第27話 空閑奏Ⅰ

「かなたちゃん、すごーい!」

「かわいかったー」

「ホントのお姫様みたい!」


 かなたの属する劇団の小学生公演。昔から所属する年上の子役たちを差し置いて、一ヶ月前に入団したばかりの三年生のかなたが主役に抜擢された。外された子どもたちの親が配役に猛抗議したが、その親達も舞台を見て喝采している。


 うまくできた。

 開演前はちょっぴり緊張したが、幕が上がると、それはどこかに消えていった。


「かなたちゃん、大きくなったら女優さんだね―」

「アイドルだよ!」

 まわりの子どもたちが、奏を囃し立てる。


 奏が物心つく頃には、自分は他の子とは違っていることを理解した。顔は可愛いし、勉強も運動もできる。何をやっても一番だ。でも、だからといって他の人を見下したりするわけじゃない。自分の容姿が優れているのは、たまたまそう生まれただけだ。勉強や運動ができるのも、たまたま他の人より物覚えが早い、それだけのことだ。そんなことで、人の価値は決まらない。


 人によって、足が速い、絵がうまい、得意なことが違う。それと同じだ。ただ、自分が生まれつき持っているものを認める、活かす。それが奏には自然にできる。みんなの言うとおり、将来は女優になるのが、自分には一番いいかもしれない。


「かなたちゃん、今度、高校生の大会見に行かない?」

「高校生の大会? 面白いの?」

「うん。劇団の先生が言うには、全国大会はプロのお芝居よりも、すごいのもあるって。しかも、ただ」

「へー、面白そうだね」


 最近は、お芝居がうまいかどうかよりも、可愛い子やかっこいい子ばっかり、オーディションで選ばれるって、劇団の先生も言ってたな。高校の学校の部活なら、そんなことしないよね。楽しみだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「すごかったねー」

「うん、面白かったー」

 高校生の演劇は、奏の予想以上にレベルが高かった。劇団にいる高校生よりも、お芝居がうまいんじゃないかという人も、いっぱいいた。


「今度は、どんなのかなー」

「楽しみだねー」


―🔊 皆様、間もなく、銅鐘高校の『ロミオとジュリエット』の上演が始まります。どなた様もお早めにお席にお戻り下さい。また、公演の妨げとなりますので、お静かにご鑑賞下さるよう、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。


 会場の照明が消えた。今度は、どんなお芝居をやるのかな。ワクワクする。


 そして、舞台の幕が上がった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 アッ、

 息が出来ない。


 グッ、

 まるで、心臓から全身に、血を逆に押し出しているようだ。


 ガン、ガン、ガン、ガン、

 奏の心臓が、激しく脈を打った。


 頭の中の脳みそを何かでかき回されたように、色とりどりの感情がほとばしる。


 なに、これ!?

 自分でも、自分の気持ちをどう表現していいかわからない。膝がガクガクと震え、両足に力が入らない。目からは、涙を拭いても拭いても、後から後から洪水のように涙が流れてくる。


 すでに幕が下り、会場には照明が点いている。席を立つざわめきもある。しかし、奏は席を立つことも、声を出すこともできなかった。


「かなたちゃん、大丈夫?」

 友達が声ををかけてくるが、奏の耳はその音を捉えても、脳が情報をシャットアウトする。


「かなたちゃん?」

 何度目かの呼びかけに、やっと声が出た。


「ちょっと、感動しちゃった」

「わたしもー、すごい感動したよー。こんなお芝居、初めて見た」

 そうだ。こんなすごい芝居は初めてだ。劇場でも、テレビでも、映画でも、こんな凄いのは見たことない。


「これで、全部終わったね。じゃあ、帰ろうか」

「ごめん、私は後でお母さんが迎えに来るから、先に帰ってて」

 とっさに嘘をついた。


「そうなんだ。じゃあ、私は先に変えるから、また明日ねー」

 すでに多くの人が帰り、空席だらけになった劇場で、奏は一人、自分の感情と向き合っていた。


 感動した。すごかった。

 人間の体と声で、こんな表現ができるんだ。舞台の上で、別の世界を作ることができるんだ。すごい、役者ってすごい。


 いや違う、あの人が凄いんだ。全然、私と違う。


 自分では、うまく演じているつもりだった。実際、周りの誰よりもうまい。四年生よりも、五年生よりも、六年生よりも。もしかしたら、中学生よりも。でも、全然私と違う、比べ物にならない。


 未だ、涙が止まらない。感動の涙と、悔しさの涙が。

 未だ、体の震えが止まらない。今見た演技の凄さと、自分の演技の惨めさで。


 羨望と劣等感が、奏の心を支配する。

 どうしたら、自分もああなれるのか。どうしたら、あんな凄い演技ができるのか。


 暴れていた感情が落ち着きをとりもどし、やっと奏が席を立つことができるようになり会場の外に出る。そして、涙で濡れた顔を洗おうとお手洗いに入った。


 バシャバシャと冷たい水で顔を洗うと、気持ちが更に落ち着いた。ハンカチで顔を拭いて鏡を見る。大丈夫、普段どおりの顔だ。奏がハンカチをしまって、お手洗いから出ようとした時、一人の女子高生が入ってきた。


