第27話 空閑奏Ⅰ
「かなたちゃん、すごーい!」
「かわいかったー」
「ホントのお姫様みたい!」
うまくできた。
開演前はちょっぴり緊張したが、幕が上がると、それはどこかに消えていった。
「かなたちゃん、大きくなったら女優さんだね―」
「アイドルだよ!」
まわりの子どもたちが、奏を囃し立てる。
奏が物心つく頃には、自分は他の子とは違っていることを理解した。顔は可愛いし、勉強も運動もできる。何をやっても一番だ。でも、だからといって他の人を見下したりするわけじゃない。自分の容姿が優れているのは、たまたまそう生まれただけだ。勉強や運動ができるのも、たまたま他の人より物覚えが早い、それだけのことだ。そんなことで、人の価値は決まらない。
人によって、足が速い、絵がうまい、得意なことが違う。それと同じだ。ただ、自分が生まれつき持っているものを認める、活かす。それが奏には自然にできる。みんなの言うとおり、将来は女優になるのが、自分には一番いいかもしれない。
「かなたちゃん、今度、高校生の大会見に行かない?」
「高校生の大会? 面白いの?」
「うん。劇団の先生が言うには、全国大会はプロのお芝居よりも、すごいのもあるって。しかも、ただ」
「へー、面白そうだね」
最近は、お芝居がうまいかどうかよりも、可愛い子やかっこいい子ばっかり、オーディションで選ばれるって、劇団の先生も言ってたな。高校の学校の部活なら、そんなことしないよね。楽しみだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「すごかったねー」
「うん、面白かったー」
高校生の演劇は、奏の予想以上にレベルが高かった。劇団にいる高校生よりも、お芝居がうまいんじゃないかという人も、いっぱいいた。
「今度は、どんなのかなー」
「楽しみだねー」
―🔊 皆様、間もなく、銅鐘高校の『ロミオとジュリエット』の上演が始まります。どなた様もお早めにお席にお戻り下さい。また、公演の妨げとなりますので、お静かにご鑑賞下さるよう、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
会場の照明が消えた。今度は、どんなお芝居をやるのかな。ワクワクする。
そして、舞台の幕が上がった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アッ、
息が出来ない。
グッ、
まるで、心臓から全身に、血を逆に押し出しているようだ。
ガン、ガン、ガン、ガン、
奏の心臓が、激しく脈を打った。
頭の中の脳みそを何かでかき回されたように、色とりどりの感情がほとばしる。
なに、これ!?
自分でも、自分の気持ちをどう表現していいかわからない。膝がガクガクと震え、両足に力が入らない。目からは、涙を拭いても拭いても、後から後から洪水のように涙が流れてくる。
すでに幕が下り、会場には照明が点いている。席を立つざわめきもある。しかし、奏は席を立つことも、声を出すこともできなかった。
「かなたちゃん、大丈夫?」
友達が声ををかけてくるが、奏の耳はその音を捉えても、脳が情報をシャットアウトする。
「かなたちゃん?」
何度目かの呼びかけに、やっと声が出た。
「ちょっと、感動しちゃった」
「わたしもー、すごい感動したよー。こんなお芝居、初めて見た」
そうだ。こんなすごい芝居は初めてだ。劇場でも、テレビでも、映画でも、こんな凄いのは見たことない。
「これで、全部終わったね。じゃあ、帰ろうか」
「ごめん、私は後でお母さんが迎えに来るから、先に帰ってて」
とっさに嘘をついた。
「そうなんだ。じゃあ、私は先に変えるから、また明日ねー」
すでに多くの人が帰り、空席だらけになった劇場で、奏は一人、自分の感情と向き合っていた。
感動した。すごかった。
人間の体と声で、こんな表現ができるんだ。舞台の上で、別の世界を作ることができるんだ。すごい、役者ってすごい。
いや違う、あの人が凄いんだ。全然、私と違う。
自分では、うまく演じているつもりだった。実際、周りの誰よりもうまい。四年生よりも、五年生よりも、六年生よりも。もしかしたら、中学生よりも。でも、全然私と違う、比べ物にならない。
未だ、涙が止まらない。感動の涙と、悔しさの涙が。
未だ、体の震えが止まらない。今見た演技の凄さと、自分の演技の惨めさで。
羨望と劣等感が、奏の心を支配する。
どうしたら、自分もああなれるのか。どうしたら、あんな凄い演技ができるのか。
暴れていた感情が落ち着きをとりもどし、やっと奏が席を立つことができるようになり会場の外に出る。そして、涙で濡れた顔を洗おうとお手洗いに入った。
