第37話 開幕

 『二人の女王』第一幕の、幕が上がった。


 小さな小屋で、女が料理支度をしている。

「どうしよう、もうパンがない。王様が死んでから、どんどん物の値段が上がる。隣の家の娘は売られていった」

 みすぼらしい格好の女は、よく見るとまだ若い娘だ。だが、顔に生気は無く、今にも倒れそうだ。


 ドン、ドン。激しく扉を叩く音がした。


「ここは、モーリスの家か」

 詰問するような野太い声に、娘の顔が怯える。音を立てないよう身動き一つせず、男が帰るのを祈る。


「ここにいることはわかっている。開けなければ、扉を破るぞ!」

 扉を激しく叩く音に諦め、娘が扉を開けた。


「お前がサーシャか。この家の娘だな」

「はい」

 弱々しい声にも関わらず、劇場の隅々まで聞こえる音量だ。


「死んだ母親の名はエレナだな。父親はどうした」

「そうです、母はエレナです。父の名は知りません」

「お前の母は、父親の名を教えなかったのか」

「はい。何度教えてと頼んでも教えてくれませんでした。愛した人に迷惑をかけられないと」

「そうか。お前の母は、たいそう立派だったようだな」

 母のことを思い出しのたか、サーシャの顔に母が死んだ悲しみと、母と過ごした日々の幸せとが入り混じった表情が浮かんだ。


「これから、お前には城に来てもらう。すぐに支度をせよ」

「お城にですか? 私は何もしてません!」

 自分は一体何をしでかしたのだろうと、サーシャが驚く。


「心配するな、お前は何もしておらん」

 サーシャがほっと息をつく。


「これから、するのだ」


 ―― 暗転 ――


「まさか、私のお父様が、亡くなった王様だったなんて」

 自分は騙されているのではなかろうか? だが、城に着いたサーシャは、召使いたちに立派な衣装に着替えさせられた。


「こんな贅沢してもいいのかしら?」

 テーブルの上には、今まで食べたことのない果物やお菓子が並んでいる。


「おいしい」

 お菓子を頬張ったサーシャの顔が、恍惚となった。


「お母さんにも、死ぬ前に食べさせたかった」

 一転、サーシャの顔に悲しみが宿る。


「支度はできたか?」

「はい、お召し物はお着替えになられました」

 外からの男の声に、召使いが応えた。


「では、さっさと来い」


 ―― 暗転 ――


 サーシャが、王の間へと連れて来られる。


「新しい女王様だ」

「これは、お美しい」

「サーシャ女王様、バンザイ」

 家臣たちが、サーシャを称える。


「どうぞ、こちらへ」

 家臣たちに促され、緊張したサーシャが、自信無げな、おどおどとした歩みで、王座へと歩む。


「私は、何をすればよろしいのでしょうか?」

 玉座に座ったサーシャが、震えた声で尋ねる。


「女王様は、ただそこに座って下されば良いのです。まつりごとは、我ら家臣たちにお任せあれ」

 そう言って、家臣たちは勝手に喋り始めた。サーシャは家臣たちに話しかけようとするが、家臣たちはサーシャの方を見向きもしない。べちゃくちゃと喋りながら、贅沢な食べ物を食べ散らかしている。飲めや歌えの大騒ぎだ。


