、いい加減にしなさいよ」


 逃げてる? ミカをなじる奏の一言が、ミカの心の底を刺激した。


「役にそっくりなアクトノイドを使えば、リアリティは上がります。でも、そんなの当たり前じゃないですか。自分の身体を使って自分以外の人物を表現する、そのために心も体も限界まで努力する、それが演技です。私が昔、感動した女優さんは、そういう演技をしていました」


 奏の鋭い視線が、ミカを貫いた。


「でも、今のあなたは違う。今のあなたはアクトノイドに頼りきってる」

「ミカさんは、アクトノイドに頼ったりしてないわ」

「だったら、なんでいつもアクトノイドを使ってるんですか。自分の体で演技しないんですか」

「それは、立てる舞台が無かったから」

「本当ですか?」

 思わず口にしたミカの言い訳を、奏が遮った。


「本当に立てる舞台が無かったからですか?」

 そうだ、最初はそうだった。ミカには立てる舞台が無かった。だから、いつか自分が舞台に立つチャンスを掴むため、アクトノイド・パフォーマーになった。


「今まで、一度も無かったんですか」

 一段、一段、アクトノイドとともに成功の階段を上がってきた。だが、チャンスは自らの手で葬り去った。あの演劇革命で。


「立とうと思えば立てたんじゃないですか」

 それは間違っている。パーソナリティと演技の分離こそが究極の演劇だ。


「昔のあなたなら、今みたいなチャンスがあったら、何が何でも、喜んで掴んだんじゃないんですか。パーソナリティと演技の分離とか、くだらないこと言ってないで」

 昔の自分なら?


「私は必死に、この舞台のチャンスを掴んだんだ! 昔観た舞台に憧れて、あなたに追いつくために、あなたを追い越すために、私の全てをかけて、ここまで来たんだ! たとえ足が折れたって構わない! 二度と立てなくなったって構わない! この舞台が私にとって最後の舞台になったっていい! 私は舞台に立つ! 今のあなたに私の舞台は渡せない! 私の舞台の邪魔をするな!!」


 奏の叫びが、ミカの魂をゆるがした。


 すごい、これが奏だ。

 たしかに奏は、類まれな容姿に恵まれている。

 だが、奏の本質はそこじゃない。

 奏には演劇への情熱がある。

 誰よりも激しい情熱が。

 それを邪魔するものがあれば、何であろうと許さない。

 自分の信念は、決して揺るがない。


 奏の情熱は、きっとミカよりも激しい。


 私よりも?


 私の演劇への情熱は?

 私の演劇への情熱は、奏に負けているのか?


 いつかくるチャンスを諦めまいと、裏方で必死に努力した。

 絶望のどん底でアクトノイドに出会い、たった一つ残されたチャンスを掴んだ。

 アクトノイドとともに、ステージを駆け上がってきた。

 夢を掴むために。


 でも、私は夢を掴んだのか?

 いや、まだ、掴んでない。


 奏の言うとおり、私は逃げていたのか?

 パーソナリティと演技の分離は、間違っていたのか?


 いや、正しいとか間違っているとか、どうでもいいんだ。

 自分が何をやりたいのか。


 自分は舞台に立ちたいのか、立ちたくないのか?

 立ちたいに決まってる。


 アクトノイドを使おうが、自分の身体を使おうが、演技は演技だ。


「奏」

 ミカが奏を見つめた。


 奏は純粋だ。

 奏の演劇への情熱は、子どもの頃のままだ。

 そして、子どもだった奏の心に情熱の炎を灯したのは、私だ。


 その奏が、今度は、私の心の奥でくすぶっていた情熱の炎を燃え上がらせてくれた。


 ありがとう、奏。

 奏のおかげで、自分の本当の気持ちがわかった。

 奏のおかげで、心の底に閉じ込めていた夢が蘇った。


「そんな足で、まともな演技なんかできるわけない。そんなこと、言われなくともわかってるでしょう」

 奏が黙って下を向く。奏の目に涙が溜まった。


「私が代役を引き受ける」

 ミカの言葉に、皆が、はっと息を呑んだ。


「最高の舞台にしてみせる。観てる観客がみんな、空閑奏じゃなくて水上ミカが演じた方が良かったって思えるぐらいのね」

「そんなこと!」

 奏が涙目でミカを睨んだ。


「でも、あなたの言う通り、これはあなたの舞台よ。私が勝手に出るわけにはいかない。だから、あなたが決めなさい」

 ミカが奏の両肩を掴み、目線を合わせた。


「どうする。私に代役を頼む? あなたに私に代役を頼む勇気がある?」

 ミカが奏を睨む。

 奏もミカを睨む。

 両者が睨み合い、そして、奏の目から涙がこぼれた。


「お願い、助けて」

「大丈夫。まかせて」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る