第39話 夢の舞台

 豪華な衣装に包まれたミカが、舞台袖にある姿見を覗いた。奏の衣装は不思議なほどミカにぴたりと合い、まるでミカのために新調されたかのようだ。


 ―― これが、わたしだ。

 自分の姿をじっくりと見たのは、久しぶりだ。昔覗いた姿見には、紗弥の顔があった。紗弥に比べれば、平々凡々だ。だが、ばっちりとメイクアップされた顔は、自信にあふれている。


 この舞台から全てが始まった。5年前の舞台も今回も、ミカの出番は第二幕からだ。5年前は愛子が泣いていた。今は奏が泣いている。


 ―― 女の涙に弱いのかな、わたしは。

 ふふふとミカが笑うと、鏡の中のミカも笑った。いい笑顔だ。今まで見た最高の笑顔だ。代役と言えど、奏に負けない演技をしてみせる、最高の演技を観客に届ける、その決意と自信が今のミカの中にはある。


 そして、奏の魂を懸けた舞台を成功させたい、いや、絶対に成功させてみせるという思いも。


 さあ、出番だ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 劇場が暗くなり、第二幕開始のブザーが鳴った。


 会場内の私語はやまない。幕間で流れた、奏の突然の怪我によるアクシデントと、第二幕からの代役のアナウンス。奏を目当てに来た客たちは、失望を隠そうともしない。いったいどんな奴が代役で出てくるのかと、不機嫌な顔でざわめいている。


 幕が上がった。しかし、壇上は、暗いままだ。


『力が欲しいか』

 ミカの声が闇に響く。その一言が、劇場を黙らせた。


『お前は、力が欲しいのか』

 地獄の底から声が響く。


『欲しい。この国を救うため、お父様の思いを引き継ぐため、力が欲しい!』

 地獄の底から響いてくる声と、同じ声色の声だ。しかし、弱々しく、すがり付くような声だ。


『ならば、お前の体をよこせ! お前の体を我に捧げよ! お前の体を我にゆだねよ! さすれば、お前の願いを叶えてやろう。父の望みを継いでやろう。この国を救ってやろう』

 これは悪魔の誘惑だ。決して望みなど叶わないことは、聞く人、全てがわかっている。しかし、他に選択肢がないことも。


『我が身を委ねます。我が身を捧げます。どうか、お父様の思いを。どうか、この国を……』

 弱々しい声が途切れ、そして、完全に消えた。


 直後、照明が一斉に点灯し、舞台を昼の明るさが包んだ。王の間では、家臣たちが、めいめいに雑談をしている。


「さて、女王様は、どんなご様子だ」


「我らの顔が、怖くて震えているんじゃないか」


「お人形のように、御座して下されば、十分」


「夜も、楽しませて差し上げますからに」


 家臣たちの笑い声が、舞台に響く。しばし、歓談が続いた後、王の間の扉が、ゆっくりと開く。そして、扉に顔を向けた家臣たちの表情が固まった。


 女王が、王の間に現れた。


##########################


 ミカの目に舞台と観客席が映る。スポットライトに照らされた壇上は、熱気に包まれている。


 ―― 今までやってきた全てのことが、この一歩につながった。

 仄かな明かりに照らされた観客席は、暗い夜の海だ。波一つない凪いた海に浮かぶ巨大な筏のような舞台へと、一歩足を踏み入れる。


 ―― ゾクゾク

 観客の視線が集まるのを感じる。体が緊張感に包まれる。


 ―― いつか、ここに立ちたかった。己自身の身体で。

 しかし、ミカが感じた緊張は一瞬だった。瞬く間に硬直が消え、逆に安堵に包まれる。まるで、自分の寝室のような、生まれてからずっと過ごしてきた部屋のような、懐かしさと穏やかさに包まれる。


 ―― ついに来た。この夢の舞台に。

 体の底から溢れ出す力を感じ、ミカは歓喜に震えた。


##########################


『道を空けよ』

 女王ミカが、玉座へと続く道を、堂々と歩む。妨げるものがあれば、全て踏み潰す。その迫力に、家臣たちが退いた。


 第一幕の、自信無げな、おどおどとした歩みとはぜんぜん違う。姿形は同じでも、中に存在する魂が違っているかのようだ。


##########################


「すごい」

 豪華な衣装を着たミカの姿に、愛子の口から思わず言葉が漏れた。


「これが、ミカさんの本当の実力なんだ」

 アクトノイドを操るミカを愛子が一番身近で見てきた。かつて、野外公演で一夜限りのミカの舞台も見た。だが、舞台衣装を身に着け、スポットライトに映えるミカの姿は、ミカを見慣れている愛子をも虜にした。


##########################


 モーセの前で海が割れたように、家臣たちが自然に退き、女王ミカの前に道をつくる。そして、女王ミカと目が合うと、何かに圧倒されるように家臣たちは頭を垂れ、地に伏せた。


 女王ミカが玉座に付き、慈愛を讃えた目で、家臣たちを眺めた。


『お前たち、なにをしておる』

 おだやかな顔から放たれた優しいが威厳のある声が、家臣たちの心をゆさぶる。


『そんなに這いつくばって、何を見ている』

 女王ミカが、家臣たちに笑いかけた。


『顔をあげよ!!』

 家臣たち世界が、女王ミカの輝きに照らされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る