第29話 空閑奏Ⅱ

「おい、止めろー」

 キーパーの指示に応えて、少年がスライディングをする。しかし、ボールを取られる寸前、ドリブルしながらボールを浮かせ、ジャンプ、華麗にスライディングを躱した。


 一対一になったキーパーが飛び出す。しかし、その瞬間を狙いすましたように、ゆるく蹴ったボールが、キーバーの頭上を超え、ゴールネットに入った。


「かなたちゃん、すごーい!」

 奏が笑顔を作り、ガッツポーズをする。


「何やってんだ、おい。お前、ジュニアチーム入ってんだろう」

 キーバーが、スライディングに失敗した少年をどなる。


「女の子に向かって、本気でスライディングなんか出来ないって」

 少年が苦笑いしながら、言い訳をする。


 ふん、勝手に言ってろ。手を抜きたいなら抜け。

 私は、いつでも本気でやる。一瞬たりとも、絶対に手を抜かない。

 これから10年、一日たりとも無駄にはできない。


 まぁ、さっきの下手くそなスライディングは、本気だったと思うけどね。


 笑顔を浮かべながら、心のなかで奏が毒づいた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、ことに尖ったものは、みんなここに置いてください、と書いてありました」


 奏が落ち着いた声で教科書を読む。教師も生徒も、みな、授業中だという事も忘れて、物語の世界に没入する。


「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください」

 クスクスと笑い声が、あがった。


「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか」

 なんか様子がおかしい。いったい、このレストランは、どうなってるんだろう?


「早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもって、舌なめずりして、お客さま方を待っていられます」

 子どもたちが、息を止める。もうダメだ、殺されてしまう!


「戸はがたりとひらき、犬どもは吸い込まれるように飛んで行きました」

 やったー、これでみんな、助かった。


 奏が『注文の多い料理店』を読み終わると、パチパチと拍手があがった。


「すごいな、空閑さん。まるでプロの朗読みたいだ。先生も聞き入ってしまったよ」

「ありがとうございます」

 奏が、礼儀正しくお辞儀をする。


 クラスの生徒の人数は30人。ほとんどが、奏の朗読をうっとりと聞いていたが、5人ほど睨んでいる顔があった。


 ―― なに、優等生ぶってるのよ。

 そう思っているのが、よく分かる。


 まだ駄目だ。クラス全員を虜にしなければ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「にーらめっこしましょ、あっぷっぷっ」

「ぎゃははは! かなたちゃんの顔!」

 奏の正面にいた少女が爆笑した。


「もう、かなたちゃん、そんな顔していると、顔が本当に変になっちゃうよ!」

「ふふふ、大丈夫だよ」

「また、かなたちゃんの勝ちかぁ。かなたちゃん、にらめっこ強すぎ!」


 ネットで調べたら、昔の時代劇の俳優で、訓練して耳を動かせるようになった人がいるらしい。よし、私も練習してみよう!


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