 サーシャにスポットライトが当たる。

「王座がこんなに孤独だなんて。私は家にいても、城にいても一人だ。私は、ここで何をすればいいの。誰か教えて」


 ―― 暗転 ――


 夜、サーシャが城を抜け出して街へと行くと、飢えで苦しんでいる家族が、物乞いしていた。

「どなたか食べ物を持っていませんか。子どもたちには、朝から何も食べさせていないんです」

 道行く人もまた貧しく、物乞いの声を無視して通り過ぎていく。


「どなたか食べ物を持っていませんか。子どもたちには、朝から何も食べさせていないんです」

 母親が何度も頼むが、誰もその願いを叶えようとはしない。


「どなたか食べ物を持っていませんか。子どもたちには、朝から何も食べさせていないんです」

「これを、どうぞ」

 母親の三度目の願いに、サーシャが食べ物を渡した。


「ありがとうございます。さあ、お食べ」

 母親が子どもに食べ物を与えようとすると、

「あっ」

 突然現れた、別の子どもが食べ物を攫っていった。


「この餓鬼、返せ!」

 半狂乱になった母親が子ども追いかけ、一心不乱に殴り掛かる。


「やめて下さい。その子も、食べ物が無くて困ってるんです!」

 サーシャが母親の乱暴を止めようとするが、母親が殴り続ける。


「さあ、返せ!」

 母親が動かなくなった子どもから、食べ物をひったくり、自分の子どもに与えた。


「酷い」

 サーシャが、動かくなった子どもの横に膝ざまづく。

「死んでる」

 サーシャの顔が青ざめた。


「あなた、自分が何をしたかわかってるの! 子どもを殺したんですよ!」

「うるさい! 他人の子が何人死のうと知るか!」

 そう言って、子どもたちの手を引いて舞台袖に消えた。


「おい、お前は食いもんを持ってるのか」

 突然、わらわらと現れた男たちが、サーシャを取り囲んだ。

「もう、持ってません」

「嘘つけ。隠してんだろう。全部出せ!」

 男たちの輪が縮まる。


「本当にありません!」

 サーシャが恐怖に叫んだ。


「おい、よく見るとお前、きれいな顔をしてんじゃねぇか。だったら、お前を売っぱらえば金になるだろう」

「よし、縛りあげろ」

「やめて、誰か助けて!」

 サーシャの悲鳴が、劇場にこだました。


「お前達、何をやっておるか!」

 サーシャの家を尋ねてきた男が、突然、舞台へと躍り出た。剣を振りかざして男たちに襲いかかると、男たちは蜘蛛の子にように逃げ去った。


「お前は、こんなところで何をやっているのだ!」

 男がサーシャを怒鳴りつける。

「城に戻るぞ」


 ―― 暗転 ――


 王座の間で家臣たちが、贅沢に食べ物を食べ散らかしながら、べちゃくちゃとお喋りをしている。


「あのー」

 サーシャが話しかけるが、誰もサーシャの方を見向きもしない。


「すみません、相談したいことがあります」

 サーシャが何度か話しかけると、ようやく一人の家臣がサーシャの方を向いた。


「何用でございますでしょうか?」

「今、国民は飢えて死にかけています。お城にある食べ物を分けてあげて下さい」

「これは異な事を。そんなことをしたら、我らが飢えてしまうでは、ありませんか」

「今だって、そんなに食べものが余っているじゃありませんか!」

「これは、わざと余らせているのです」

 家臣がバカにしたような態度で応えた。


「余った分は家畜の餌になります。私どもが全て食べてしまったら、家畜は食べるものが無くなってしまいます。我らはわざと余らせているのです」

 家臣が慇懃無礼に応えた。


「でも、国民は苦しんでいます! だったら、税を軽くして下さい!」

「今、この国を攻めようと隣国が虎視眈々と狙っております。もし軍備の増強をしなかったら、この国は滅ぼされてしまいます。そうなれば、国民は今よりももっと苦しみます。我らも税を軽くしたいとは思っておるのですが、残念ながら出来ないのです」

 家臣が、いかにも心苦しいといった態度で、目に涙をためてみせた。


「女王様におかれましては、どっしりと玉座に座って頂くことが、なによりも国民のためでございます。ゆめゆめ城を抜け出して、御身おんみを危険に晒すことなどないように」

 家臣が捨て台詞を吐いて、他の家臣たちとの雑談に戻っていった。


 ―― 暗転 ――


 夜、サーシャが再び城を抜け出そうとしていた。


「なにをやっておられるか」

 男の声がかかった。昨日、サーシャを助けた男だ。


「国民に食べ物を配りに行きます」

「そんなことをしても、無駄だ」

「それでも、一人でも二人でも、助けられます!」

 サーシャの悲壮な叫びが、観客たちの心を揺るがす。


「それが女王のすることか。女王なら全ての民を救ってみせろ!」

「それができるなら、そうしています! でも、私にはこんなことしかできないんです!」

 サーシャが泣き叫んだ。


「私には何の力もない。私には何もできない。私は女王なのに」

 サーシャが泣き崩れた。


「お前はただの娘だ。ただの飾りだ。ただ王座に黙って座っていれば良い。民のことなど忘れて、自分のことだけ考えれば良い。皆、そうしている」

「私はお父様の娘です。この国の王の娘です。私はお母様の娘です。この国の王を愛したお母様の」

「だったら、お前はどうしたいのだ」

「私は、この国を救いたい。お父様の愛したこの国を。私は、民を助けたい。苦しんでいるすべての民を」

 サーシャの願いなど、だれにも届かない。ただの夢物語だ。


「昔、この国にお前と同じような女王がいた。その女王が治めた時代、この国はとても豊かで、民は幸せに暮らしたそうだ」

「私と同じ女王?」

 サーシャが顔を上げて男を見た。


「だが、豊かになった国民は、もっと豊かにしろと女王に要求した。そして、その望みが叶わないとわかると、女王を遂にこの国から追放した。そして女王は、裏切った国民を恨んで死んだ」

「そんな」

「それからだ。この国が貧しくなったのは。この国の民が苦しむようになったのは。だから、民のことなどほっておけばよいのだ」

 男が冷たい口調で言い放つ。


「女王を裏切ったのは昔の民です。なぜ、今の民がそのために苦しまなければならないのですか。今の民が、何をしたというのです」

「女王の魂は、未だ現世を彷徨っている。もし、お前が力を望むなら、女王にお前の身体をくれてやれ。さすれば、女王はお前の体を使って、この国を豊かにするだろう。そして、今度こそ民が女王を裏切らなければ、女王の魂は天に登ることができるだろう。だが、」

 男が言葉を溜める。


「もし、民がまた裏切れば、女王はこの国を滅ぼすだろう」

「私の身体を」

 サーシャが自分の体を抱きしめる。


「決心がついたら、この城の物置小屋にある姿見に、満月の夜、お前の身体を写すがよい。そして、鏡に写ったお前に話しかけるのだ。さすれば、女王はお前の望みを叶えるだろう」

「その女王は、本当に、この国を豊かにできるのですか、本当に、この国の民を救えるのですか」

 サーシャが、最後に残された唯一の望みにすがる。


「かつて生きていたときは、叡智に溢れ、慈悲深い、それはそれは素晴らしい女王だったそうだ。そういえば、ちょうど今日は満月だな。今日を逃せば、あと一ヶ月ひとつきは民が苦しむことになるぞ」

 男の言葉を聞くやいなや、サーシャが飛び出し、舞台から消えた。


「だが、慈悲深かったのは過去の話だ。女王の恨みは深い。はたして蘇った女王は、何をするかな。お前は、この国の滅びを早めるのかもしれぬぞ。はははは!」


 男の高笑いを劇場に響かせながら、第一幕の幕が下りた。

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