「あー、疲れたー」

 一人、陽気な声を上げ、まるでスキップでもするように洗面台に向かう。


「き、気持ちいー!」

 ビシャビシャと、水を撒き散らしながら顔を洗ってメイクを落とす。


 さっきの人だ! 奏の姿勢がかしこまる。奏を感動させた舞台の主演女優だ。一瞬固まった奏だが、勇気を出して声をかけた。


「すみません、さっきの舞台の女優さんですか?」

 女子高生が顔を上げる。まだ、メイクが落ちきっていないため、顔が不気味だ。


「もしかして、見てくれたの! 嬉しいなー! どうだった? 面白かった?」

 興奮気味に、奏に話しかけてくる。


「すごい、感動しました。いえ、そんな一言じゃ言い表せないほどです。私が今までに見たお芝居の中で、一番面白かったです。劇場でも、テレビでも、映画でも、こんな凄いお芝居は見たことがありません」

「うれしいなー。お世辞でも、そう言ってもらえると」

「お世辞じゃありません! 本当に一番面白かったんです!」

 奏がムキになって言うと、女子高生も真面目な態度になった。


「ありがとう。私も、自分が一番だって思えるように真剣に演じた。今日は、今ままでで最高の出来だと思ってる。生きててよかったって思えるぐらい、自分でもノッてた。今まで、いろいろたいへんだったけど、お芝居をやってきてよかったって、今日は心の底から思ったわ」

「たいへんですか」

「まぁ、好きでやってるんだから。たいへんだとか言ったらバチが当たるかもね」

 女子高生が笑った。


「教えて下さい。どうしたらお芝居がうまくなれますか。どうすれば、あなたみたいになれますか?」

「えっ? 私みたい? どっちかって言うと、あなたのほうがずっと可愛いけど」

「そうじゃなくて、どうすれば演技がうまくなれるのか、知りたいんです」

 奏の勢いに押されて、女子高生がタジタジとなる。


「そうね。まずは、いろんな作品を見ることかな。演劇、ドラマ、映画。それと、小説や漫画なんかも読むといいかもね」

「他には、何をすればいいですか?」

「うーん、結局は、演劇ってのは体と顔と声で表現をするわけだから、それぞれを鍛えればいい。顔の表情を色々変えたり、変顔したり」

 そう言って、女子高生が変顔をした。さっきまでの顔と全く違う表情に、一瞬で変わる。すごい。


「ここは意見の別れるところだけど、私は身体能力は重要だと思ってるから、アスリート並みのトレーニングもしている。こう見えて、スポーツ万能だから」

 女子高生が得意そうに、力こぶをつくった。あんまり、大きくない。


「と言っても、筋肉つけすぎないようにね。パワーよりも柔軟性とスピードよ。ようは、自由自在に体を動かせればいいわけ。それと、格闘技をやっておくといいかもね。反射神経が鍛えられるし、自動的に受け身が取れるようになっておけば、怪我をしにくい体が作れるし」

 女子高生がカンフーの型をする。


「あとは発声練習かな。早口言葉は基本だけど、普段から朗読する習慣をつけたり、歌が好きなら歌うのもいいよね」

 女子高生がオペラを歌い出した。


「まぁ、こんなところかな」

「ありがとうございます。とても、参考になりました」

 奏が礼儀正しく、お辞儀をした。


 運動神経には自信があるけど、今まで体育の授業は真剣にやってなかった。これからは全力だ。国語の授業でも、真っ先に手をあげよう。たしか、合気道の道場も家の近くにあったな。


「じゃあね、今日は見に来てくれてありがとう」

 女子高生が残っていたメイクを洗い流し、手を振ってお手洗いから出ようとする。


「あ、ちょっと待って下さい」

 奏が慌てて女子高生を呼び止め、かばんからマジックを取り出した。


「ここにサインしてくれますか。今、これしか持って無くて」

 とっさに濡れたハンカチを取り出した。


「サインなんて、初めてだよー。考えとけばよかった」

 女子高生が照れながら、マジックとハンカチを受け取る。


「はい。これ」

 女子高生が、汚い字で自分の名前を書いたハンカチを返した。


「みずかみミカさん?」

「みなかみミカって読むの。あなたは、わたしのファン第一号だね」

 ふふふと、ミカが笑う。


「じゃあね。またどこかで会えるかもね」

「待って下さい。私の名前も覚えて下さい。空閑くがかなたです!」

「かなたちゃん?」

「それと、私はあなたのファンじゃありません」


 奏の心の底から、ムクムクと闘志が湧いて出た。


「私は、あなたのライバルです。10年後、あなたに追いつきます」


 いや、そうじゃない。


「いいえ、10年後、必ずあなたを追い越します」

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