第31話 空閑奏Ⅲ

「今度、事務所の先輩がドラマに出るんだって」

「へー、すごいね」

 15歳になった奏は、大手芸能事務所『ジュラベック』のオーディションに受かり、デビューの準備中だ。事務所には有名な俳優もたくさん所属し、業界にコネも多い。今はレッスン後の休憩時間で、同年代の女の子たちがお喋りに精を出している。


「だれ?」

「美咲さん」

 美咲? 女の子たちがしゃべってる声が耳に入った。レッスンで見たことがあるが、とても人前に出せる演技のレベルではない。ルックスは典型的なモデル顔だ。


「そうとう、無理したみたい」

「ふーん。この事務所ってやっぱり凄いんだね」

「なんか、本当は別の人に決まってた役を横取りしたみたいで、たいへんだったみたいよ。落とされた人が、テレビ局で自分のほうが実力が上だって啖呵切ったみたい」


 そりゃそうだ。あんな大根に役を取られたら、誰だって怒る。


「23にもなって売れてない人で、相当焦ってたみたいね。でもまあ、その年になっても売れないじゃ、もともと才能ないんじゃないのかなぁ」


 ルックス重視の今の芸能界では、バカみたいに若さをありがたがる。


「なんとかミカって言ったっけ?」

「みずかみミカじゃない? たしか、あんまり可愛くなかったはず」

「私、その人知ってるかも。なんか、演技力は凄くて、ボディダブルとかで有名だよ」

「まぁ、今どきいくら実力があっても、顔が可愛くないとダメだよね」


 ぶちっ。奏の頭の中で、毛細血管が切れる音が聞こえる。


「奏ちゃんみたいな顔しているといいよね。うらやましいなー」

「ありがとう」

 奏が自然な笑顔で、にっこり笑う。


 ふざけるな。私は、お前たちと違って、毎日、必死に努力してるんだ。ミカに追いつくために。ミカを追い越すために。


「ちょっと、今日は疲れたから、先に帰るね」

 奏が笑顔で手を振り、レッスン場を後にした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ミカが降板? あの大根の美咲のために?


 奏の心にどす黒い感情が渦巻く。


 あれから5年。表情筋、声、表現力を徹底的に鍛えてきた。身体を鍛えるために合気道に通ったら、師範の免許まで取ってしまった。今度は、キックボクシングにも通う予定だ。


 ミカがどんな舞台に出るのか、ずっと楽しみにしていた。映画でも、テレビでも、いつ出るんだろうとワクワクしていた。自分の追いかける目標が、どこまで先に行っているのか。それなのに、ずっと裏方だ。一瞬でも、ボディダブルでミカが出ると目が釘付けになる。ミカがモーションキャプチャーをあてたゲームも買った。


 それなのに。この腐った業界はなんだ。なぜ、ミカの実力を評価しない。


 くそ、くそ、くそ!


 奏が、いらいらして道を歩いていると、

 ―― バン

「おい、気をつけろ!」

 ぶつかった男が睨んだ。


「おっ、かわいいじゃん」

 奏の顔を見た男が、いやらしい顔でにやける。


「ちょっと、遊び行かない」

 声をかけてくる男を、連れの二人は、ニヤニヤと様子見だ。


 無視して歩いていると、

「おい、ちょっと付き合えよ。ぶつかった詫びぐらいしたらどうだ」

と絡んできた。


「ぶつかったのは、そっちも前を見ていなかったからでしょ。しつこくするのは止めてくれますか」

「おい、何だその態度は!」

 男が奏の腕を掴んだ。


「ちょっと、離して下さい」

「おい、ちょっと礼儀を教えてやろうぜ。まぁ、抵抗するのも、好きだけどな」

 男たちが凶暴な目つきで、奏を取り囲んだ。


「じゃあ、休めるとこ行こうか」

 男が馴れ馴れしく、奏の肩を抱き寄せようとした時、

「ギャー!」

 悲鳴が上がった。


「ゆ、指が」

 男の指が、通常ではありえない方向に曲がっている。

「ぐわー」

 もうひとりの男が股間を抑えて、呻いた。


 シュッ、シュッ、シュッ、

 何が起きたのかわからず、呆然としていた残った一人が奏を見ると、奏の手にはバタフライナイフが握られていた。


 シュッ、シュッ、シュッ、

 奏が手の中で、ナイフを回す。


 シュッ、シュッ、シュッ、

 奏の口がニヤリと笑った。口は笑っている。だが、目は笑っていない。三白眼になった目で、無言で男を睨む。


 シュッ。

 手に中で遊ばせていたナイフを止め、右手で構えた。無言で、男に一歩近づく。


「や、やめろ」

 更に一歩近づく。


「お前、頭おかしいんじゃないか!」

 三人の男たちが、駆け足で逃げていった。


 演技用の偽物なんだけどね。奏がナイフをかばんにしまう。

 三白眼はうまくできたな。もっと黒目の部分を無くせば、もっと迫力出るな。


 格闘技を習っておいたのは正解だった。演技に活かせるだけでなく、こんなときにも役に立つ。


 さすが、ミカさん。

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