第25話 小さな一歩

「ありがとう」

「いえ、こんなことしかできなくて」

 田口の代わりに討論会に出るなど、どだい無理な話だ。結局、田口は娘に会うことは、叶わなかった。


「あの子も少し落ち着いたって、母から聞いた。あなた方のおかげです。本当にありがとう」

 田口が三人に、深々と頭を下げた。


「法案の方は、どうですか?」

 子どもと会う機会を犠牲にしてまで出席した討論会だ。いい結果につながって欲しいと、ミカは思っている。


「正直、難しいと思う。世の中は、そう簡単には変わらない。でも、一歩一歩前に進むことが重要なの。ローマは一日にして成らず、千里の道も一歩から、一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である、よ」

「そうですね」

 ミカが、アクトノイド・パフォーマーとして、ここまで来るのも大変な道のりだった。たとえ失敗しても前に進む。その大切さは、ミカ自身も実感している。


「私ができなくても、次の誰かがやってくれれば、それでいい。んー、それはちょっと後ろ向きかな? そうね、最年少首相になれたんだから、うまくいかなかったときは、最年長首相として返り咲くわ」

 冗談とも本気ともつかない言葉に一同をあっけらかんとさせ、田口が少女のような笑い声を上げた。


「田口くん、ちょっとこっちに来てくれないか」

 流博士が、田口を研究室に案内する。


「これが、アクトノイドだ」

「すごい、私そっくり!」

 田口の顔を3Dスキャンした造形は、まさに瓜二つだ。近距離から見ても、ちょっと目には、違いがわからない。


「そして、このスーツとヘルメットで操作するんだ」

「へぇー、かっこいいじゃない」

「ちなみに、使った後には、ちゃんとクリーニングする必要がある」

 流がミカを横目で見た。


「ちょっと、被ってみないか」

「えっ? 私が? 演技なんてできないけど」

「スーツは着ないでいいから、こっちの椅子に座って、ヘルメットだけ被ればいい」

 そう言って、田口を椅子に座らせ、HMD付きヘルメットを田口に被せた。


「何も見えないけど」

「いま、スイッチを入れる」

「うわー、すごい! まるで自分の目で見てるみたい」

「特殊なディスプレイを使ってるから、人間の視覚を完全に再現できる」

 田口が驚いて頭を動かす。


「あれ、映像が変わらない」

「センサーを切ってあるからね。本当なら、田口くんが頭を動かすとアクトノイドの頭も同期して動くから、自然な映像になる」

「なるほど」

 さすがに流博士と一番二番を競った間柄だ。理解が早い。


「今日来てもらったのは、アクトノイドを操作するためじゃないんだ。今から映像を切り替える」

 流がデスク上のコンピューターを操作すると、

「これは!」

 田口が、驚いた声を上げた。


「ミカくんが学校に行ったときの映像を録画してある。今日はそれを田口くんに見てもらいたいと思って呼んだんだ」

「愛子のアイデアで、アクトノイドのHMDを使えば、学校に行ったときの映像を再現できると気づいたんです」

「ミカさんは、田口さんの歩く動作や速度、首のかしげ方など、完全に再現しています。だから、この映像は田口さんが、実際に自分自身で学校に行かれて目にする映像と変わらないんです」

「すごい。本当に私が行ったみたい」

 田口が関心する。


「今は視覚だけだが、音も再現できる。ヘッドホンに流す音を切り替えれば、あたかもタイムスリップしたのと同じだ。いまから切り替えるから、娘さんの発表を聞いてあげるといい。終わるまで僕らは外で待ってる」


 流が音声を切り替え、ミカと愛子に外に出るよう、合図した。


「親子水入らずにしてあげよう」

 流が、そっと研究室の扉を締めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「法案の行方はいかに?」


 田口前首相の提案した、ひとり親支援制度、ならび、拡張育児休暇制度の行方に暗雲が漂っている。

 視聴者から圧倒的な支持を得た討論会だが、法案提出直後、田口前首相が自らもまた、ひとり親であることを突然告白して辞任した。国会は、急転直下の大騒ぎとなり、与野党を巻き込んで混乱状態にある。田口前首相は『この法案は、国民が心の底から納得して初めて意味がある。万が一にも、瑕疵があってはならない。そのためには、自分もまた、ひとり親であることを公開することが筋だ。どうどうと国民の審判を受けたい』と主張しているが、各界からの反発は必死である。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 いつもどおりの学校で、いつもどおりの日常を過ごし、いつもどおりの時間に、美幸が校門を出た。


 あの日、心の底に溜まっていた気持ちを吐き出して以来、少しだけ気持ちが楽になった。


 寂しく、孤独な日々は変わらない。おばあちゃんの厳しい躾も変わらない。少しだけ変わったことと言えば、なんで勉強が必要なのか、礼儀作法を学んでおくと将来どんなふうに役に立つのか、説明してくれるようになったぐらいだ。でも、昔、役に立ったことが、今後も役に立つのか、あやしいけれど。


 少しだけ前を向いてみよう、顔を上げてみようと思い、顔を上げた美幸の前にいたのは、母の姿だった。


 驚く美幸に、母が一歩一歩近づいてくる。美幸も気を取り直し、一歩一歩前に進む。


 母の顔を見ないように。

 他人のふりをするように。


 美幸が母とすれ違おうとした時、母が足を止めた。


「美幸」

 えっ? 名前を呼ばれた。どうしよう。知らないふりをした方がいいのか。


「美幸、ごめんね」

 母の声が、背中からかかる。


「いっしょに帰ろう」

 美幸の目に涙が浮かんだ。


 小さく一歩、美幸の方へと母が近づいてきた。


「さんざんほっといたくせに、どういうつもりよ!」

 美幸が、母の腕に飛び込んだ。


―― 第五章 了 ――

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