バシャバシャと冷たい水で顔を洗うと、気持ちが更に落ち着いた。ハンカチで顔を拭いて鏡を見る。大丈夫、普段どおりの顔だ。奏がハンカチをしまって、お手洗いから出ようとした時、一人の女子高生が入ってきた。
「あー、疲れたー」
一人、陽気な声を上げ、まるでスキップでもするように洗面台に向かう。
「き、気持ちいー!」
ビシャビシャと、水を撒き散らしながら顔を洗ってメイクを落とす。
さっきの人だ! 奏の姿勢がかしこまる。奏を感動させた舞台の主演女優だ。一瞬固まった奏だが、勇気を出して声をかけた。
「すみません、さっきの舞台の女優さんですか?」
女子高生が顔を上げる。まだ、メイクが落ちきっていないため、顔が不気味だ。
「もしかして、見てくれたの! 嬉しいなー! どうだった? 面白かった?」
興奮気味に、奏に話しかけてくる。
「すごい、感動しました。いえ、そんな一言じゃ言い表せないほどです。私が今までに見たお芝居の中で、一番面白かったです。劇場でも、テレビでも、映画でも、こんな凄いお芝居は見たことがありません」
「うれしいなー。お世辞でも、そう言ってもらえると」
「お世辞じゃありません! 本当に一番面白かったんです!」
奏がムキになって言うと、女子高生も真面目な態度になった。
「ありがとう。私も、自分が一番だって思えるように真剣に演じた。今日は、今ままでで最高の出来だと思ってる。生きててよかったって思えるぐらい、自分でもノッてた。今まで、いろいろたいへんだったけど、お芝居をやってきてよかったって、今日は心の底から思ったわ」
「たいへんですか」
「まぁ、好きでやってるんだから。たいへんだとか言ったらバチが当たるかもね」
女子高生が笑った。
「教えて下さい。どうしたらお芝居がうまくなれますか。どうすれば、あなたみたいになれますか?」
「えっ? 私みたい? どっちかって言うと、あなたのほうがずっと可愛いけど」
「そうじゃなくて、どうすれば演技がうまくなれるのか、知りたいんです」
奏の勢いに押されて、女子高生がタジタジとなる。
「そうね。まずは、いろんな作品を見ることかな。演劇、ドラマ、映画。それと、小説や漫画なんかも読むといいかもね」
「他には、何をすればいいですか?」
「うーん、結局は、演劇ってのは体と顔と声で表現をするわけだから、それぞれを鍛えればいい。顔の表情を色々変えたり、変顔したり」
そう言って、女子高生が変顔をした。さっきまでの顔と全く違う表情に、一瞬で変わる。すごい。
「ここは意見の別れるところだけど、私は身体能力は重要だと思ってるから、アスリート並みのトレーニングもしている。こう見えて、スポーツ万能だから」
女子高生が得意そうに、力こぶをつくった。あんまり、大きくない。
「と言っても、筋肉つけすぎないようにね。パワーよりも柔軟性とスピードよ。ようは、自由自在に体を動かせればいいわけ。それと、格闘技をやっておくといいかもね。反射神経が鍛えられるし、自動的に受け身が取れるようになっておけば、怪我をしにくい体が作れるし」
女子高生がカンフーの型をする。
「あとは発声練習かな。早口言葉は基本だけど、普段から朗読する習慣をつけたり、歌が好きなら歌うのもいいよね」
女子高生がオペラを歌い出した。
「まぁ、こんなところかな」
「ありがとうございます。とても、参考になりました」
奏が礼儀正しく、お辞儀をした。
運動神経には自信があるけど、今まで体育の授業は真剣にやってなかった。これからは全力だ。国語の授業でも、真っ先に手をあげよう。たしか、合気道の道場も家の近くにあったな。
「じゃあね、今日は見に来てくれてありがとう」
女子高生が残っていたメイクを洗い流し、手を振ってお手洗いから出ようとする。
「あ、ちょっと待って下さい」
奏が慌てて女子高生を呼び止め、かばんからマジックを取り出した。
「ここにサインしてくれますか。今、これしか持って無くて」
とっさに濡れたハンカチを取り出した。
「サインなんて、初めてだよー。考えとけばよかった」
女子高生が照れながら、マジックとハンカチを受け取る。
「はい。これ」
女子高生が、汚い字で自分の名前を書いたハンカチを返した。
「みずかみミカさん?」
「みなかみミカって読むの。あなたは、わたしのファン第一号だね」
ふふふと、ミカが笑う。
「じゃあね。またどこかで会えるかもね」
「待って下さい。私の名前も覚えて下さい。
「かなたちゃん?」
「それと、私はあなたのファンじゃありません」
奏の心の底から、ムクムクと闘志が湧いて出た。
「私は、あなたのライバルです。10年後、あなたに追いつきます」
いや、そうじゃない。
「いいえ、10年後、必ずあなたを追い越します」
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